一番隊の隊首室へ入り、他の隊長たちと顔を合わしても、ひよ里に不審の目を向ける者はいなかった。その理由は、藍染との戦争にまでさかのぼる。
戦後、「仮面の軍勢」と呼ばれていたひよ里たちは、人間としての生活には返らず、かといって死神に戻りもしなかった。
追放されたとはいえ明らかに冤罪である。しかし過ちを認めるのは、中央四十六室のメンツが許さない。
一方の仮面の軍勢たちも、自分たちの名誉の回復には、全くと言っていいほど関心がなかった。
結果的に、死神と仮面の軍勢は互いに互いの存在を「関知しない」という現状を招いていた。

日番谷もはっきり聞いていないから分からないが、仮面の軍勢たちは今、三々五々に別れて流魂街に散っているという。
死神の敵を見つければ、退治することもあり、無視することもあり、稀にだが今回のように伝えに来ることもある。
どの反応を選ぶかは全く分からないが、死神にとってマイナスになる行動はしない。
圧倒的な広さの流魂街に対して少なすぎる死神にしてみれば、遊撃手のような仮面の軍勢の役割は、ありがたいのだ。
持ちつ持たれつ、つかずはなれず、という関係をこの二十年の間、保ち続けていた。


「あ! 日番谷くん」
伊勢七緒と雑談していた雛森桃が、日番谷を見るなり振り返る……が、すぐに眉間に皺を寄せた。
「何だよ?」
「寒そうな顔! 今まで何してたの」
「別に何もしてねぇ」
確かに、10メートルの高さで寒風に吹かれていたが、それを言えばなんと言われるか分からないから黙っている。
雛森は大股で歩いてきたが、有無を言わさずぐいと日番谷の腕をつかんだ。
「ほら! 鳥肌立ってる」
「どってことねぇって、お前みたいな寒がりと一緒にすんな」
ぷっ、と京楽が噴き出すのを耳の端に聞きながら、ぶっきらぼうに雛森の手を振り払った。
流魂街の実家で顔を合わせている時ならまだしも、その会話を隊首会にまで持ち込まれては隊長としてのメンツにかかわる。
……と言っても伝わらないことは、もう長年の経験であきらめてはいるのだが。

「全く、くだらんな」
雛森と同じ女とは思えないような冷徹な声に振り返ると、二番隊隊長の砕蜂が、射るような目で日番谷を見返していた。
「死神が除雪などと、流魂街の奴らの機嫌を取ってどうなると言うのだ。死神は『神』を名乗る存在なのだぞ」
「ほら、雪かきなんてしてたんじゃない!」
「混ぜっ返すな」
雛森と砕蜂のやり取りに、日番谷は思わずぼやいた。
「今日は女難だ……」
「何か言ったか」
聞き逃したらしい砕蜂の視線がさらに鋭くなる。日番谷の少し後ろに立ち、おもしろそうな面持ちで会話を見守っていた乱菊がしれっと言葉をはさんだ。
「『隊長は夜一様の写真観賞、副隊長は一日中ボリボリせんべいばっかり食べてるような二番隊よりマシだ』って、言ったんです」
人の口を借りたと思って言いたい放題を言う。大体、そんな長い言葉には聞こえなかっただろうに。
「何だと!」
そこで日番谷に腹を立てるのは、理不尽だと思う。しかし、喋りまくる女と、怒る女に言い返しても無駄なことは長年の経験で学んでいる。
「全く、一度言ってやるつもりだったが、お前は……」
お前は何なのか、砕蜂が何を腹に一物持っているのか聞くことはなかった。重々しい足音とともに、山本総隊長がその姿を現したからだ。


片腕を失い、老いたと言ってもその身のこなしは矍鑠(かくしゃく)としていて、目の光は誰よりも鋭い。
山本総隊長は副隊長の雀部を背後に従え、格子窓を背に立つと、タン、と仕込み杖で床を突いた。
彼を中央に、隊長たちが二列に向かい合うように立ち並ぶ。その後ろに、それぞれの副隊長が片膝をついて控えた。
ひよ里は、そんな列に加わるでもなく、右足に重心をかけて立つと、醒めたような目でその場を見守っている。
総隊長がちらりと視線をやった時、おもむろに声をあげた。
「ウチはなあ、あんたの長ーい話をはるばる聞きにきたんちゃうんや。瀞霊廷を襲撃しようとしとる奴らがおるから、伝えに来てやっただけや」
「瀞霊廷を襲撃じゃと? 虚か」
何も言わないうちから話の腰を折られた格好の総隊長は、眉を顰めて聞き返した。
「戌吊(イヌヅリ)におる連中や」
「戌吊?」
ひよ里の短い言葉に反応したのは、白哉の背後に控えていた阿散井恋次だった。振り返った白哉にちらりと見下ろされ、慌てて言葉を飲み込む。
隊首会に参加するようになったとはいえ、副隊長の不用意な発言は禁じられている。
それには頓着せず、浮竹が親しげに声をかけた。
「戌吊というと、流魂街でもかなり治安が悪いエリアだな。阿散井副隊長、知っているのか?」
「はい。実は、ルキアや俺の出身地でもあるんスよ。懐かしいな」
「ほう、そうだったのか。知らなかったな」
浮竹はわずかに表情を陰らせて頷いた。子供が無事生存することが難しいような、過酷な土地である。
「で、その連中は何者なんだい。流魂街の住人ということかい?」
ひよ里は質問を発した京楽を見ることなく、我関せずという表情で立っていた涅を突然にらみつけた。
「涅。あんた、しくったやろ」
「いきなりナニを言っているんだネ、君は。意味がわからないネ」
かつての上官と部下は、他人同士よりも温度のない視線を交わした。ひよ里はキッと視線を強める。
「『蛆虫の巣』に幽閉してた奴等を、逃がしたやろ。ウチは確かに見たんや。あそこに集まっとる連中のうち何人かは確実に、蛆虫の巣にいた連中やぞ」

総隊長が、それを聞いて口を挟んだ。
「……。お主が蛆虫の巣に出入りしていたのは、もう百二十年以上前の話じゃろう?」
「ウチがボケたって言いたいんか? あんたちゃうんやぞ」
京楽が噴出しそうになり、慌てて堪えた。狛村の表情が明らかに険しくなる。
「ひよ里さん。総隊長に対して、口が過ぎますよ」
穏やかな表情で会話に割って入ったのは、これまで話を静観していた卯ノ花だった。
母親のような柔らかな口調に、かたくなだったひよ里の口が見る見る間にへの字に曲がる。
「だって、ウチの言うこと信じん言うとるんやろ?」
「いいえ。涅隊長、蛆虫の巣から何人かがいなくなった、事実はあるのですか?」
「知らないヨ。いちいちあんな奴等、数えていられんヨ。私は忙しいのだヨ」
「ウチは確かに見た。蛆虫の巣におった、帯刀って男や。あの顔、忘れるわけない!」
びくん、と背後で何かが揺れた気配を感じ、静観していた日番谷はふと振り返った。
「……松本?」
「……なんでも、ないです」
問いかけると、すぐにいつもの調子に戻って首を振る。しかし一瞬、日番谷が見た乱菊の横顔は強張っていた。

「……懐かしい名だねぇ」
思いがけないことに、口を開いたのは京楽だった。卯ノ花と、視線を見交わす。
「実力は知ってるよ。なるほど、生きていたのか」
口元には、本心が知れない笑みが浮かんでいる。
「蛆虫の巣におった奴等やぞ、死神はみんな死ねと思って当然やろ。奴等、攻めて来る気やで、ここへ。
うちと真二が奴等と鉢合わせた時、あいつら瀞霊廷の地図を見下ろして戦略を練っとった」
まぁ、と雛森が溜め息のような驚きの声を漏らす。
「敵の勢力は?」
ずっと黙っていた白哉が問うた。
「はっきりとは知らん。でも五十は下らんと思うわ」
「五十など、問題にならぬ」
白哉は一蹴したが、死神の三千人の総数と比較すれば当然の反応と言えた。しかしひよ里は首を振った。
「『蛆虫の巣』に入れられた連中は、どいつも一筋縄でいかん奴らばっかりや。なめたら痛い目に合うで」
「とにかく。事前に事態を把握しながら、待っている馬鹿はいるまい。たどり着くまでに叩くまでだ」
虚空を見据えながら、砕蜂が淡々と発言する。

日番谷は砕蜂の発言にうなずき、ちらりとひよ里を見下ろした。
「で? 平子とお前は奴らを見たんだろ。戦ったのか」
「真二が追ったんやけどあのアホ、振り払われよった」
ぶっきらぼうに平子が返す。浮竹が組んでいた腕を解いた。
「平子君が? 穏やかじゃないな」
「呑気な奴やな、今頃気づいたんか。不穏やって初めから言っとるやろ。ま、身を挺してまで瀞霊廷を護る義理はウチらにはないしな」
「それを知らせにここまで来たのか?」
日番谷の問いに、ひよ里はおもしろくなさそうに眉間に皺を寄せる。
「ついでに、薬も取りに来た。真二の奴寝込みよって、しょうがなくや」
「ふん。そんな奴らに後れを取るとは、平子も落ちたもんだネ。そんな者に出す薬などないヨ」
「何!」
涅の言葉に、ひよ里が瞬時にいきり立った。肩を怒らせて、つかつかと涅に歩み寄った。
ひよ里の怒りにかぶせるように、日番谷が口を挟んだ。
「そんな奴らを野放しにしたのはてめぇだろ、涅。偉そうな口を効くな」
日番谷が隊首会で、あからさまに相手を非難することはめったにない。その場の視線が涅と日番谷に集中した。
涅は一瞬意外そうに眼を見開いたが、すぐに日番谷に向きなおった。
「それも、そこの女がそう言っているだけだろう。なんの根拠があるというのだネ」
「そのまま返すぜ。お前こそ、蛆虫の巣の管理をしてねぇんだろ。脱走者がいないと、どうして言いきれる」
「ふん。妙にその女の肩を持つじゃないかネ。何か弱みでも……」
「やめんか、二人とも」
総隊長が苦々しい声で口を挟み、二人は一応言い争いを止めた。

「涅に、蛆虫の巣の調査を命ずる。まず、帯刀とやらの所在を確認。その後、他に脱走した者がいないか調査し、儂に報告せよ」
面倒くさい、という心情をあらわに表情に見せながらも、涅はうなずいた。
「さて。結果を確認次第、戌吊に誰か調査に行ってもらわねばならんの」
「ここで顔を付き合わせるまでもない。涅、貴様の失策だ。貴様が行け」
砕蜂が一分の温度もない言葉を発した。
「何を言っているのだネ。私は忙しいのだヨ。十二番隊長のほかに、技術開発局長も兼任しているのだからネ。
今は四十六室からのあれやこれやの依頼で忙しいのだヨ」
唾を飛ばさんばかりの勢いで砕蜂にそう言うと、不意に浮竹と白哉を見た。
「そうだ、阿散井とお前の妹は、戌吊の出身なのだろう? 地の利がある者が行けばよい。両隊とも、緊急の用事はないだろうがネ」

悔しいが、と日番谷は思う。筋を通すなら砕蜂が正しいが、中央四十六室の指令は絶対だ。他の者が対応できない案件ならとにかく、
今回のようなことなら他の隊長が対応すべき、と総隊長も判断するだろう。
「……俺が行きましょうか、先生。朽木に案内を頼めそうですし」
名乗り出たのは、浮竹だった。しかし総隊長は口の中でうなったまま、すぐには返答しなかった。
浮竹はもともと病身である上、寒さが病状に影響する。遠征には耐えられない、と考えているのがすぐに分かった。
「……いや、私が行く」
不意に割って入った声に、居並ぶ隊長と副隊長は、一様に驚いた顔を向けた。
「朽木隊長。おぬしが行くというか」
およそこの場でもっとも手を挙げそうにない人物なだけに、日番谷も思わず乱菊を顔を見合わせる。
「何か、問題が?」
その、相手に同意を求めないきっぱりとした言い方が妹を思い起こさせる。
「……報告は、怠らぬよう」
総隊長の言葉は、そのまま諾を意味していた。
平子が返り討ちに遭うほどの敵なら、もう一人隊長をつけても惜しくはないが、
こと白哉なら、補佐がつけられることを潔しとしないだろう。プライドの高い男なのだ。


その後隊首会は、対して大きな議題もないまま散会となった。
卯ノ花とひよ里が、おそらく薬について話しているのを横目で見ながら、日番谷は踵を返した。
雛森と雑談していた乱菊が目ざとく気づき、後を追いかけてくる。
「ねぇ日番谷君、後でみんなでゴハン食べに行こうって話してるんだけど、来ない?」
その背中に、雛森が声をかける。
「悪ぃな。今日は朽木邸に用がある」
「えー? また朽木さんなの? 妬けちゃうなぁ」
「……心にもねぇこと言うんじゃねぇよ」
横目で日番谷は朽木白哉をうかがった。めったなことを言えば、刀が飛んできかねないことは学んでいる。
ちらりと見た白哉は、いつもと全く表情を変えることなく、恋次と話している。
恋次が両掌を上に上げ、一歩白哉に詰め寄って話しかけているのに対し、白哉は一度だけ、首を振った。
どうやら、自分も行くといった恋次を、白哉が断ったところらしい。
まあ、あの二人が仲良く任務に同行するところは、確かにあまり想像がつかないが。
たった一人は危険だと、ちらと思う。
日番谷の視線を感じたのだろう、白哉が一瞥する。日番谷が呼びかけた。
「白南風か、黒丞を連れて行けよ」
戌吊は、遠い。一秒で千里を駆けるとも言われる神馬でなければ、遠征も一苦労だろう。
白哉は軽く頷き、恋次と共に背中を向けた。

last update:2011/10/2