「おい! 待てって……」
自分の手を引っ張ったまま、ぐんぐんと走ってゆく夏梨の腕を、日番谷は逆に引っ張った。気づけば、小さな噴水のある広場の前まで来ていた。
「冬獅郎、お前なぁ!」
立ち止まった途端、夏梨はがばっと振り向いた。
「知らない奴に声かけられても、ついていっちゃいけねえんだぞ! 危ねーだろ」
危ない。そう言われて、日番谷は一瞬キョトンとした。夏梨はそれを見返して、頭を掻く。
「あー、そりゃお前は死神だから危ねぇってことはないけどさ。でもこんな街中で刀振り回すわけにはいかねーだろ?」
「振り回すかよ……」
といいながら、ぶっ飛ばしてやろうか、と一瞬思った自分を考えれば、それ以上は言い返せない。頭に載っていた夏梨のキャスケットを手に取る。
「いいよ。かぶっとけよ。自分じゃ分かんねーだろうけど、その銀髪が一番目立つんだ」
「そういうもんか」
「そういうもんだ」
夏梨が返すと、日番谷は素直にもう一度帽子をかぶりなおした。


現世に戸惑っているだろうな、と夏梨は思う。噴水を見上げる日番谷の表情は、帽子をかぶっているせいか、眉間の皴が髪に隠れて見えないせいか、びっくりするほど子供に見えた。その時夏梨は初めて、日番谷が自分よりも身長が低いことに気づいて心中動揺する。
―― 保護者。
ついそう怒鳴ってしまったが、傍から見れば確かにそう見えるくらいなのだ。特に、いくら死神だろうが、こんな現世の町での過ごし方など、まるで知らないに違いないのだ。ちゃんと自分が見ててやらないと、と夏梨が思った時だった。


「夏梨」
その翡翠色の瞳が、夏梨に向けられた。ドキン、と胸が高鳴る。どうしてなのか自分でも分からないが、日番谷に名前を呼ばれると、いつだってビックリする。外見が子供でも、中身はそうじゃない。これまで限りなく、いろんなことを見てきて、感じてきたんだろうと思う。だから、ふとした眼差しとか、声とか、内側から放たれるものは、他の子供とは明らかに違っていた。
その声で呼ばれると、慣れきった自分の名前が、すごくいい名前みたいに思えてしまうから不思議だ。
「ありがとうな。正直、困ってた」
「あ、ああ。気にすんな」
そこまで素直になられると、こっちのほうが照れる。夏梨はそう思いながら、慌てて首を振った。


「もしかしてさ。遊子の願い事……見たから、ここに来たのか」
そうに違いない、と思いながらも聞いてみる。偶然通りかかる、なんてことはないだろうから。
「お前の兄貴が来たんだよ」
思ったとおり。思わず夏梨は、憮然とした表情の日番谷をよそに噴出した。なんだかんだ言って、一護が呼びに行けば、日番谷はしぶしぶながらも来るだろうと思っていた。
「お前の双子の妹には、あとで言いたいことがある」
「まーまー、そう切れんなよ、悪気はねーんだから」
「だから余計厄介なんだよ……」
日番谷は、ため息をついた。


「ンなことより、いいのかよ、いつまでもここに居て」
「え? ああ」
言われて、周りを見回して……夏梨は、自分がどことも知れない場所にいるのに気づいた。とにかく男達の視界のとどかないところに、ということしか考えていなかったのだ。きょろきょろあたりを見回した夏梨をよそに、日番谷はスタスタと歩き出す。階段をおりかけたところで、夏梨を振り返った。
「ついて来いよ。黒崎の居場所なら霊圧で分かるから」
「お前、やっぱり便利だなー」
「うるさい、おいてくぞ」
ゆっくりした足取りで歩き出した日番谷の背を追い、隣に並ぶ。


「何笑ってんだよ?」
「え? 笑ってねえよ」
そう返したものの、笑ってたかもしれない、と夏梨は思う。初めて来る都心のイルミネーションの中を、現世の格好をした日番谷と一緒に歩いてるなんて。まるで合成写真のようにそぐわないが、気分が浮き立って仕方なかった。おかしなことだと思う。日番谷は無口だし、冗談を言うわけでもないのに。ただ歩いているだけなのに、妙にその隣にいるのが嬉しい。できることなら、このままずっと歩いていたいと思うほどに。

 


きらびやかなイルミネーションが競演している坂を下ったところで、一護たちが待っていた。
「あ! アイツ!」
ジン太がいち早く気づき、日番谷を指差す。
「あ――!!」
次に気づいた遊子が、歓声を上げる。
「冬獅郎くん! 本当に来てくれたんだね! サンタさんにお願いしてよかった!」
ぴょんぴょんと飛び跳ねて喜ぶ遊子の隣で、一護は実に微妙な表情をしていた。日番谷は、ジン太や遊子の言葉が耳に入っていないかのように、肩を怒らせてこちらに歩いてくる。
―― おぉ、怒ってる……
どういうリアクションで来るのかと思っていたが、忙しいだろう年末にいきなり呼び出されたんだから、ハラを立てても仕方ないのかもしれない、と一護は思う。大体日番谷からしたら、自分が何かした自覚は無いのに、一護に頭からキレてかかられたのだから、いい迷惑だろう。


 果たして、日番谷は遊子のほうへ一直線に、大股で歩いてくる。
「お前なー……」
対する遊子は、日番谷の怒りにも全く気づいていない様子で、これまた一直線に日番谷に駆け寄る。
「冬獅郎君じゃねえ、日番谷隊長だって何……」
「この間は助けてくれてありがとう!」
日番谷がビシッと指さした先には、何もなかった。ちょうど、ぴょこんと遊子が頭を下げたからだ。
「ホント、あの時の冬獅郎くん、かっこよかったよ〜」
くるん、と両手を組み合わせてあさっての方向を向く。日番谷の指先は放置されたままだ。
「おいっ、聞いてるかヒトの話?」
「あっ、あのケーキおいしそー! 行こうよ冬獅郎くん!」
ダメ押しのように冬獅郎くんを連発しながら、遊子は日番谷の伸ばしたままだった腕を取り、ケーキ屋のショーウィンドウの方に連れて行こうとする。
「……」
日番谷が、恨みがましい目で一護を見た。
「……いや、なんていうか、その、すンません」
わずか数秒で日番谷が陥落させられるのを見た一護は、今度目茶なことを日番谷に頼むときは、遊子を通そうと思った。

 

そして一護は、ふと視線を夜空に向けた。
―― 虚は、きてねぇな……
少しだけ安心して、夏梨をチラリを見やった。最近、夏梨の霊圧がどんどん高まっていることを、一護は心配していた。元々一護ほどではないが霊力が強く、さまざまな例を呼び集めていたが、最近とみにその頻度が増している。夏梨も気づいているのだろう、人が集まる場所には近寄らないようにしているらしいのが、見ていて可哀想だった。今日も、一護が一緒だというから出て来たに違いないのだ。……まぁ、途中で日番谷が合流することを期待していたのかもしれないけれど。そこまで考えて、一護はほろ苦く微笑んで夏梨に向き直った。
「……夏梨?」
夏梨は、日番谷と遊子が会話をしているのを、通りの向こうから黙って見ていた。いつもの元気な姿はどこへやら、遠い目をしている。まるで見てはいけないものを見てしまったような気がして、一護の心もズキンと痛んだ。


「……冬獅郎」
一護は、日番谷の肩を後ろから掴んだ。
「悪ぃな、来てもらっちまって」
「何を今更」
日番谷は一護を睨み上げた。無理押しした自覚がある一護としては、苦笑するしかない。
「いや、そのうち埋め合わせするからよ。十番隊の仕事でも手伝うぜ」
「……構わん。どうせ、ここに来たのも仕事込みだ」
「こんな時まで仕事かよ」
「死神にクリスマスなんかねーよ」
そりゃそうか、と一護は笑う。ただ、日番谷も無愛想ではあるがいつもより多弁だから、機嫌はいいのもしれない。


「俺、別の用事あるから、行くぜ」
織姫の家で、クラスメート何人かでクリスマスパーティーをやる予定だった。そろそろ行かなければ、約束の時間に遅刻する。
「あぁ、かまわねーけど」
振り返った日番谷が頷く。日番谷なら、どんな虚が出てきたとしても安心だ。夏梨を見やり、一護は小さく耳打ちした。
「夏梨の……頼むな」
「何度も言わなくても、分かってる」
仏頂面で頷いた日番谷に笑みを返し、一護は背中を向ける。
「えーー!? おにいちゃん、行っちゃうの?」
「えーっ、て、夜には家でまた会うだろうが。冬獅郎だけじゃ不満なのか?」
「ううん! 全然平気!」
遊子に脇から腕を取られた日番谷は、非常に憮然としているが文句は言わない。言ったってムダなことに気づいたのだろう。若干気の毒な気もしつつ、一護は背中を返した。