三番隊第三席、桐生誠が殺害されたという噂は、翌朝のうちに瀞霊廷内を駆け巡った。
八番隊の席官たちの執務室も、朝からどよめきが広がっていた。
「一体どうなっているんだ! 第三席を殺すなど……死神以外の者に、そんなことが可能なのか?」
「まさか、噂どおり、身内の犯行なんじゃ……」
「止めなさい、証拠もないことを」
ピシャッ、と扉が開かれ、顔を覗かせた伊勢七緒が、ピシリと言い放った。
いつものように脇には分厚い本を抱えている。
「今貴方達がするべきことは、噂話じゃないでしょう?」
叱咤された席官たちが、自席に戻るのを見届け、七緒は軽くため息をついた。
「でもねぇ。やっぱり気になるでしょ。犯人が分からない上、犯行も止まらないとなると」
「隊長……!」
七緒は、頭上から降ってきた声に振り返る。
隊首羽織の上に女物の着物を羽織った京楽が、いつからか背後に佇んでいたのだ。
「でも、心配しなさんな。そういう時のための隊長なんだから」
ひらり、と手を振ると、京楽は七緒に背を向ける。
「これから緊急隊首会だよ、この件でね。夕方には戻るよ。夜は蕎麦がいいねぇ」
「京楽!」
一番隊舎の入り口で、見慣れた声に呼び止められ、京楽は振り返った。
「やぁ、浮竹かい。今日は体調はいいのかい」
「あぁ」
足早に歩いてきた浮竹は、京楽に並ぶと頷いた。
「こんな事態に、おちおち寝ていられないよ。いつ十三番隊に被害が及ぶか分からないしね」
「いやぁ、十三番隊は大丈夫でしょ」
「……待て。なんでそんなことが分かる?」
浮竹が、普段の彼には似合わぬ鋭い視線を、旧友に向ける。
「そっか。君ずっと寝てたからねぇ。隊長格の中じゃ、実は暗黙の諒解なんだけどね」
「どういうことだ?」
ふむ、と京楽は顎に手をやった。
「ま。これからはっきりするだろうさ。それが事実なら、お世辞にも楽しい話じゃないけどね」
いつもの食えない笑みを浮かべると、京楽は一番隊の門をくぐった。
「……よく集まってくれたの。ただ、市丸の姿が見えぬようじゃが」
総隊長は、隊首室に集まった十一人の隊長を見渡し、開口一番そう言った。
「自隊の三席が殺されたというのに」
九番隊隊長の東仙が、眉を顰める。
「賊程度に殺されたんだろ? 同情の余地はねぇな」
言い返したのは、隣に立っていた十一番隊長・更木だった。
「何!?」
東仙と、更木が向き合ったときだった。
「いやーすんません、遅刻してしまいまして。皆さんおそろいですなぁ」
場違いな笑みで扉を開けて現れた市丸は、一同を見回した。
「ギン。君の隊のことなんだぞ」
藍染が眉をしかめ、笑顔さえ浮かべた市丸をたしなめる。
「いやぁ、すんませんな。ウチの部下のために」
「何も君のために集まったわけじゃないサ」
涅が横から口を挟む。ふぅ、と黙っていた白哉がかすかに息を漏らした。
「位置につけ、市丸。この一連の騒ぎについて、皆に通達することがあるのじゃ」
総隊長は市丸に顎で位置を指すと、チラリ、と砕蜂を見やった。
砕蜂は無表情のまま頷くと、総隊長の元に進み出る。
それを見た京楽が、あちゃあ、と声を漏らすのを無視し、一同に向き直った。
「犯人は誰か、分かっているのですか!」
身を乗り出した浮竹に、砕蜂はにべもなく返した。
「分かるも分からぬもない。殺害しているのは私の部下。隠密起動・刑軍第二席である者だ」
「何!?」
浮竹が、それきり絶句する。
その隣で、京楽がため息を漏らした。
「やはり、『影の第二席』の仕業というわけかい。気に食わないネ」
涅が、ぎょろりと目を見開き、砕蜂をにらみつけた。
「仲間を暗殺するなどと……一体どういうことだ! 説明しろ!!」
「騒ぐな浮竹。また持病が悪化するぞ」
「ふざけるな……!」
砕蜂の言葉に、ぎり、と浮竹が唇を噛む。
握った拳は、小刻みに震えていた。
「……隊長格に通達されるということは、れっきとした理由があると。そういうことですか?総隊長」
浮竹を横目で見ながら、藍染が総隊長を見やる。
「……いかにも」
総隊長の瞳に、老人とは思えぬ底光りが宿る。
「関与した者には例外なく死が下される……死神における絶対の禁忌を犯したからじゃ」
「絶対の禁忌?」
白哉が、その感情のこもらない瞳を、総隊長に向けた。
「絶対の禁忌とは、おだやかではありませんね。一体なんのことでしょう?」
卯ノ花が、頬に微笑みを乗せる。
「病、じゃの」
総隊長は、しばし無言だったが、やがて首を振りながら答えた。
「護廷十三隊には今、死を呼ぶ病がはびこっておる。その自浄作業としての刑軍じゃ。
関与が断定された者は、いかなる理由だろうと断罪する。しばし、嵐が吹くことになるやもしれぬがの」
「待ってください、総隊長!」
浮竹が声を張り上げた。
「どんな理由があろうとも、公に裁かれることなく申し開きも出来ず、暗殺されるなどあってはなりません!」
「そんな悠長なことを言っている場合ではない! 事態は火急なのだ!」
「それがどんな事態かも知らされぬのに、納得できると思うか!」
口を挟んだ砕蜂と、浮竹がにらみ合う。
「……俺は部下を護る。万が一暗殺者が差し向けられても、絶対に殺させはしない。それだけは言っておくぞ、砕蜂」
肩を怒らせたまま、浮竹は踵を返した。
それから、隊首会が解散したのは十分後だった。
京楽は、背中を向けた総隊長が、一度大きくため息を漏らすのを見やる。
そして、隊首室を出た、その背中を追った。
「……死神の虚化」
ぽつり、と呟いた京楽の言葉に、総隊長は鋭く振り返った。
「今なんと言った、京楽」
その凄みのある瞳に見据えられても、京楽は余裕を崩さぬ笑みを湛えたままだ。
「長く生きてますもんで。いろんな噂を耳にしてしまうんですよ」
「……ほぅ」
「ここからは僕の独り言です。気が向けば耳にしていってください」
京楽は、そこまで言うと窓の外に視線を転じる。
秋のさわやかな夕焼けの光が、広い廊下の中ほどにまで差し込んでいた。
総隊長が、その場から動く気配はない。
「学校でも真っ先に教えられることですが、死神の能力には限界がある。
プログラムされていると言ってもいい。僕らは虚よりも強いが、最強の破面……ヴァストローデには劣る。
でも、その壁を乗り越える方法は、ないわけじゃない。そのうちのひとつが、死神を虚化するという試みだ」
「絶対の禁忌だとも、教えておるはずじゃがな」
「残念ながら、禁忌だといわれるほどやりたくなるのが人情なんですよ」
京楽は、食えない笑みで切り返す。
「死神の虚化。それによって力はあっという間に数倍、数十倍にもなる。
護廷十三隊は、戦士の集まりだ。力のためなら何だってしたいのが本心でしょう。それがたとえ実験段階に過ぎず……命を落とす恐れがあっても」
「仮に成功しても、理性を保つのは至難の業じゃ」
いつの間にか隣に来ていた総隊長が、京楽を見やった。
「……まさか、試されたことがあるので?」
「さすがのお主も、そこまでは知らぬか」
冷や汗を浮かべた京楽を見て、総隊長はわずかに自嘲を含めた笑みを漏らした。
「お主の推測通りじゃ。死神の虚化実験は、常に闇で行われてきたのじゃ。
その形を保てぬか……それとも、正気を失うか。いずれにせよ、虚化実験の結果、生き延びた死神は一人もおらぬ。
その上、死神の虚化には大量の人間の魂を必要とするのじゃ。
魂を抜き取られた流魂街の民は、当然ながら次々と虚化し、殺処分するほかなくなった。
結果的に死神にも流魂街の民にも、大勢の死者を出し……実験は打ち切られた。もう、百年以上昔の話じゃ」
「なるほど」
京楽は口の中で唸った。
「そりゃ穏やかじゃないですね。何しろ、ここ最近何人の流魂街の住人が虚化しました? やむなく殺した数はもう50人を越えている。……誰の仕業でしょうね」
「実験を再開した者がおる」
総隊長の言葉は苦々しかった。
「力を求める気持ちは理解できぬでもない。しかし、死神の矜持とは現世と流魂街の魂を護り導くこと。たとえどんな理由があろうとも、流魂街の民を犠牲にするのはまかりならぬ。
民を犠牲にして力を求めるなら、それはもう死神の所業ではない」
老隊長はため息をつくと、京楽に向き直った。
「関係者にだけは、暗殺の理由は分かる。それで十分じゃ。余計な夢は、見る前に摘み取らねばならぬ。それが悪夢なら、尚更じゃ」
なるほど。
京楽はため息をついた。
力の強化は、死神なら誰でも興味を持つ話題だ。
一体どこまでその話が死神達の間に入り込んでいるのかすら、分からない。
しかし、関係者が次々と殺されたとなれば、誰もが恐れて手を引くだろう。
「だが、そううまく行くもんですかねぇ」
京楽は、正体の知れぬ暗殺者……「影の第二席」に思いを馳せた。
「第二席だとすると、三席までは相手になるでしょう。ですが第二席以上が敵にならない理由はどこにもない。その場合は、どうされるので?」
「恐怖はない。感情もない。それが刑軍じゃ。……長話がすぎたようじゃな」
総隊長はそういうと、くるりと背中を向けた。
「今宵も、血の雨がふるか」
京楽は、それこそ血のように赤い夕焼けに目を遣ると、ひとつため息をつく。
そして、チラリと地面に視線を落とした。
禁忌を起こした死神の発狂、そして流魂街の住人の犠牲。
何よりも恐ろしきは、化物を懐に飼いながら、表立っては平和な顔をしているこの瀞霊廷なのかもしれない。
凶刃を振るう「影の第二席」は、やり方はとにかく、死神の虚化をたった一人で食い止めようとしているのか。
感情はない、と総隊長は言った。
しかしもしかすると……もう死神が失ってしまった、純粋さを持ち続けている魂なのかもしれない。
last update: 2012/6/2