「現実にはユメを。ユメには花束を」
現実が辛くて、ユメに癒しを求めるヒトたち。
そんなヒトがいる限り、あたしたちは存在し続ける。
伽藍(ガラン)
伽藍(ガラン)
ここは……どこ?
鉦(かね)が鳴る音が聞こえる。
澄んだ空気が、頬を緩やかに撫でてゆく。
暖かな日差しが、あたしの短い髪を揺らしてゆく。
あぁ……これは、誰かのユメだ。
あたしは、スッと目をあけた。
空も山も鳥も草も水も人も心も、
芯まで染め通るような、圧倒的な夕焼けの朱(あか)。
あたしは息を飲む。
これは、誰のユメだろう。
圧倒的で、美しくて……そして、訪れるヒトの心を、寂しくさせる。
きしきし。
音を立てて、誰もいない廊下を歩く。
鉦の音が聞こえるのに。人の声が聞こえるのに。
誰も人の気配がしない。
だれも、いないの?
そんなハズない。このユメを見ている本人が、どこかにいるはずなのに。
これじゃ、まるで伽藍堂(がらんどう)だ。
夕焼けの太陽に、人肌のような温められた柱に手をやり、あたしは庭を眺めやった。
整えられた枯山水。白くて丸い石の上に、さざなみのように夕日が広がる。
「誰」
あたしは、庭の向こうにしつらえられた、鉦を見やった。
ヒトが隠れられるほど巨大な鉦の陰にもたれかかる、誰かの後姿を見たから。
大人の、男のヒトだ。
痩せすぎ、というわけじゃないけど。
着物から覗く鎖骨が、やけに目だって見える。
長めの手足を、無造作に床に投げ出している。
あたしが歩いてくる足音は分かるはずなのに、顔は背けられ、庵の向こうの遠い景色に、視線を向けていた。
伽藍。
がやがや。
鉦の音が聞こえるのに。ヒトの声が聞こえるのに。
その人の周りは、森閑と静まり返っている。
ヒトのぬくもりは、そこにはない。
悲しいんだね。
寂しいんだね。
その姿は、誰も否定していないようで居て、誰も傍に寄せつけない。
―― お前は誰だ
思念が、直接頭に届く。
あたしは名を名乗った。
あたしの名は切羽(キリハ)。
ユメに逃げ込みたいほどに、辛い現実をもつヒトに。
そのヒトが望むユメを見せる。
それがあたしの仕事なの。
ひどい仕事だ、とそのヒトは言った。
ヒトの不幸を食い物にするなんて。
薄い唇。口角を上げるしぐさは、普通は「ホホエミ」と言うんだろうけど。
ただ口の端にシワを寄せただけに見えた。
「アナタだって、ユメに逃げ込んでる一人でしょ?あたしたちを求めるヒト以外には、あたしの姿は見えないし、声も届かないもの」
鉦のそばまで歩み寄り、あたしは鉦にそっと手をやった。
この鉦はきっと、高らかに鳴り響くことはない。そんな気がした。
―― 覗きこむな、俺の心を
そのヒトは、不意にそう言った。
覗き込んでもムダだって。
何もないから。
この風景と同じように、自分の心は伽藍堂だから、と。
「そうかな」
アタシはそう言ったけど、もう何も言わずに、黙り込んだ。
そうは……思えないけど。
ユメ、か。
あたしがひとつ、アクビをするくらいの間をあけて、彼は言った。
ギフトサービスはしてるのか? って。
「してるけど……ユメをあげたいヒトがいるの?」
一人ほど。
「ふぅん。まぁいいよ。人数分のお金さえくれればいいから。
お金はどうやって払うかって? 今、財布出して払ってくれればいいの。
このユメから覚めたら、財布見てみなよ。ちゃんとお金、減ってるから」
ポン、とそのヒトがまるごと財布を投げてきたから、あたしはびっくりした。
「いいの? そんなに」
いいのいいの。そんな感じで、彼はヒラヒラと手を振る。
―― そろそろ、このユメから覚めないと
そのヒトの思念が、あたしの頭の中で囁く。
その姿が、ふっ、と消えそうにかすんだ。
同時に、まわりの夕焼けがどんどんぼやけて、ただの朱色の光になってゆく。
ユメが、覚める……
「ねぇ、誰にあげたいの?ユメ」
それを聞かなきゃ、あたしは仕事ができない。
今にも消えようとしているそのヒトは、ふっと微笑んで、その名前を口にした。
「分かった。そのヒトでいいのね」
あたしの問いに、そのヒトは微笑んだ。
その薄い口元が、初めて言葉をつむいだ。
「頼むで」
なんだ。
微笑めるんじゃない。
どうか、ホッとするようなユメをひとつ、頼むよ。
そのヒトは、最後にそう言った。
suite, sweet dreams・・・ ひとつなぎの、やさしいユメを。