12月25日の東京都心は、最も混雑している街のひとつだろう。大通りは、満員電車のような人の波で溢れていた。
時刻は、午後4時59分。
「あと、30秒だよ!」
遊子が腕時計を見下ろして、弾んだ声を上げた。
「こっちの方が全体、よく見えるぞ!」
ジン太が横断歩道を渡った向こうで手を振る。
「もー、ジン太君、迷子になっちゃうよ」
ウルルが人ごみの中を掻き分けるようにして、ジン太の後を追った。なにしろ、ものすごい人だかりなのだ。普段ウルル達が住んでいるエリアは、郊外の住宅地だけあって混雑することはほとんどない。したがって、これだけの人ごみには免疫がなかった。


横断歩道の右側には、なだらかな坂が続いていた。そして、道の両側にはきらびやかな店が並んでいる。どれも、名前は知っているが店自体は見たことがないような、有名ブランドの店ばかりだった。
「おいジン太! ウロウロすんなよ、もう時間だぞ!」
背中の波に消えそうなジン太を見やり、一護が大声を出した。膝くらいまで長さがある黒コートを纏っているせいで、その姿はいつもより大柄に見える。その両脇には、遊子と夏梨が身を乗り出している。
「あーもー見えねー!」
夏梨が、ぴょんと一護の背中に飛び乗った。
「おい夏梨! お前スカートはいてんの忘れんなよ、人の上に乗んな」
「見上げんなよ、一兄!」
全く、と一護はため息をつきながらも、前のめりになって妹の小柄な体を支えた。クリスマスということで、みんな常以上格好には気を使っている。遊子は淡い緑のワンピースに、元気なオレンジ色のコートを着込んでいるし、ウルルはピンクのジャケットに長めのスカート、ジン太だけはそれほど変わらないが、茶色のコートを羽織っている。しかし中でも変わって見えるのは、ミニスカート姿の夏梨だった。この妹がスカートを履いているのを見たのは、一護でさえ何ヶ月ぶりかと思う。ちょんと頭にキャスケットをかぶっているせいもあって、いつもよりも女の子らしく見えた。


「5! 4! 3! 2! 1!」
弾んだ遊子と夏梨の声は、混雑の中でもよく通った。
「0!」
その瞬間、その坂の全てのイルミネーションが点灯した。途端に、その場にいた全員の顔がパアッと色とりどりの燈に照らし出され、一瞬の沈黙の後に、歓声が通り全体に響いた。
「すっげぇ……」
前かがみになった一護の肩に膝を乗せ、夏梨は通りの向こうに見入っている。一方、一護は夏梨が落ちないよう支えながら、通りの向こうに意識を凝らした。
―― 来たな、アイツ。時間通りだ。
一護は、霊圧を察する能力は決して高くない。「鈍い」と何人にも言われているから、よっぽど鈍感なのだろうと思う。ただ、この霊圧は自分にも分かる。湯の中に氷を落としたかのように、明らかに異質な空気。その冷たい一筋の流れが、一護のところにも届いた。


「おい、夏梨」
「ん?」
顔を上げ、その耳元に呟いた。
「来てるぞ、アイツ」
パッ、と夏梨が顔を上げる。そして、坂の上のほうを見上げる。もしかすると自分よりもよっぽど、相手の位置を補足する能力は強いのかもしれない、とその横顔を見て一護は思った。
―― いや、それだけじゃないか。
誰の霊圧でも同じように、とらえられるわけではないだろう。
「迎えに行ってやれよ」
「う! うん!」
夏梨が弾むような足取りで、一散に駆けてゆくのを一護は見送り……少しほろ苦い笑みを浮かべた。

 


「こりゃ、本当に夜なのか?」
日番谷は、一斉に街を照らし出すイルミネーションを見上げて歩きながら、呆れたような声を出した。瀞霊廷では、夜は暗いものだ。少し通りを入れば、自分の掌もハッキリ見えないほどの闇が広がっている。どこでも夜は当然こんなものだと思っていたが、この現世の街は昼間のように明るかった。
―― 面倒くせぇな、もう……
結局、一護との約束の時間に、約束の場所へは来た。しかし、正直言って早くももう帰りたい。何より、この人ごみ。瀞霊廷の人間を全員集めてもこうはならないだろうと思うほどの混雑に、日番谷はうんざりしていた。
―― 歩きにくいしよ、この格好も。
乱菊や雛森がおもしろがって着せてきた服を見下ろしてため息をつく。長袖の、薄いブルーのTシャツの上に、こげ茶色のニットを重ねていた。その上には、黒革製のジャケットを羽織っている。古着風のジーンズに、黒のショートブーツを履いていた。いつもこんなものをごてごてと着込んで歩き回らないといけないのだから、現世の人間は大変だと思う。


 金色の光が目を打ち、日番谷はちらりと横のショーウィンドウを見やる。そこには、長身のマネキンがコートだのバッグだのを着せられてポーズをとっていた。
「鞄が40万円……? 高いのか、これ?」
値札を見ても、高いのか安いのか見当がつかない。松本が好きそうだ、と日番谷が見入っていたとき、ポンとその肩が叩かれた。
「……誰だ?」
見上げると、黒いスーツ姿の男が3人、こちらを見下ろしてニコニコと笑いを作っていた。
―― 同じ格好……
ということは、この黒い格好は瀞霊廷で言う死覇装みたいなものだろうか。日番谷がそう思った時、男の一人が話しかけてきた。
「突然ごめんね、ボク。お父さんかお母さんと買い物かな?」
「ボ……」
ボク? 日番谷は絶句する。何なんだこの気持ち悪い言葉遣いは。しかも、それは自分をさしている言葉のようだ。これが瀞霊廷だったら、なんだその言葉遣いはふざけんな、位は言っているだろうが、ここは現世。郷に入れば郷に従えだ、と日番谷は不本意ながらも首を振って答えた。
「違う」
「じゃ、お兄さんかお姉さんかな?」
ああもうイライラする。そう思うが、もう一度首を振った。
「それより、アンタら誰だ」
もう一度、同じ質問を繰り返す。このまま、じゃあ従妹か叔父か曾婆さんか、と続けられたたらたまらない気がした。男は少し困った顔をして、懐からなにやら小さな紙を取り出した。


「僕、こういう者だよ。テレビ局でディレクターをしているんだ」
日番谷は、差し出されたそれを見下ろす。しかし、はっきりいって名前しか読み取れない。名前以外には、意味の分からないカタカナが羅列してあった。日番谷が黙ったままで居ると、他の2人も身を乗り出してきた。
「君、すごく目立ってるんだよ。あ、もちろんいい意味でね。テレビとか雑誌に出たいとか、思ったことないかなぁ」
雑誌。日番谷の頭の中に、瀞霊廷通信が思い浮かんだ。寝顔だの写真集の広告だの、乱菊の陰謀で好き放題載せられた、あの不本意極まりない雑誌が。ぶんぶんと頭を振る。
「ま、そう言わず、さ。よければちょっと話しないかい? 保護者の方がおられるといいんだけど……迷っちゃったのかい?」
背中にぽん、と手をおかれて、日番谷は心中困惑した。


―― どうする……
死神の現世マニュアルには、街でスカウトされたときの対処法なんて書いてない。面倒くさいぶっ飛ばしちまうか、と一瞬思った考えを、押し返した。一介の死神ならいざ知らず、自分は隊長なのだ。見本になるべき自分が、現世で人間を伸したなどという風聞はまずい。だが、口で言い逃れしようにも、この男達が何を言っているのか、さっぱり分からないのだ。
―― とりあえず、ついてって隙を見て抜けるか……?
3人に囲まれている今の状態だと、スルリと抜け出すわけにもいかない。日番谷が観念しかけたときだった。だだだ、とこちらへ向かってくる足音が聞こえた。日番谷が振り返ろうとした、その瞬間―― 
ぼすっ!!
音を立てて、日番谷の頭に帽子がかぶせられた。鍔が目の辺りまで来ているせいで、周りが茶色一色になる。帽子ごとぐい、と背後に引かれ、日番谷は不本意にもよろめいた。


―― なんだお前!
くらいは言ってやろうとした時。耳がキーンとなるほどの大声が聞こえた。同時に誰かが、自分を押しのけんばかりの勢いで自分の前に立つ。
「街中で何子供さらおうとしてんだよっ、オッサン!!」
この声! 日番谷は帽子の鍔を押し上げて、目の前の光景を見やった。夏梨が日番谷を庇うように一歩前に出て、男を睨み付けている。


「浚うって人聞き悪いなぁ、僕は○○テレビ局の……」
「テレビ局だろうが政治家だろうが、人を勝手に連れてったらいけねえって、親に教えてもらわなかったのかよ!?」
その剣幕に、男達は3人とも困ったように顔を見合わせた。夏梨は構わずに続ける。
「これ以上しつこくしたら大声だすからね! おおーい! ここに変な……」
「ち、違うって! この子、保護者とはぐれてたみたいだったからさ……」
「あたしが保護者だ!」
夏梨は間髪いれず、言い切った。そして、固まっている日番谷の手を取ると、
「こっち来い!」
タタッ、と人ごみの中に駆け込む。男達の声が、あっという間に雑踏にまぎれた。