師走とは師が走るほど忙しい、という意味である。しかし実際は先生だけではなく、親も走れば子も走り、社会人だろうと老人だろうが走る。誰でも走る。死神であっても、それは例外ではない。
「ったく、どうなってんのよ今年の年末は!」
乱菊は小走りに十番隊舎の廊下を駆けていた。全く、執務室にいる時間さえなく、朝から仕事に走り回っているのだ。グチが出るのも仕方ない。
「悪ぃな。老骨にムチ打たせて」
前を走っている日番谷が、チラリと振り返った。
「いえいえ。幼児の体力ではそろそろ辛いかと心配してます」
互いに嫌味を言いたくなるほどイライラしているが、言い返している時間もない。その時、
「日番谷隊長! 急報です。『重霊地』空座町に新手の虚が出没しています!」
廊下の角から飛び出してきた部下が、急ブレーキをかけて振り返った日番谷に書類を差し出した。


「今度は何ですか?」
後ろから、乱菊が書類を覗き込む。日番谷が書類を一瞥して口の中で小さく唸った。そのまま関心をなくしたように、肩越しに紙を手渡す。
「まぁ、新手だな。人の命を食うことには変わりない。だが、相手が望む姿に化けて、油断したところを食ってるらしい。被害が十人以上出てる」
「最近の虚(ホロウ)は凝ったことしますねー。誰行かせます?」
「俺が行く」
「はぁ? 隊長がわざわざ?」
「その虚は、知恵はあるが力はねぇ。力があれば、望む姿に化けるなんて回りくどいことする必要ねぇだろ。ただ、十人食ってもまだ足りねぇってのは虚として異常だ。破面(アランカル)の可能性がある」
ひゅう、と乱菊が口笛を吹いた。
「相変わらず明晰ですねー、惚れ惚れしちゃう。でも、あたし行きましょうか?」
隊長を行かせておいて、執務室で惰眠を貪るわけにもいかない。しかし、それに対しても日番谷は淡々と返した。
「他の席官が一人でも空いてれば、お前と組ませて行かせたが、生憎全員出払ってる」
「でも……」
「いーんだよ」
頑なに否定する日番谷の背中を、乱菊は見下ろす。そして、少しだけ哀しい気持ちになる。日番谷は、分かっているのだ。そんな能力を持つ虚が、乱菊の前にどんな姿で現れるか。


「たい……」
声をかけようとした時、日番谷は既に隊首室の扉を押し開けていた。そこでリンリンと自己主張している黒電話を耳に当てる。
「日番谷だ」
「日番谷隊長大変です!」
「『大変』なら今日は七回目だ。なんだ」
「西門の外に、旅禍がいらっしゃいました」
は? 日番谷は一瞬言葉を止め、受話器を見やった。今更、また旅禍か? それに旅禍とは、間違いない犯罪者の部類なのに「いらっしゃった」も何もないと思う。まさか、と日番谷が思った時、息せき切った声が続いた。
「いつもの旅禍の方で……」
「旅禍に『いつも』もクソもあるか! 黒崎か? 黒崎一護なのか?」
「え、ええ。そのようです。日番谷隊長にお会いしたいと息巻いているのですが……いかがしましょう」
「息巻いてる」? 一護、の名を聞いて駆け寄ってきた乱菊と日番谷は、思わず顔を見合わせた。

 


足を踏み鳴らして大股で現れた一護を見て、日番谷と乱菊は納得した。
―― 確かに息巻いてる……
断界を無理やり突破してきたのだろう、その死覇装は襟の辺りがはだけ、ゼーゼー息をついている。隊首席で腕組みをしている日番谷を見るなり、声を上げて部屋に踏み入った。
「冬獅郎!」
「日番谷隊長だ!」
間髪いれず言い返す。
「えー、と……どうしましょう」
「お前はいい、ご苦労だったな。下がれ」
一護を連れてきた死神を下がらせ、日番谷は改めて一護を見据えた。
「どういうことだ? 黒崎」
「こっちこそ聞きてぇよ、どういうことなんだ?」
「……は?」
日番谷の明晰な頭でも、そのまま聞き返された理由は判らない。呆けた返事を返した日番谷の机の前に、バン! と一護は掌を置いた。


「……」
その場の三人の視線は、一護の掌の下に現れた、小さな一枚の紙に吸い寄せられる。
「とうしろうくん♪」
途端に乱菊がはじけるように笑い出し、一護は苦虫を噛み潰したような表情で日番谷をにらみつけた。当の日番谷は、ヒクリと眉を動かした以外は無表情だった。
「……お前は知らねぇだろうけどよ。クリスマスには、現世じゃ願い事をすんだよ。遊子の願い事がこれだ」
「……なんで、俺の名前が書いてあるんだ」
「だから、それは俺がお前に聞きてぇんだよ」
気まずい沈黙が、その場を覆いつつあった。笑い続けている乱菊以外は。

 オイオイ……と日番谷は考えを巡らせる。
そういえば先日、夏梨と2人で会っているところを黒崎に見られた。別に会話してただけだが、黒崎がやたらと動揺していたのが印象的だった。双子の妹のほうの遊子に至っては、一・二回しか会ったこともない。一体コイツは何を過剰に心配してるんだ、とため息をついた。
「この親馬鹿……じゃねえ、兄馬鹿か。考えすぎだ」
「考えすぎって……」
「この忙しい時に、そんな用事かよ」
日番谷は、「出て行け」とでも言うように一護の前で手を振った。
「心配なら言っておいてやるけどな、別に何もねえ。これだって、ガキの遊びだろ。本気にするほうがおかしいぜ」
「隊長の自覚なんて、アテになりませんって」
笑いやんだ乱菊が、机の傍にやってきて日番谷を見下ろした。
「一護はこう言いたいんですよ。どうやってうちのかわいい妹を2人もタラシこんだんだって。あたしは一護のカンのほうが当たってると思いますけどね〜」
「てめぇは黙ってろ、松本! 人聞きの悪いこと言うな」
「でも、現に」
一護と乱菊は2人で、紙を指差す。
―― あのなぁ……
日番谷は、ため息をついた。この2人にこういう微妙な追い詰められ方をするとは思わなかった。


「……で。これを俺にわざわざ見せに来て、どうしろってんだ?」
うぅん、と一護はうなった。葛藤しているらしいのが、その表情からも分かった。

選択肢一) 「二度と俺の妹に近づくんじゃねえ!」
選択肢二) 「頼む、クリスマスに遊子に会ってやってくれ!」

一か? 二か? 日番谷は一護を見上げる。
対する一護も、心情的には一だ。でも、妹を取られたくない兄みたいで非常にカッコ悪いと思う。それに……背は低いし目つきは悪いが、日番谷は信頼できる男なのだし。2人を傷つけることは絶対にしないだろう。本気なのか分からないが、妹のかわいい初恋かもしれないなら、見守ってやるのが兄の役目だろうとも思う。
―― でもよ……よりによって相手が、死神ってのはねえだろ!
どうする? 一護は、遊子の無邪気な字を見下ろした。


「……頼む!」
しばらくの沈黙の後、無念、とでもいいたそうに頭を下げた一護を、日番谷はある意味同情して見返した。厄介な女が周りにいると互いに大変だな、とつくづく思う。
「え? なにあたし見てんですか、隊長」
「なんでもねー」
一護は安心したような、余計心配になったような微妙な表情を作ったあと、懐に手を突っ込んだ。
「そっか。あと……それを聞いてくれるなら、もう一個頼まれてくれ」
「は? フザけんなよ。何だよそれ」
続いて一護が出してきたものに、日番谷は不機嫌そのものの声を出した。