「あたしが好きなのはね……そう、アンタとは真逆な男よ」
「はぁ?言うにことかいて、逆かぁ?」
ボクは乱菊の杯に注ごうとした徳利を、傾けたまま止まって。そう言い返した。
猫を連想させる気まぐれな青い瞳が、男を挑発する艶を浮かべとる。
「あったり前でしょ。逆なら逆なほうがいいわ」
生意気なことをいいながら、乱菊は杯をボクのほうに突き出してみせる。
場所は瀞霊廷のすみっこにある飲み屋。
周りにはイッパイやってる死神仲間がわんさかおる。
使い込まれて艶の出た机に、オッパイを陳列するみたいに置いて、肘をその前についた表情は桜色。
そういえば聞こえはいいけどな、すでに何升飲んでるんや。
ぽっと頬が染まる量ちゃうやろ。
「ほぉ。聞いたろやないか。どういうのがボクの真逆なんか」
「まず、まっとうな男」
アイツは正面からボクを見て言うた。あかん、眼が据わってきとる。
「男はくちゃくちゃ喋るより黙ってるほうがいいの。で、たまにしゃべる言葉がとても優しいの。
当たり前に仲間とか、家族とか。恋人とかを大切にできる、義理堅い男。
正義とか、勇気とか。努力とか。そういうベッタベタな言葉が似合う男がいい」
「無いものねだりやな」
ボクは思わずため息をついた。
「なーによ」
つりあがった眼が、ますます猫みたいや。
ボクはニヤニヤ笑って乱菊を見返した。
「そうやなー。もしもそれでお前に、そんな男を見抜く目があったらよいんやけどな。
お前の目は節穴やからな。そんな男とつきあってたこと、たった一度でもあるか?
いっつもぜんぜん違う、しょうもない男とばっかりつきあっとるくせ……」
「くちゃくちゃ喋るな」
ぺらぺらした紙に置いた文鎮のように。その一言はボクの言葉を押さえつける。
「眼で、わかるのよ。強い意志を持った瞳。
あたしみたいに碌な生活してこなかった人間の心も、こじ開けてくれるような」
ボクには、それは助けてくれと聞こえた。
酔いすぎや。ボクは軽くあしらったけど。
……当たり前の日常。
戦いになると、なんでこういうしょうもないことばっかり思いだすんやろな。
千歳緑。
そうか。こいつの羽織の裏の色は、目の色から取ったんか。
こいつがまとった氷の細かい粒が、ダイヤモンドダストのように舞っている。
「だって。ずっと待ってるんだから」
乱菊。
あの時机につっぷして、くぐもった声で言ったあいつは今、ボクらの戦いを少し離れて見とる。
……
ボクと乱菊の視線が交錯する。
その表情からは、感情は読み取れん。
まるで銀幕の中の、自分の意思とは関係なく流れていくストーリーを、見守ってるみたいに。
十番隊長さんは、ボクが視線を戻すまで、律儀にも待っとった。
ボクが眼を戻した瞬間、その口が呪をつむぐ。
「鎌鼬」
そういうと同時に、日番谷はんの上に向かって開いた手のひらから、風が眼にも止まらぬ速さで噴出す。
それはダイヤモンドダストを巻き込み、細かい針のように全身を突いた。
「ちっ」
ボクは顔の前に手をもってきて、風と氷をかわす。
霊力で体を護れば、わずらわしい程度のもんやが、眼に当たると厄介や。
そう思ったとき、ふっと頭の上に影が差す。
ガキン!
頭上から振り下ろされた十番隊長さんの刀と、ボクが繰り出した刀が交錯して火花を散らす。
「白雷!」
十番隊長さんが叫ぶのと、
「射殺せ、神鎗」
ボクが言いなれたフレーズを口にするのは、ほぼ同時。
まばゆいばかりの閃光がその地を覆い、ボクらは弾かれるように離れた。
ボクの腕は火傷と凍傷でチリリと痛み、十番隊長さんは頬を流れる血を手の甲でぬぐった。
このまま隊長格どうしが戦って、少しずつ消耗するんは厄介や。
どちらが勝ったとしても、傷だらけでここから無事に帰れんのやったら、負けたんと同じや。
「ボクは飽きっぽいんや。そろそろ決着つけんか。乱菊も見ててくれるしな」
ボクがへらへらと口から流した言葉に、十番隊長さんがその翡翠の目をこちらに向ける。
「……なぜお前は笑ってる?」
ボクは意図的に、笑みを深くした。
笑うとただでさえ細い眼がますます細くなる。
眼、なんて、むやみに人にのぞかせるもんやない。
「乱菊を気にしてるんか?アイツは強い女や。
ボクが死のうとアンタが死のうと、あの女は泣きも変わりもせん」
「強い人間なんていない」
それに対する十番隊長さんの返事は簡単やった。
「アンタが乱菊を語るんか?」
「お前は、何もわかってない」
「ほぉ。ボクは何をわかってないんや?」
ああ、この眼や。ボクを射抜くようなこの眼。
ボクみたいに、何もかもどうでもいい人間には、決してできん眼をしてる。
顔に張りつけた微笑は、気づけば滑り落ちていた。
「松本は泣いてる。お前はそんなことも見えてねえのか」
なにを言っとる。
乱菊がボクの前で、涙を流したことは一度もない。
今だって、平然と……
ボクは十番隊長さんの大きな瞳を見返した。
そのとき、ボクの後ろにいた乱菊の姿が、
その瞳に小さく、小さく写っているのが見えた、ような気がした。
もちろん、こんなのは幻覚や。
でも、
まっすぐボクらのほうを見ながら、
……泣いてる、のか。
それが見えたのは一瞬。
十番隊長さんの刀が光を帯びた。
「……卍解」
声とともに、刀から冷気がほとばしった。
ボクも中ば無意識に刀を開放する。
十番隊長さんは刀を開放するなり、電光石火の勢いで、ボクの懐に飛び込んだ。
互いの刀が至近距離でぶつかり、ボクも思わず歯を食いしばる。
「ちっ!」
ボクの力が一瞬上回った、そう思ったとき、ボクは膝で十番隊長さんの手首を蹴り上げた。
物理的な攻撃は意識になかったか、十番隊長さんの刀が手から離れる。
―― 勝った。
そう思ったとき、ボクと十番隊長さんの瞳が至近距離で合った。
恐ろしく澄んだ瞳や。
この期に及んで怖気つかず、それでもまだ、傲岸な眼をしてる。
初めて会ったときと同じように。
次の瞬間、十番隊長さんはさらに一歩踏み込んだ。
初めからこうするつもりやったんやないかって思うくらい、その動きは滑らかやった。
そして、神鎗の柄をボクとは逆に握りこむ。
―― 奪う気か?
ボクは間髪いれず呪を唱えた。それに、十番隊長さんの声も重なった。
『射殺せ、神鎗!』
声が響いた瞬間、十番隊長さんのその瞳の中に、ボクはほんの刹那、乱菊を探した。
しかしその瞳が映したのは……滑稽なくらい目を見開いた、ボク自身の姿。
「な……にが」
何が起きたんか、わからんかった。
とにかく腹がしびれる。膝の力が抜ける。生温かいものが、ボクの首元に飛んだ。
見下ろして、ボクは事態を眼にする。
「神鎗」の柄尻が破れ、そこから真新しく光る刀身が、突き出しとった。
根元くらいしか見えん。
それはボクの腹から背中に突き通っていたからや。
ボクの声で伸びて、十番隊長さんを貫くはずやった刀は、伸びずに十番隊長さんの体の前で止まってた。
「……斬魂刀にも、心がある」
膝を着いたボクの前で、十番隊長さんが言うた。
「死神の、斬魂刀の役割は魂を護ること。それに反して魂を奪い続けるお前を、神鎗は許せなかったんだ。
お前はやっぱり……何も分かってない」
そこまで言って、十番隊長さんは言葉をとぎらせた。
だから……神鎗はボクやなくて十番隊長さんの解号に反応して、ボクを貫いたんか?
死神にとって親よりも子より近い、分身みたいな存在の斬魂刀に裏切られて死ぬなんて。
ボクらしいわ。
ボクは跪いたままでいたらしい。
視界がさあっと夕闇のような闇に閉ざされていく。
二度と明けない暗闇に飲み込まれていく。
「ギン!」
ボクの肩を揺さぶって、叫ぶ女の声。
ああ。
やっぱりお前は、夕闇のなかで見てもイイ女や。
その蜂蜜色の髪をなびかせ、眉間に皺を寄せて。大声で叫んどる。
何を言ってるんか聞こえへん。
ボクは、目を見開いた。
乱菊の表情を見ようとする。
十番隊長さんの声が、耳によみがえる。
―― お前は、何もわかってない。
乱菊。
やっぱり……そうなんか。
少しだけボクは笑ったようや。
そして、
市丸ギンは絶命した。