導師クレフは「別邸」をもっている。
セフィーロ城に住居を移す前に住んでいた家のことで、彼が長い間に積み上げてきた研究の成果のほとんどが、別邸に残されているという。
しかしその別邸の内部については、「精霊の森」の中にあることが分かっているのみで、謎に包まれている。
その一方で、セフィーロの人々の、導師クレフの別邸に抱く憧れは強い。
大人にとっては、ほとんど全ての職業で目標とされている、最高位の導師の家を訪れるのは光栄以外の何物でもない。
子供にとっては、見たこともない動植物や鉱物などが所狭しと置かれているに違いない、想像するだけでも楽しい夢の場所でもある。
皆が憧れているにも関わらず、一般の人々は誰もその内部を知らない。
となれば、導師は誰も自分の家に招こうとしない偏屈もしくは偏狭な人だと思うのは間違いである。
来る者拒まず、去る者追わずだとクレフ自身が言っている通り、クレフの別邸には昔から、決して少なくない数の者が訪れている。
それなのに、なぜ公には誰も知らないことになっているのか。
その理由は、彼の家を訪問している時と、訪問した後にやってはならないとされていること――ふたつの「タブー」にあった。
ひとつめは、「導師クレフの家を訪れる際には、決して驚いてはならない」というものだ。
一度でもこのタブーを冒すとその場で即退場、二度と導師クレフの家を訪れることはできないというくらいだから徹底している。
しかも、グループで訪れた場合、一人でも驚いた態度を取れば全員同時にアウトだという。
要は、驚かなきゃいいんだろ? と誰もが思うが、実際のところクレフの家を訪ねて、門をくぐった者すら稀だと言うから謎が深まる。
「異常に小さい家なのではないか? ほら、本人もその、体のサイズがアレだから」
本人が聞けば噴火しそうな予測をする者もいた。しかし、彼の家を訪れたことがある者は、概して首を横に振るという。
「入ると同時にネズミに姿が変わるとか、薬の原料にされるとか……恐怖の館だったりして!」
本人が聞いたら呆れるあまり溶けそうな予測をする者もいた。しかし、経験者は首を横に振るばかりだという。
何が驚愕の原因なのか分かれば驚くこともないだろうが、それができない理由はただひとつ、もうひとつの「タブー」にある。
それは、「訪問した後に、導師クレフの別宅について語ってはならない」というものだった。
かくして本日にいたるまで、クレフの別宅は謎に包まれていた。
* last update:2013/8/26