「異常に小さい、ということはないと思いますわ」
紅茶がなみなみと注がれたティーカップを口に運びながら、風がそう言った。
「セフィーロ城内にあるクレフさんの部屋には、別邸から運び込んだという本が大量に置かれていますわ。部屋が狭くては物理的に入りませんもの」
確かに事実に即した、風らしい推測ではある。クッキーを手に取りながら、海が唸った。
「だからって、薬の原料とかって噂はただの冗談でしょ? クレフがそんなことに魔法を使うわけがないしね」
場所はセフィーロ城、光・海・風に宛がわれている共有の部屋である。冬にしてはぽかぽかと日ざしの暖かい日で、それぞれ上着は椅子の背に引っかけて、セーターやカーディガンの軽装で済ませていた。
「よし!」
光は急にティーカップをソーサーに戻すと、勢いよく立ち上がった。
「なに、どうしたの光?」
「クレフ、今日はセフィーロ城にいたよね? 別邸に連れて行ってくれないか、頼んでみよう!」
「って、今から?」
「……三人で行くのは、やめたほうがいいと思いますわよ」
すかさず風が口を挟んだ。
「どうして? 風ちゃん」
「一人でも驚いた態度を取れば、全員がクレフさんの家を訪ねる権利を失うのでしたわね? だとすれば、三人でお伺いするのはリスクが高いですわ。一人ずつお伺いすれば、チャンスは三回になります」
「さすが風ちゃん! じゃ、私行って来るね!」
その背中に向かってにこやかに手を振る風を見て、海はすぐに分かった。光と三人で行っては、確実に一発レッドカードだと風が思っているということが。確かに、純情直情一直線の光が、何が起ころうが平静を保つところを想像するのは難しい。
**
果たして……
「ダメだった……」
光が、意気消沈して戻って来たのは、風と海がゆったりとしたティータイムを終えたころだった。
「えっ?」
もう? と思ったのは二人一緒だったが、余計光を落ち込ませそうで、同時に言葉を呑み込んだ。
「クレフには頼めたのよね?」
「うん。部屋にいたから頼んでみたら、ちょうど別邸に行くところだってOKもらえたんだけど……」
「どこまで行けたんですの?」
「家が見えたところまで」
「えっ?」
この返事は、さすがに予想していなかった。家に入れたとか、門まで行けたとかいう以前に、家が見えた段階でもう駄目だったのか。一体どんな家なんだ、と好奇心は募る。
はああ、と光は彼女に似合わないため息を漏らした。どうやら、クレフの家の内部を見るのを本当に楽しみにしていたらしい。
「あんなの、びっくりしないなんて無理だよ……クレフも苦笑いしてた。でも、決まりは決まりだからって、一緒に戻ってきたんだ」
「びっくりしてもいいのですわ。要は、態度に表さなければ分からないのですから」
風がにっこりと笑ってそう言うと、スッと立ち上がった。
「い、行くつもりなの、風?」
確かに、この三人の中でポーカーフェイスが一番うまいのは間違いなく風だ。元々、「驚くべきことが起こる」のは分かっているのだから、何が起きても表情は変えない、と決めておけば、よほどのことが無ければ大丈夫な気がする。
「すみませんが、少しお待ちいただけますか?」
そう言った風の眼鏡の縁は、心なしか輝いているように見えた。
**
果たして……
「駄目でしたわ」
風が、何だか疲れた表情で帰ってきたのは、もう夕暮れに近い時刻だった。
「ええっ!? 風ちゃんも駄目だったのか……」
「で、風はどこまで行ったの?」
驚きながらも、光と海は矢継ぎ早に尋ねた。
「お願いしたら、苦笑されてましたが、今からでも構わんと案内してくださったんです。『別邸』の部屋に通されて、お話も少しできたんですが、お飲み物が出てきたところで限界でしたわ」
「げ、限界?」
二人は顔を見合わせた。風に「限界だ」と言わせるとは、一体何があったと言うのか、ますます意味が分からない。
「クレフさんはおっしゃっていました。『決して驚かせるつもりはないのだ。私にとっては日常なのだが』と。つまり、それが問題なのです。相手が驚かせるつもりでいるなら、こちらも何となく気配で分かるのですが、クレフさんにはそんなつもりはないんです。突然何の前触れもなく不思議なことが起こるのですもの」
受け身がとれない一本背負いみたいなものだろうか、と話を聞きながら海は想像していた。ふう、とため息を漏らした風が、海を見た。え、と海が周りを見まわすと、光の視線とぶつかった。
「あとは、海ちゃんだね!」
「私たちからできるアドバイスはこれだけですわ」
「これだけって……」
家を見て驚くな。飲み物が出て来る場面に気をつけろ。それだけ? と思わざるを得ない。
「海ちゃん、私たちの仇を取ってほしいんだ!」
「か、仇って」
クレフからすれば仇を討たれる筋合いなどなく、ただ別邸に案内した、ただそれだけだというのに。盛り上がっている光と風に、海は若干引いた。
「で、でも! クレフって今、別邸にいるんでしょ?」
もしクレフがつかまったとしても、聞いただけでもクレフは今日二回も、セフィーロ城と別邸を往復していることになる。いくらなんでも三回目となるとOKはもらえないのではないだろうか。そもそもクレフは、700歳以上という高齢の割には、意外と気が短い。しかし風は首を振った。
「ちょうど、別邸からセフィーロ城へ書物を移動させている最中だとおっしゃっていて、さっき私と一緒に戻ってこられましたわよ。またしばらくしたら、別邸へ移動されるはずですわ」
「……分かったわ」
今日でなくてもかまわないが、頼んでみよう、という気になっていた。そもそも、クレフの家の内部が気になっているのは海だって同じ――というよりも、海が一番気にしているかもしれない。
「海ちゃん! やる気になったんだな!」
「私、けっこう感情が出ちゃうから驚かないなんて無理よ。でも、ひとつだけ手があるわ」
「それはなんですの? 海さん」
「『認めない作戦』よ!」海はきっぱりと言い切った。「たとえ驚いたリアクションをとっちゃっても、『驚いてない』って言い張ればこっちのものよ。私が驚いたかどうかなんて、私にしか分からないんですもの」
海には光のような勢いはなく、風のようなポーカーフェイスもできないが、代わりに口が立つ。これを生かさない手はない。が。相手が相手である。
「とはいえ、相手はあのクレフだし。まあ、あまり期待しないで待ってて」
ヒラヒラと手を振ると、風はふふっと微笑んだ。
「でも、クレフさんとあなたはいつも仲が特別によろしいですし。クレフさんのことに一番お詳しいのも海さんですし。楽しみにしていますわ」
「特別に」とか「お詳しい」に妙に力が入っているような気がして、海は立ちあがった拍子に、何もないところで躓きかけた。
* last update:2013/8/26