「寒……」
夏梨は、セーターの腕をぎゅっと抱きこむように握った。店の中では暑いくらいだったが、12月の寒風の下でコートが無いのは辛い。どうして、出てきてしまったんだろうと思う。でも、楽しそうに話している日番谷と遊子を見ていると、何だか寂しくなるのだ。なんだか、調子が狂っている。ちょっと頭を冷やしてから、戻ろう。そう思って、夏梨は裏の通りに足を踏み入れた。
大通りの騒がしさが嘘のように、細い道を少し行けば、人は一気にまばらになった。マンションと見間違えるほど立派な家々に混じって、戦争前からあったのではと思うような古い寺なども見える。本当に古いな、と夏梨が境内を覗き込んだとき、一組の男女がひそやかに囁き合っている声が聞こえた。何気なく声のほうを見やると、ふたつのシルエットが壁に大きく映し出されていた。それがゆっくりと重なるのを見て、夏梨は慌てて視線をそらせる。
―― もどらなきゃ……
そう思いながらも、レストランでの日番谷と遊子の様子が、どうしても頭に甦ってくるのだ。
「あたし、は」
そんなはずはない、と思う。冬獅郎はいいヤツだ。大事な友達だと思う。死神が人間とかかわりを持ちすぎていいはずがないだろうに、こうやってたまに現世に来てくれる。それで十分じゃないか、と思う。
「あたしは、これ以上、願ったりしない……」
自分のせいで誰かを困らせるのは、嫌だ。相手が日番谷なら、なおさらだ。
―― リセットしなきゃ。
そう思うけど、うまくいかない。どうしてこんなに調子が狂っているのか、自分でもよく分からないのだ。自分で、暴れ馬のような自分の感情をもてあましている。ひとつ、息をついた時だった。ここにいるはずのない声が聞こえたのは。
「夏梨」
その声に、夏梨は信じられない思いで振り返った。銀色の髪が、遠いイルミネーションを受けて、キラキラと輝いている。
「冬獅郎……なんで? 追ってきたのか?」
思わず夏梨は、日番谷から目を逸らした。その翡翠色の目に見つめられたら、自分の考えていることを読まれてしまいそうな気がした。日番谷は、夏梨にまっすぐに歩み寄りながら返した。
「しばらく経っても戻ってこないから、心配したんだよ」
心配。その言葉に、夏梨の心臓がギュッと締め付けられる。苦しかったが、イヤじゃない。そんな気持ちだった。
「わ、悪ぃ。じゃあすぐ戻ろっか」
わざと元気に言うと、日番谷の隣に立った。トイレに行くといったのに、どうしてこんな外にひとりでいるのかと聞かれたら、答えようがない。
「あぁ」
日番谷が頷いたとき、境内で人の気配を感じた。日番谷が境内に視線を泳がせる。つられて見やると、しっかりと抱き合った男女の姿が見え、夏梨は慌てて日番谷の腕を掴んだ。
「い、行こうぜ!」
視線を戻した日番谷は、まっすぐに夏梨に視線を向けた。感情を湛えていないその瞳は、なんだか他人のように見える。
「と……冬獅郎?」
「ま、いいじゃねえか。ちょっとくらい遅れても」
え?
日番谷が、大通りに背中を向けた。
「何言って……はやく、戻らなきゃ」
夏梨は、自分の耳を疑った。次いで、これは本当なのかと感覚も疑った。
左の二の腕に、指の感触があった。優しいが抗えない、そんな意志を持った掌が、夏梨を日番谷の体に引き寄せる。どくん、と心臓が高鳴った。自分の腕に手をやっているのが日番谷だと思っても、見て確かめることは怖くて出来なかった。日番谷の体温があたたかく、夏梨の右肩を包み込んだ。
「ど……どうしたんだよ? お前なんか変だぞ!」
声が、上ずっている。何も言わない日番谷の横顔が、何だかとても怖かった。日番谷は無言のままレストランとは逆の方角に、夏梨の肩を抱いたまま先へと進んだ。足がもつれそうになり、夏梨は慌てて歩くことに集中した。
「冬獅郎!」
「……なんで、そんなに何回も呼ぶんだ」
慌てる夏梨を面白がるように、日番谷は笑みを浮かべて夏梨を見下ろしてきた。その余裕が悔しくて、夏梨は日番谷を睨みかえす。
「イヤなのか? 俺とこうして歩くことが」
「い!?」
夏梨は、とっさに大声を出して、その場につんのめりそうになった。
―― なんだコイツ、酔っ払ったのか?
酒なんて飲んでないはずだ、と慌てて確認する。どうしよう、どうしようと思う反面、振り払おうと思えないことも確かだった。
「イ……ヤじゃ、ねぇけど」
やっとの思いで口にしたとき、耳の先まで赤くなっていることを自覚した。
暗がりへ、暗がりへ。少しずつ進んでゆく。もうすれ違う人もいない。レストランで遊子たちが待ってる、とか。一体どこへ行くんだろう、とか。そんな心配は、全部吹き飛んでしまっていた。ただ、自分の肩に手を乗せた日番谷の指の感覚だけに、全神経を集中させていた。
「だろうな」
日番谷は、誰もいない公園までやってくると、中に夏梨を導きいれた。誰もいない中で、風にゆられてブランコだけが軽く揺れている。ブランコの横の大木までやってくると、日番谷は夏梨の背中を、そっと木の幹にもたれかからせた。
「だろうなって……なんだよお前、何考えてんだよ!?」
「男なら当然、女に対して考えることだよ」
男。女。その響きに、なぜかゾクリとした。日番谷が一歩、こちらに足を踏み出した。背後に後がないことが、急に怖くなってくる。
「こうなってほしいと思ってただろ?」
「な……にを」
サッ、と視界が暗くなる。日番谷の体が近づいたのだ。吐息が夏梨の頬を撫でる。
「俺に惚れてるんだろ? 夏梨」
ビクリ、と全身が硬直する。それは知られちゃいけない。絶対に知られちゃいけないことなのに。あまりのことに、思考がついていけない。ただ、近づくその顔を、見上げることしか出来なかった。