降るは血、鳴るは剣戟、散るは命。
太平を謳歌する瀞霊廷に、粛清の嵐が吹き荒れる――
「カンベンして欲しいわ」
乱菊は、晴天の下に曝されたその惨劇に目をやり、ため息をついた。
場所は、十番隊隊舎の裏手にある細道。
塀にもたれかかるようにして、一人の男が事切れていた。
漆黒の死覇装を纏い、腰に帯びた斬魂刀の柄には、手がかけられたままだ。
その首元からはバッサリと斬り裂かれ、黒っぽく変色した傷口がはっきりと見えた。
「松本副隊長！ いかがしましょう」
歩み寄ってきた第五席に、ため息が入り混じった指示を飛ばす。
「とりあえず、死体をこのままにはできないわ。被害者は……」
「五番隊第七席。白戸巴次郎です」
十番隊第五席・黒江は、曇った表情のまま、乱菊に小さな木の札を差し出した。
「白戸巴次郎」と墨書きされているその札は、乱菊もよく目にするものだ。
「これは……修練場に架かってる名札じゃない。てことは」
「はい。数ヶ月前から立て続けに起きている連続殺人かと思われます」
「カンベンして欲しいわよ、ホント」
乱菊は天を仰ぐと、もう一度ため息をついた。
各隊の修練場には、隊長から末席まで用意された木札が、席次順に並べて掲げられている。
その木札が、突然なくなった。ことの発端は、三番隊の第十席がそう騒ぎ始めた三ヶ月前にさかのぼる。
それは、単なる紛失か、せいぜいが嫌がらせ程度で収まるはずだった。
収まらなかったのは、その十席がそれからわずか二日後に何者かに襲われ、帰らぬ者となったからだ。
そして、その死体の傍には、例の木札が落ちていた。
更に恐怖を煽ったのは……同じケースが、月に何度も立て続けに起こったからだ。
まず、木札がなくなる。数日後に、札の持ち主が殺害される。そして死体の傍には札が残されている。
その単純なルールから、逃れられた死神は、今まで一人もいない。
すでに十名近い死者を出しているにもかかわらずだ。
ターゲットとなる法則は不明。犯人は三ヶ月もの間血眼で調査しても、全く分からない。
死神達が浮き足立つのも、ムリはないというものだ。
「一体、誰の仕業……」
担架に乗せられ、筵をかぶせられた死体が運び出されるのを見下ろし、乱菊がそう呟いた時だった。
「考えたってムダやで」
ひょい、と銀髪の頭が、乱菊の肩に乗せられた。
「ぅおぅっ！！」
乱菊はとっさに、ハエでも叩くように掌を声がした方に向けた。
「ぁ痛あ！ 殴らんでもええやん！！」
「いきなり、人の肩に頭を乗っけるほうが悪いのよ！！」
乱菊はドキドキと鳴る胸を押さえながら、地面にしゃがみこんで頭を抱えた幼馴染―― 市丸ギンを見下ろした。
「ボーッとしとるからや」
市丸はブツブツ言いながら立ち上がる。
そして、ひょい、と担架にかけられた筵をまくると、中の死体を覗き込んだ。
「うわー、こりゃ手練やなぁ。一撃やん」
子供のような興味津々の反応である。悲壮感が全く感じられない。
「アンタも、そう思う？」
後ろから覗き込んだ乱菊が、改めて死体を見て表情を曇らせた。
死体は刀の柄に手をかけていたまま固まっていた。敵の存在に気づきながら、抜き放つまでのわずかな間に殺されたということだ。
戦闘に特化した護廷十三隊の死神が、戦うこともできずに殺される事態は、尋常ではない。
「い、市丸三番隊隊長殿……」
担架を抱えた隊士達が、困ったように市丸を見る。
「隊長がおらん隊は大変やな。五番隊に運んでいってやり。雛森ちゃんが泣くなァ、こりゃ」
「は……はい！」
隊士たちは表情を引き締め、その場から足早に立ち去った。
そこには、血の跡だけが赤黒く、残されている。
「ちょっと来、乱菊」
市丸はそれを見届けると、隊首羽織を翻し、その場を後にした。
「何よ、ギン！」
市丸の足は早い。乱菊は、小走りにならないと追いつけない。
人通りのない小道まで入り込んだ市丸は、そこでやっと振り返った。
「犯人探しは、やめときな」
「どういうことよ？ うちには隊長がいないから、下手なことはするなって？」
乱菊の言葉が険を帯びる。
確かに十番隊には、隊長はいない。
百年ほど前、事件に巻き込まれて殺害されて後、ずっと空席が続いていた。
隊長になりうる器が現れればすぐにでも埋めたいが、適当な人材がいないのが実情だった。
「そうは言ってへん」
市丸の声は、珍しく笑いを帯びていない。
「じゃあ、何よ」
眉を潜めた乱菊に、市丸は歩み寄った。
「犯人の目星はついとる。隊長なら皆知っとることや」
「え……じゃあ何！ なぜ放っとくのよ！！」
「あんな風に死神を殺せるんは、死神だけや」
サラリ、と言い放たれた言葉は、乱菊の思考を凍らせるには十分なものだった。
そんな乱菊を見下ろし、市丸はもう一歩、歩み寄る。
「更に言えば……刑軍やな。この暗殺の手管は、プロの仕業や」
その両方の口角が、ゆっくりと上げられる。もう、笑っているようには見えない。
刑軍の名に、乱菊は心中納得していた。
刑軍とは、罪を冒したり、脱走したりした死神の捕縛、場合によっては暗殺まで請け負う。
死神という組織全体を引き締める、自浄作用のような役目を果たしている。
二番隊隊長である砕蜂が刑軍の長も兼ねているが、その正体は闇に包まれている。
死神を、あんな風にあっさりと殺せるのは……確かに、死神の中でも刑軍以外にはありえないのかもしれない。実力にしても、話に聞くその冷酷さにおいても。
しかし、一体何が理由で、現役の死神を殺害する？
「バレたんかな、アレが」
市丸が何気なく言い放った言葉に、乱菊はピクリと反応した。
「……なんで分かるのよ」
冷静に返したつもりが、その声はかすかに掠れた。
笑みに細められた市丸の目からは、本心はうかがえない。
「いやぁ。ソレを知ってる奴を次々に、襲ってきとるみたいやから」
すぅ、と身をかがめると、乱菊の肩に手を置いた。
「だったら自業自得じゃない。同情の余地はないわ」
乱菊は鋭い視線で言い放ち、嫌悪感も露に市丸の手を振り払おうとした。
しかし、その手首を市丸が捕まえる。
「お前も危ない、てゆうとるんやで、ボクは」
「だから」
乱菊は強い目で市丸を見上げる。
「だから、自業自得だって言ってんのよ。あんたも、あたしもね」
「……ボクから離れんとき」
乱菊はとっさに返す言葉を思いつかず、市丸を無言で見返した。
珍しく、笑っていない瞳がそこにはあった。
真紅に輝く、妖しくも美しい瞳が。
ふっ、と乱菊の口元から、笑みが漏れた。
「ご心配なく。これでもあたしは副隊長ですから。自分の身くらい自分で護れるわ」
そのまま、市丸に掴まれた手首を振り払うと、踵を返す。
市丸に護られる気も、頼る気も、なかった。
「これだけは覚えとき、乱菊」
振り返らないその背中に、市丸は声をかけた。
「『影の第二席』には、気ぃつけな」
