死をはらんだ静寂。
ボクはその場を立ち去る寸前、ふと足を止めた。
かつて幼馴染であり、手をつないで笑いあっていたふたりが、今は冷たい石の上でぴくりともせず横たわってた。
互いの命が、ゆっくりと石の上を流れ落ちる音を、瀕死の状態で聞いているんやろか。

この光景を見るであろう、古い馴染みの女をふと思い出した。
あの女は、泣かんやろう。
ちょっとくらい泣いても、すぐに振り切れるはずや。
それでこそボクの見込んだ、イイ女や。
なぜならお前もあの時、ボクと一緒に、あの平和な景色の中に今の場面を見てたはずやから。


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「市丸副隊長、松本副隊長、紹介します。
この子があたしの大事な幼馴染の日番谷冬獅郎くんです」
小さな頭を小突くようにして頭を下げさせた雛森ちゃんは、エヘヘとボクに向かって笑って見せた。

……大事な幼馴染、なあ……

ボクは今日の晩メシなんやろ、って考えながら上の空で雛森ちゃんの言葉を反芻した。
あかんなあ、雛森ちゃん。
ボクみたいな胡散臭い人間の前で、そう簡単に誰が大事か言ったらあかん。

「痛えな。誰だよ、こいつら」
愛想も素っ気もない悪態をついて、雛森ちゃんの軟い手を払いのけたのは、日番谷って呼ばれた子供。
身長は雛森ちゃんの胸の辺りしかないが、銀色の髪が人目を引く子やと思った。
荒っぽい言動とは裏腹に、顔立ちはキレイなもんや。
金持ちのボンボンっていうよりかは、血筋のええとこのお子さんって感じの、種のよさそうな空気を持ってた。

「失礼なこと言わないの!この人たちは、五番隊と十番隊の副隊長さんだよ!」
「アタシは松本乱菊。そこのひょろい男が市丸ギンよ」
乱菊の声に、やっとその子は翡翠の瞳をボクらに向けた。
ふーん、ともつかない音を鼻からもらして、ボクら2人をざっと一瞥する。
いい目ェしとるな。
そういいたくなるくらい、その瞳は澄んでた。

ただボクが気にいったんは、目っていうよりもその傲岸さや。
自分より遥かに年上で、護廷十三隊の副隊長ともあろう者を、思いっきり品定めの目で見よった。
出世を望んどる、ギラギラした感じはどこにもない。
ボクがイメージしたんは、老成した王が部下を見るときの視線。
ボクの貧困な想像力じゃそんなもんやけど、ボロい着物の子供に感じる雰囲気としては、異様な感じだけは確かにした。

「じゃあ、あたしはこれで……シロちゃん行くよ?」
鍔競り合うように見交わしてた、日番谷はんの瞳の光が、ふっと薄れた。
不満げに雛森ちゃんを見上げるその瞳に、もう傲岸さはない。
ふたりして言い争いながら帰っていく二つの背中を、ボクと乱菊はなんとなしに見守っとった。

夕暮れの中黒いシルエットに見える二人の背中が、日番谷はんが小突いたとき重なって。
離れたとき、ふたりは手をつないどった。
雛森ちゃんが笑う澄んだ声が響いた。
絶対的な信頼。
そんな言葉がボクの脳裏をよぎった。
その時浮かべた乱菊の表情は、俺は好きやったな。
悲しそうな笑顔を浮かべとった。

 

ボクが三番隊隊長になり、五番隊副隊長に雛森ちゃんが抜擢されてからは、藍染隊長に会いに行くついでに雛森ちゃんに声をかけることが増えた。
逆に、徐々にボクから距離をとろうとし始めた雛森ちゃんに声をかけ続けたんは……要するに、ボクがひねくれモノやったからやな。

雛森桃とボクは、その交わらなさでいえば水と油よりもヒドかった。
藍染隊長が雛森ちゃんを、自分がいないと生きていけないくらいに「洗脳」するって言ったときは、さすがに無理やと思ったけど。
本当にあの子はそうなった。
「憧れは理解とはもっとも遠い感情だよ」そう藍染隊長はその理由を端的に言ってたけど。

藍染隊長は、雛森ちゃんにカケラも感情を寄せてへん。
というよりも、生きていくんに誰かの心を一切必要とせえへん。
雛森ちゃんは対極的に、藍染隊長に全部を捧げてもええと思っとるらしい。

ボクには、そんな「雛森桃」ていう存在自体が、信じられんかった。
ヒトがヒトを裏切るなんて、確かに理想じゃあったらあかんことみたいに言われとるけど、日常にはどこにだって転がっとるやろ。
どんなに気ぃつけて歩いても、石ころにはひっかかるもんや。
それやのに、裏切られたら生きてけへんなんて状態が、何でありえるんやろな。
同じ流魂街に生まれながら、どんな教科書どおりの道を歩いてきたんやろ。

100%崩れ去るって分かりきっとる、藍染隊長と雛森ちゃんの関係。
その筋書きももうできあがっとる。
悪趣味やなあ。
今でも心からそう思うわ。壊れる瞬間をニヤついて待っとった自分を。


せやから、藍染隊長が「死んだ」時の雛森ちゃんの狂乱振りは、まぁそうなるやろなあ、ってシナリオ通りで。
初めこそおもろかったけど、見とるうちになんか飽きてきてなあ。
ボクに刃を向けさせた。
ここで雛森ちゃんが死んでも、結末には影響が出んしなあ。
それに今さら親切もないけど、後から起きたことを考えたら、ソウル・ソサエティのためにも、このとき死んでたほうがよかったはずや。

ボクが面白がって見とった戦闘に割って入ったんは十番隊長さん。
「雛森に血ィ流させたら、殺す」
やって。オトコマエやな。
あの時は傲岸でしかなかった瞳は、ちょっと色を変えとった。
確かなものは確かにこの世にあると、確かに。思っている目やった。
自分がそれを護れると。その上で、信じている目やった。

信じれんな。
そんな心がけの男が、それほどまでの力を手にすることができるなんてな。
その分惜しいわ。
ボクはあとで藍染隊長にそう言うた。
そんなボクに、藍染隊長はさらに悪趣味なことを言いよった。
それじゃあ、その二人を殺し合わせればいいじゃないか。
僕なら一筆書くだけでそれができる、と。


さすがにそれは無理やと、思ったんや。
藍染隊長が、自筆で「日番谷冬獅郎が黒幕です」と書き遺す。
雛森ちゃんはあっさりだまされるやろけど、十番隊長さんは当然それが嘘やと分かる。
それなら、嘘を記した藍染隊長が黒やないかって、選択肢にいれるんが普通やろ。

ボクはまだええ子やったんか、藍染隊長と比べて読みが浅かったんか?
結局、ボクの目の前で、雛森ちゃんは十番隊長さんに刀を向けた。
そして十番隊長さんは、雛森ちゃんと殴って昏倒させた。

そんなことはどこにでもあるんやで。十番隊長さん。
それやのに尚アンタは、雛森ちゃんを信じようとしたな。
雛森ちゃんが好いとる男が黒幕やっていう選択肢を、自ら捨てた理由はそれやろ。

確かなもの、なんてこの世にはない。
雛森ちゃんの心だけやない、何もかもが。
ボクらには土台なんてない。
空中を心もとなく漂ってるだけやってことに、目を背けたな。

そして……そんな二人を倒すんは全く大変やなかった。
藍染隊長への愛情とやらにかすんだ雛森ちゃんと、雛森ちゃんへの好意に揺らいだ十番隊長さん。
隊長と副隊長の実力以下に、あっさりと勝負はついた。
ボクは立ち去り際、倒れた十番隊長さんの開いたままの目をちらりと盗み見た。
その目は灰色に濁り、もう何も写してへんかった。
一番初めに、ボクを見た十番隊長さんの瞳を思い出した。
ずっと、あれやったら良かったんや。

 

最後に俺の首に斬魂刀を突きつけた乱菊を、俺はキレイやと思った。
キツイ目ェしとったなあ。
お前は、幼馴染が自分を裏切ったことを認められんかった、十番隊長さんとは違う。
事実を静かに受け止めた上で、ボクを許せへんって決めて、そしてここに来たんやろ。
こうするために。

泣きもせず悲しそうな表情も向けず、
向けたのは一振りの刀。
ああ、お前はイイ女や。
誰にも頼らん、一人で生きてきた女やってことを、俺は知っとる。
ボクがおらんようになっても、お前は笑って、飯食って酒飲んで、寸分変わらんと生きていくんやろ。
でも、その風景の中に、ボクはおらんようになる。

ボクがぽつりと呟いた一言に、乱菊はますます爛々と輝く瞳をよこした。
そうやろな。ニセモノの取ってつけたような言葉に聞こえたんやろ。
御免な。