「ねぇ、サンタさんを見たの?」
「……は?」
「あたし、サンタさんに頼んだんだよ? 冬獅郎くんって。それで冬獅郎くんが来たってことは、サンタさんからお願いされたんだよね?」
「バッカ遊子、サンタクロースなんかいるわけねーだろ!」
「いるもん! 絶対いる!!」
「悪い子のところには来ないらしいよ、ジン太くん……」
「なンだとウルル? お前、俺が悪い子だってドストレートに言ってるか?」
「でもでも! 冬獅郎くん、サンタに会ったんでしょ?」
「そうじゃなきゃ、このタイミングで来れるはずないです」
「は? そうなのかよ、冬獅郎!」
「だから! 俺は日番谷隊長だっつってんのが分かんねーのか!!」
日番谷のひときわ大きな声が通りに響き、少し後ろを歩いていた夏梨は、ハッと我に返った。日番谷は面倒くさそうに三人を振り返る。
「……会った」
「はぁ!?」
三人の声がシンクロする。
「すげー息切れしてた」
「マジかよ!?」
それを聞いた夏梨は、クスッと思わず笑う。息せき切ってソウル・ソサエティの日番谷を訪れた一護の姿が、目に見えるようだった。その正体は一護だ、といわないところが、日番谷の日番谷らしいところに思えた。


「おい夏梨、どーしたんだよ、置いてくぞ!」
「あ、ああ。すぐ行く」
ジン太にぼやけた返事を返して、嬉しそうに日番谷に話しかける遊子の横顔を見た。双子の自分が言うのもなんだが、嬉しそうなその表情は、ホントにかわいいと思う。こんな風に夜に遊びに出るのも、遊子にとって、どれくらい久しぶりなんだろうと思うと心が痛んだ。
いつも楽しそうにしているから気づきにくいが、母親がいない黒崎家で、家事全般をこなすのは並大抵のことではない。放課後遊びに誘われても断って、家にまっすぐ帰っているんだろう。学校から戻れば洗濯物を取り入れて、すぐに買出しに行って晩御飯をつくらないと間に合わない。何度も手伝おうとしたが、自分がどれほど不器用かということを知らされるばかりだった。自分がもっと器用なら、もっと遊子の負担を減らせるのに、と思う。


―― あたしにできるのは、「イイ子」でいるだけなんだから……
夏梨がまだ幼い頃、母親は命を落とした。一家の中心だった母親を失った家族はボロボロで、それをもう一度つなぎ合わせるために、それぞれが自分の「役割」を作った。大黒柱としての父親、妹を護る兄、家事を引き受ける妹。そして……何もできなかった夏梨が見つけたのが「手のかからない子」というポジションだった。頑丈で、男勝りで鈍感で、放っておいても平気な子。それが「黒崎夏梨」なんだから。パン、と軽く掌で頬を叩き、妙に冴えない自分をリセットする。


「オイ、待てよ!」
駆け出そうとした時、チラリと脇にある雑貨屋に視線が吸い寄せられた。いつもの夏梨なら絶対に素通りする、明らかに女性向けの外観だった。ショーウィンドウの中の商品は、どれも0がひとつ多すぎやしないか、と思うような値段だ。その中のひとつから、夏梨は目が離せなかった。それは、携帯につけるストラップのようなものだった。銀色の輪がいくつも連なっており、輪にはそれぞれ小さな翡翠色のガラス球がはめ込まれている。そのストラップにはガラスや皮製の花も取り付けられ、キラキラと輝いていた。きっとこんなのを買うのは、自分よりずっと大人で、ずっと女らしいひとなのだろうと思う。
「……やっぱ、いいや」
こんな女の子らしいもの、「黒崎夏梨」には似合わない。そう思った夏梨は、4人を追って駆け出した。

 


夏梨が駆けつけた時、先を行っていた四人は足を止めていた。
「すっごーい、ヨーロッパのお城みたいな階段だね!」
弾んだ声で、遊子が目の前の建物を指差している。見上げれば、それは本当に小さな城に似ていた。屋根から壁まで真っ白に塗られ、青いイルミネーションに飾られているそれは、ファンタジーの世界から抜け出してきたように見える。入り口は螺旋階段になっていて、ゆるやかに孤を描く階段の向こうに、瀟洒(しょうしゃ)に飾りつけられた玄関の扉が見えた。


「ここ、レストランみたいだな、高そー……」
夏梨は、階段の前に立てかけられている黒板を見やった。そこには、クリスマスメニューが英語と日本語で走り書きされている。
「うわ高っけぇー!!」
「でも素敵だね……」
ジン太とウルルの話し声を聞きながら、遊子は螺旋階段をキラキラした瞳で見上げた。
「一度でいいから上ってみたいなぁ」
映画で、お姫様がドレスの裾を引きずって降りてくるような。そんな場面が似合う。
「じゃ、上がればいいじゃねぇか」
あっさりと、日番谷がそう言うと足を進めた。
「え……ええっ、冬獅郎くん!」
慌てて呼び止める遊子をよそに、日番谷は悠々とした足取りで階段をあがってゆく。ウルルがおろおろと日番谷と建物を交互に見やる。
「こんなとこ、入れてもらえないよ〜……」
「いいから」
「しらねーぞ、もう!」
やけくそのようにジン太が後に続いて、大股で階段をのぼってゆく。きょろきょろしながらウルルが、目を輝かせながら遊子がその後に続いた。最後に夏梨は、前の四人を見て、
「まー、なるようになるか……」
呟きながら、階段を上った。

 


「おいっしーい!!」
遊子が、一口頬張るなり歓声を上げた。
「これ、ウチで作れないかなぁ。この黒いツブツブなんだろ? 本当においしいね」
「お客様、これはキャヴィアでございます」
「キャヴィア……ってキャビアか!! あの幻の!」
ぽろり、とさっきからフォークからこぼしてばかりのジン太が、そう叫んだ。
「……箸持ってきてくれ。4人分」
「はい、かしこまりました」
料理を運んできたウェイターが、洗練された笑顔と共に日番谷に頭を下げ、店の奥に姿を消した。


夏梨は、何で出来ているのかわからない味がするスープを口に運びながら、周りを見回した。ちらちらと、自分達に視線が集まるのが分かった。
 もし日番谷をのぞいた4人だったら、まず店にも入れなかったに違いないと思う。格式的に、十歳足らずの子供が入れるような店じゃないのは一目瞭然だった。しかし、「席あいてるか?」全く何の変哲も無いその言葉に、出てきたウェイターは一瞬言葉に詰まってから、「どうぞお入りください」と、当然のようにドアを開いたのだ。そして店に入った途端、店にいた客たちが一斉に日番谷を振り返るのを、見てしまった。
 日番谷冬獅郎という男には、なにかしら人を従わせる空気がある。元々備わっている気質なのか、隊長という立場がそうさせるのかは分からないが、彼が何か請われてNOと返せる者はそういないんじゃないかと思う。


「なんだよ、ジロジロ見やがって」
器用にナイフとフォークを使っている日番谷は、いっそ腹が立つほどその場にしっくりと馴染んでいた。場が違うが、日番谷はこういう堅苦しい場に慣れているのだろう。ウェイターに対する話し方や、食べ方がいかにも「らしく」て、嫌味なほどだった。
「冬獅郎! お前一体なんで、ナイフとフォーク使えんだよ? あっちの世界にはないだろ、そんなモン」
「切るのは得意だ」
スッ、と刃先を肉に滑り込ませながら、日番谷はしれっとした表情で返した。その表情を見て夏梨は絶句する。そりゃそうだ。そりゃそうだけど。趣味の悪い返事だと思う。

 
「ど、どうやったらちゃんと切れるの?」
遊子が、ナイフとフォークを危なっかしく使い、ステーキと格闘している。
「持ち方が悪い。フォークはこうやって持つんだよ」
日番谷が、隣にいた遊子に椅子を寄せると、遊子の手を上から握りこんだ。
「!!」
遊子の顔がボッと赤くなり、対照的にジン太は白くなる。
「フォークボール!!」
瞬間的に、ジン太は持っていたフォークを日番谷に向かって投げつけた。弧を描いて飛んだそれを、日番谷は見もせずに逆の手で受け止める。そしてやってきたウェイターを見て、ジン太と夏梨を目で差した。
「はい、お箸ですね」
「お! 俺は箸なんて……」
「使えって。このままじゃ食い終わるまでに夜が明けるぞ」


そりゃ、そうだけど。夏梨は、ウェイターから箸を受け取りながら、妙な形に分断された肉を見下ろす。そりゃ、あたしは不器用だ。そうなんだけど……
「お、お前けっこう器用だな」
「お! お褒めに預かりまして!!」
緊張したせいか言葉遣いがおかしい遊子と、日番谷が親しそうに言葉を交わしている。うらやましい、とチラリと思って、慌ててその考え方を引っ込める。こんな考えは、まったくあたしらしくない。でも……確かにその時、屈託もなく日番谷に笑いかけ、甘えられる遊子をうらやましいと思ったのだ。
「どうしたの? 夏梨ちゃん」
不意に席を立った夏梨を見上げて、ウルルが首を傾げる。肉と格闘しているジン太と、話し込んでいる日番谷と遊子はそれには気づいていない。
「ちょっとトイレ行ってくる」
それだけ言うと、夏梨はにぎやかな席を残して、その場から踵を返した。