十月の空は、あれほどの惨劇があったのが嘘のように、鏡のように澄んでいる。
刀を濡らす血を懐紙でぬぐい、紙を死体の傍に放り投げる。
鞘に納めた刀を手にしたまま、日番谷はその場を後にした。
ひゅうっ、と風が吹き抜け、日番谷は高台にある橋の真ん中で足を止めた。
そして、眼下に広がる整然とした瀞霊廷の町並を、眉を潜めて見下ろした。
「死神は、汚い奴らばっかりだな」
ぽつりと、呟きが口から洩れた。
「何が汚いって?」
唐突に、その背中に言葉が投げつけられた。
バッ! と日番谷は振り返る。
―― 何だ?こいつ……?
物思いにふけっていたとはいえ、全く気配を感じされないとは只者じゃない。
振り返った日番谷の目に映ったのは、闇を切り取ったような、白いシルエットだった。
自分とは少し色合いが異なる銀髪。
白い肌。
そして……細い目の間から覗く、真紅の瞳。
その隊首羽織を見て、日番谷は油断ない足取りで、脇へ避けて道を空けた。
―― 市丸ギン。
「おもろい子やな」
ギンは日番谷に視線を合わせるなり、開口一番そう言った。
「品定めみたいな目ェで見られるやなんて、久しぶりやわ」
「……まさか」
そういいながらも、いつ刀を抜き放ってもいいように、腕に意識を集中させる。
今まさに、お前の隊の三席を斬ってきたところだ。
そう言えば、この男は一体どういう反応を返すだろう。
きっと、全く表情を変えない。そんな気がした。
ゆっくりと、市丸の姿が近づいてくる。
―― もし襲ってきたら、斬る。
自然と殺気をまとわり付かせた男だと思った。
本気なのか、本気でないのか、近づいても一向に分からない。
「……気ィつけて歩き」
すれ違いざまに、市丸は日番谷を見下ろした。
「最近の秋風は、触れるだけで斬れるそうやからな」
真紅と翡翠の瞳が、真っ向から交錯する。
市丸の片頬が、くっ、と上がった。
「市丸隊長こそ」
返された言葉は、挑発的。
そのまま続く言葉はなく、すれ違う。
「……おもろい子や、ホンマ。近々、また会いそうやな」
日番谷の背中が闇に飲まれた頃、市丸はそう呟くと、嘲笑(わら)った。
***
ふっ、と日番谷が瞬歩で姿を現したのは、二番隊の中庭だった。
一歩踏み出すよりも早く、その背中に声がかけられる。
「首尾は」
振り返らなくても、その声の主は分かっている。
二番隊隊長・砕蜂だ。
「殺した」
答えもまた、短い。
「誰にも見られては、おらぬだろうな」
その砕蜂の鋭い問いに、日番谷はゆっくりと振り返る。
二番隊の庭には、見事な日本庭園が広がっている。
一分の隙もなく整えられた枯山水の白い石の上に、砕蜂が佇んでいた。
そのつま先は、わずかに宙に浮いている。
そのため、石はその規律を少しも乱すところはなかった。
肩口で断ち切った艶めく黒髪。
そして、更に黒々と闇を湛える切れ長の瞳を、日番谷は正面から見据える。
砕蜂は平坦な表情のまま続けた。
「暗殺を主務とする第二席たるもの、標的を殺し損ねた時は死んでもらう。
誰かに現場を見られ、生かしたまま逃がしたときもまた、死んでもらう」
「……分かってるさ。分かりすぎるほどに」
日番谷の返答には、抑えきれない刃があった。
「……ならよい」
砕蜂も、あっさりと矛先を降ろす。
そして、自分に向かって歩み寄ってくる、小さな少年を見やる。
「意外だったな」
「は?」
その声は、日番谷には届かなかったようだ。軽く眉を潜めた。
こんな子供が、まともにこなせるような任務ではない。
精神が壊れるのは、時間の問題だと砕蜂は思っていた。それでもかまわない、と。
それなのに、ここまで三ヶ月で「暗殺者」として化けるとは、夢にも思わなかった。
「日番谷」
砕蜂は、まだあどけなさを色濃く残す、少年の横顔を見下ろす。
「人は何のために死神になるのだと思う?」
ふと心に浮かんだ疑問を口にするのは、砕蜂には珍しい。
だが、人に無関心な態度を貫くこの子供が、どんな気持ちを持って人を斬るのか。
その横顔を見ているうちに、不意に気になったのだ。
ちらり、と日番谷が砕蜂を見上げた。
「この世界で誰かを護るために、刀を手に取るしかなくなるからだ」
それは、初めて出会った三ヶ月前を、同じ答えだった。
ただ、人を殺したことなどなかっただろう三ヶ月前と今では、決定的に違うものがある。
護るために殺す。
「お前は本当に『死神』だな」
砕蜂が言葉に込めた意味は、分からなかったのかもしれない。
日番谷は、かすかに眉を顰めただけで無言だった。
「霊圧は、解放しておらぬだろうな」
砕蜂はとりとめもないやりとりに切りをつけ、会話を変えた。
「……当然。解放すれば、アンタにも分かるだろうが」
「まぁ、な」
言い返され、砕蜂は苦々しく頷いた。
暗殺業たるもの、肉弾戦か剣技のみで相手を殺さなければならない。
霊圧など高めれば、一気にその存在が周囲の知るところになるからだ。
「次の標的は、決まり次第連絡する。……おそらく、大物になるぞ」
「誰でも同じだ」
日番谷は、そう言い捨てる。
そして、その場から踵を返した。
last update: 2012/6/2