もうすぐ雪になりそうだ、と炭治郎が言った。
こういう時の炭治郎の言葉は、大抵当たる。
鬼殺隊総力を挙げて行われた柱稽古も終盤に差し掛かり、炭次郎・善逸・伊之助・玄弥の四人は、なんとなく連れ立って藤の里のはずれを歩いていた。
毎日寝に帰っている蝶屋敷には、まだまだ距離がある。
この寒さのせいで人通りはあまりなく、街灯の明かりが広い通りを心細く照らしていた。
並んで歩く4人の息が、ほぅ、と白くなる。新月の夜に、星が寒々と光っていた。

「おぉ、寒ぃ! 俺はつらい耐えられない! どこか店入ろうぜ。腹も減ったし」
善逸が両腕を抱えて一同を顧みたときから、玄弥は気が進まなかったのだ。
鬼喰いの影響で一切の食事を摂らなくなってから、料理店の敷居をまたいだことはなかった。
何より、どうして食わないのかと周りからしつこく尋ねられるのにも、げんなりしていた。
「おおげさなんだよお前は。見ろよ俺を! 上半身裸でも平気だぜ」
「黙れ変態猪。お前と一緒にすんな。……お? なんか提灯の明かりが見えるぜ!」
言うなり、善逸は3人を置いて先に走り出してしまった。伊之助が待て! とにぎやかに後を追いかける。
「玄弥は食べないんだよね?」
「……あぁ」
だからもう帰る、と言おうとしたが、
「暖かいとこで一休みしていきなよ。蝶屋敷の部屋も寒そうだしさ」
炭治郎の優しい目が玄弥をまっすぐに見ていた。鬼喰いのことも、食事をしないことも知っている。
その上で誘ってくれている。こんな風にストレートに優しくされることはあまりないから、戸惑う。
戸惑うままに、気がつけば炭治郎の後を追っていた。


***


巨大な提灯を両側に据えた立派な門を見た時に、気づくべきだったのだ。
いや、気づいてはいたのだが、中から漂ってくるうまそうな匂いにつられた。
仲居は、子供3人と、一見して何かもよく分からない猪の頭をかぶった人物にそれは怪訝な顔をしたが、
服装から鬼殺隊と分かったから入れてくれたのだろう。鬼殺隊は若いが結構金を持っている、と界隈の店なら皆知っている。
明らかに場違いだと思い知らされたのは、個室に通され、勢いのままに品書きの一番上のメニューを頼んでからのことだった。
「なんか、桁がおかしくねぇか?」
一番冷静だった玄弥が指摘すると、残りの3人がまじまじと品書きを覗き込んだ。
「書き間違いだなきっと。そうに違いない」
「おめでたいのは頭の色だけにしろよ。何で見ねぇんだよ、頼む前に!」
玄弥はそもそも頼まなかったから、品書きを見てもいない。
「ちょっと。財布を確認しよう」
炭治郎の長男らしい発言に、しぶしぶ玄弥も財布を取り出す。しかし。
「やっぱり足りない……」
4人で肩を落とす羽目になった。
「食い逃げしかねぇ!」
「やめなよ伊之助、格好で鬼殺隊だってバレてるんだし。後でお館様のところに請求が来たら処分ものだよ……」
「なんでお前らは『滅』なんて書かれた恥ずかしい服を着てんだ! 一発で鬼殺隊だってばれるだろ!」
「じゃあなんでお前は猪の頭なんて被ってんだ!!一発で誰かばれるだろ!」
言い争っても後の祭りだ。


襖に隔てられた隣の部屋から、聞き慣れた声がしてくると気づいたのは、その時だった。
「あの声。岩と風じゃね?」
伊之助の声に、ぎくり、と玄弥の心臓が跳ね上がった。全員で顔を見合わせ、ほんの少し開いていた襖の隙間にぴったりと張り付いた。
机を前に並んで座り、悲鳴嶼と実弥が食事をしている姿がわずかに見えた。
日本酒の一升瓶が見えた限りで8本転がっていて、とんでもない量を呑んでいるのが見て取れる。

伊之助が唸った。
「すげぇ絵面だな。鬼殺隊の一番手と二番手が、仲良く『鬼殺し』呑んでる」
「鬼だ。鬼と熊がいる……殺される! 喰われる! 逃げよう!」
「善逸、落ち着きなって」
「これが落ち着いていられるかって! 風呂に入れるくらいの量呑んでね? バカなの二人は」
同時に二人が杯を口に運んだ。熊のような巨体の悲鳴嶼はとにかく、実弥もウワバミの部類らしい。

実弥はくつろいだ表情で右手で頬杖をつき、左手で二人の前に置かれた寿司桶の中を指差していた。
どうやら、ネタの種類を説明してやっているらしい。
「そっか。さすがの悲鳴嶼さんも、ネタの種類まではわかんないよね……」
炭治郎は玄弥のほうを見た。
「それにしても二人とも、あんなに穏やかな顔、するんだね」
柱稽古のときの二人の修行は、本当に辛いものだった。
血反吐を吐いて気絶するまでは休むことも赦されない風柱は「鬼柱」と揶揄されるほど怖かったし、岩柱の課題もシンプルではあるが一番厳しかった。

だがそれも柱としての表の顔で、柱同士では表の顔を通す必要もないのだろう。
悲鳴嶼がこれとこれ、と伝えた寿司を取り分けながら、実弥は悲鳴嶼の話に頷き、微笑っていた。
「鬼柱が笑ってる……明日は槍が降るな」
いつも周囲を威圧している男とは別人のようだ。悲鳴嶼の目が見えないため、素の表情が自然と出ているのかもしれなかった。
笑うと、思いがけないほど、優しい顔だった。

「悲鳴嶼さんに、手助けを頼まれたことなんて、俺は一度もないけどな……」
玄弥は呟いた。弟子として岩邸に住み込んでいる玄弥だが、普段は悲鳴嶼が盲人だということさえすっかり忘れていた。
むしろ晴眼の人間よりも周囲が良く分かっているのではと思っているくらいだ。
兄のことには、わざと触れなかった。そもそも悲鳴嶼からは、理由は分からないが兄には接近するなと固く命じられている。
理由はおそらく、兄が接触を望んでいない。特に鬼殺隊に入ったこと、鬼喰いをしていることを快く思っていないためだ。
快く思っていない、というのも甘すぎる言い方で、先日玄弥は、激昂した兄に両目を潰されかけた。
鬼喰いだからいずれは治るとはいえ、そうなればしばらく戦線復帰は叶わなかっただろう。

言葉を交わすことはおろか、目を合わせることすらできない関係。
兄に「あの日のこと」を謝り許しを請いたかったが、それすらいつできるのか、わからない。
その時ぽんと肩を叩かれた。見ると炭治郎が微笑んでいた。
―― 「実弥さんは、玄弥のことが今でもずっと、大好きだから。」
炭治郎は落ち込む玄弥に、先日そう言ったのだった。鬼殺隊に入ったことをものすごく怒ってはいるけれど、玄弥を憎む気持ちはない、と。
―― 炭治郎。おまえだったら。怯まず兄貴に言いたいことを言えるよな。
そのまっすぐな強さをうらやましく思う。
兄が怖いというよりも、兄にまた拒絶されるのが、怖かった。


***


善逸と伊之助が、両側から肘で玄弥を突っついた。
「どっちだ?」
「あ? なにが」
「だから。お前の兄貴と師匠だろ。どっちがここの支払いを頼めそうだ?」
「俺が行くのかよ! 無理無理、絶対無理!」
狼狽する玄弥をよそに、「岩のオッサンかな。年上だし」と無責任に話し合いながら、二人は運ばれてきた食事をうまいうまいとほおばっている。
「……俺が行こうか」
炭治郎が隣の部屋の様子を伺いながら呟いた。でも本当は行きたくない、というのがその背中で分かる。

選択肢壱 悲鳴嶼に頼む。
実弥にキレられた後、悲鳴嶼の財布から払ってもらう。

選択肢弐 実弥に頼む。
実弥にキレられた後、実弥か悲鳴嶼の財布から払ってもらう(可能性は五分五分)

どちらにしろ財布の出所が違うだけで払ってくれそうな気はする。
問題は、いずれの道も実弥の激怒を通り抜けなければならないということだ。

キレられたくらいで食い逃げを免れれば、と普通は思うが、キレた実弥はそれはそれは恐ろしい。
普段から息をするようにキレる上、4人とも覚えがめでたくないと来ている。
3人からすがるような目で見られ、玄弥はげんなりした。
「俺、また兄貴に軽蔑されたくねぇし……」
ただでさえ才能がないから鬼殺隊を辞めろとまで言われているのに、こんなところでも評価が下がるのは御免蒙りたい。
「でも、このままここにいて無銭飲食がバレたら、隣の部屋にも間違いなく知れるぜ。二人ともまだまだ帰りそうにねぇし」
善逸の指摘もまた、正しいのだった。
そして実弥にキレられる。何がどうなっても同じ結論になってしまいそうで、玄弥は胃が痛くなる。
そもそも、酒が入っているためなのか、現時点で気づかれていないほうが奇跡的なのだ。

どうする。誰がどう切り出す。というか情けなさ過ぎる。
4人が押し黙った時、二人の会話が聞こえてきた。
「柱稽古も終盤だな。隊員たちはどうだった? 『鬼柱』」
悲鳴嶼の声は笑いを含んでいた。鬼柱、と呼ばれて明らかに実弥は機嫌が悪くなった。
「あのなァ何が鬼柱だ。気絶したら起きるまで待ってやる優しい鬼がいるかァ? 普通なら喰われて終わりだぜ。
鬼殺隊が何を相手にしてるか分かってねえ奴は、とっとと辞めろォ」
「まぁ、お前の言う通りだよ。そう怒るな、からかっただけだ」
後ろに手をつき、実弥のほうを見ながら、打って変わって悲鳴嶼は上機嫌だ。正面きって実弥をからかえるのは、悲鳴嶼くらいのものだと玄弥は思う。
「それより、見所のある奴はいたか? たとえば、昇格のスピードが異様に早い隊員……炭治郎、栗花落、伊之助、善逸、玄弥あたりか。
戯れに聞くが、誰が柱に一番近いと思う?」

盗み聞きしていた4人ともがぴたりと固まった。ただの雑談とはいえ、柱同士の会話だ。ここで名前が挙がれば、近い将来実現する可能性は大いにある。
実弥はしばらくは応えなかった。本人たちを前にしたような渋面を作る。ややあって口を開いた。
「柱には最低条件ってものがあると思わねぇか、悲鳴嶼さん」
「お前の柱談義が聞けるとは。続けろ」
上機嫌に悲鳴嶼が杯を空にした。
「隊員の評価だ。何だかんだで隊員が一番力の評価が正確だからな。失明したり、バカだったり、泣いたり、鬼になったりする奴が隊員が危機の時に助けに来たとして、これでもう大丈夫だと安心できるか?」
悲鳴嶼の杯に、実弥が片手で酒を注いだ。
「……」ぐうの音も出ずに善逸と玄弥が黙り込んだ。「バカって誰だ?」伊之助は釈然としない表情だ。
悲鳴嶼は笑い出し、やがて続けた。
「今挙がらなかった一人は、近いうちに柱候補に挙がりそうだな。私も同意見だ」
ケッ、と実弥は舌打ちしたが、反論はしなかった。3人が炭治郎を見つめる。
「お、俺が……」
信じられない、と自分の評価を噛み締めるような炭治郎の表情に、友人相手にすら妬ましい気持ちが湧いてくるのを、玄弥は止められなかった。
玄弥のことを認めていない兄が、炭治郎の実力は認めている、というのだから。

「あと、そうだな……見所のある隊員は弟子にする話も出ているが、お前なら誰を取る?」
「取らねぇよ、面倒くせぇ」
「仮にでいい」
「仮にだな。それなら猪頭」
実弥は即答した。伊之助が目を見開く。
「あいつの出鱈目な呼吸はよく分からねぇが、風の派生だろ。何よりあの気性は見込みがある」
やったぜ、とガッツポーズをした伊之助をよそに、実弥は続けた。
「でも、基礎をどこかで身につけてからだな。俺は我流だから基礎は教えられねぇ」
「不死川の戦い方は飽きない。あんなに戦えれば気持ちが良いだろうと思いながらいつも視ている」
子供のような感想に、「あんたが言うか」実弥が珍しくも噴出した。
「それを言うなら、俺もあんたみたいに鉄球をぶん回してみてぇな」
「貸してやろうか? 玄弥なら少しは扱えるぞ」
「……やめとく」
「お前が稀血でなければ、玄弥を頼むところだが」
自分の名前が出て、緊張しながら耳を傾けていた玄弥が首をかしげた。初めて聞く単語がでてきたからだ。
「マレチって何だ?」
炭治郎と善逸が顔を見合わせた。炭治郎は明らかに動揺した顔をしている。どう伝えるべきか、と考えているように見えた。
「……稀血っていうのは、特殊な血を持つ人のことだよ。稀血の人間を喰うと、鬼は数十人、数百人を喰ったのと同じくらいの力を得ることができるって聞いた……。言うなら、鬼の大好物だって」
「……え」
その瞬間、玄弥の中で稀血と鬼喰いが、ぴたりと繋がった。
そして、どうして悲鳴嶼が実弥との接触をあれほどまでに禁じるのか、分かってしまった。
―― 鬼喰いが進んだ俺が、兄貴の稀血に反応して兄貴を襲うのを心配してるってことか……
そんなこと絶対にないと思う反面、鬼を喰った後の自分の自我がどれほど弱くなり、鬼に支配されそうになるか、誰よりもよく分かっている。冷たい汗が背中に浮かぶのを感じた。
「だからあんなに傷だらけなのか……稀血が柱になるって、すげぇことだよな」
「よく今まで喰われなかったよな」
善逸と伊之助の会話が遠く聞こえた。

動揺する玄弥をよそに、隣室の会話は続いている。
「あいつにはあんたが師匠としてついてんだ。弱ぇくせに贅沢すぎんだよ」
「確かに才能はないが、努力家だ。私は玄弥が気に入っている」
「そう思うなら、なんで鬼喰いを止めねぇんだ」
実弥は突然悲鳴嶼に向き直り、まっすぐにその盲目をにらみつけた。その視線からは、純粋な怒りが感じられた。
悲鳴嶼は首を横に振った。
「玄弥はお前と一緒だ。言って止まるような性格ではない。それに、弟子であれなんであれ、私は相手の意思は尊重する主義だ」
「……」
「でも、今の一言は嬉しかったぞ。お前もやはり人の兄だな」
「やめろよ……」
机に腕を伸ばし、行儀悪く杯を口に運ぶ実弥の隣で、悲鳴嶼が笑った。
「しかし正直驚いた。めくらめっぽうに隊員たちを叩きのめしていると思ったら、意外とよく見ている」
「あんた、俺のことをバカだと思ってるだろ?」
「そんなことはないぞ。馬鹿ではあの戦い方はできない」
悲鳴嶼は声を立てて笑い、そして実弥の背中に大きな掌を置いて、何かを耳元でささやいた。
実弥は驚いた顔を上げた。
「急になんだァ、本当にやめろよ。勘弁してくれ。俺は向いてない」
「実弥」
実弥の切れ長の目が大きく見開かれる。ついで、まごついたように少し眉を下げた。
玄弥は、兄がこんな顔をするのも、勘弁なんて言葉を口にするのも、初めて聞いた。
「向いてる向いてないじゃない。おまえしかいないんだ」
「あんたさっき、相手の意思は尊重する主義だって言ったろ。俺も尊重しろよ」
「この件に関しては、私はお前を尊重しない」にべもなく悲鳴嶼は言った。「できないなんて思うのは思い込みだ。がんばってみないか」
「頑張る方向性が違うだろうが。あんた酔ってんだよ。もう帰るぞ」
背中の手を跳ね除け、立ち上がる。その腕を悲鳴嶼がつかみなおした。
一瞬実弥が振り払おうとして、悲鳴嶼が腕に力を入れるのが分かった。
実弥は馬鹿力だが、悲鳴嶼の腕周りと比べると子供と大人くらいの差がある。一瞬の攻防の後、実弥が諦めるのが分かった。
「まだ話は終わっていない。座れ」
「帰る」
「実弥!」
「いいえ。本当に嫌です」
どこかから助け舟を待っていそうな顔だった。しかしどうしたんですか、と玄弥がのこのこ出て行くわけにもいかない。
悲鳴嶼は黙っている。実弥も黙っている。
やがて、しぶしぶ実弥が座りなおした。その後の会話は、互いに声が小さすぎて聞こえなかった。



善逸は、全員の首根っこをつかんで自席に戻らせた。その拳が震えている。
「ヤバい。これ以上はヤバい。耳を閉じるのに全集中しろ」
「何が」
炭治郎が聞いた。はァ? という顔を善逸が作る。
「鈍いなお前ら。聞いたかあの会話」
「ほんと、仲がいいんだね」
「仲良しっつうか、岩が押して風が逃げ腰だろ。なんなんだ最後の敬語」
「それだ。普段は苗字呼びなのに、二人きりだと名前呼び。怪しすぎる。男女だったら間違いなくデキてる」
「……あのさぁ善逸」
炭治郎が普段はあまり見せない、心の底から呆れた……むしろ軽蔑した顔をした。
「風のおっさんは超強気だけど、岩のおっさんにだけは頭があがらねぇ。よく見たら睫毛長いし、名前も女っぽいし、意外と強引な押しに弱いと見たね」
途中からプルプルと震えていた玄弥が、そこで切れて立ち上がった。
「いい加減にしろよ、二人を侮辱……ぶっ!!」
何の前触れもなく、二部屋を隔てていた襖がすさまじい勢いで蹴倒され、玄弥の後頭部を直撃した。悶絶する玄弥の背後に、鬼の形相の実弥が仁王立ちしていた。
「わぁぁ、鬼柱! 鬼が来たー!!」
「聞こえてンぞお前ら……。よくもまァ、くだらねぇことばかり話すもんだな、あァ? 聞き耳立てやがって」
「い、いつからお気づきで……」
善逸が震えながら問うた。
「入ってきた時からだ!」
「お見それしました!」
一同はひれ伏した。

その時、背後から、「誰かいるのか?」と悲鳴嶼の声がかかった。
「その声……善逸か。炭次郎と伊之助、玄弥もいるのか」
声で確認する姿があまりにもいつもと違っていて、4人は戸惑った。いつもは目が見える人と同じくらい周囲が分かっている人物とは思われない。
「困ったところを見られたな」
悲鳴輿は苦笑いした。
「私は酔いが回ると、普通の盲人と変わらなくなってしまうのだ。普段は視えている分、逆に今は全く勝手が分からん。真っ暗闇だ」
だから実弥がマメに世話を焼いていたのか、と今頃合点する。悲鳴輿が続けた。
「以前、自宅で酔って右左も分からないときに鬼の襲撃を受けた。奇跡的に不死川が駆けつけてくれて事なきを得たが」
「酒が原因で鬼殺隊最強を失ってたまるかァ。それに奇跡じゃねぇ。お館様から、様子を見るように頼まれて行ったんだよ、あの時は」
「そうだったのか。さすがお館様だな。……そういう訳で、それ以来酔うまで呑む時は不死川に付き合ってもらっている。
鬼を撃退してくれるし、盲人の扱いもなぜか上手い。いい嫁になれる」
「オイ。最後の一言、なんで言ったァ」
「じゃあ何で名前で呼んでたんですか?」
「酔いが回ると名前で呼ぶようにしている。そうすると不死川には私が酔っていると分かる」
善逸は胸をなでおろした。
「なーんだ! よかったぁ、如何わしい会合じゃなくて」
「このガキ殺してもいいか?」
「殺生はいかん」
「……でも。一体なんの話だったんだ? なんかすっげえ困ってたけど……」
玄弥が恐る恐る言葉を挟んだ。返事が返ってくるとは思っていなかったが、実弥は肩を怒らせ立ち上がった。
「あ、あの!」
炭次郎が呼びかけると、全員を一人ひとり、じろりと睨みつけてきた。
怖い。蛇に睨まれた蛙のように何もいえなくなる。実弥は悲鳴輿に手を貸して立たせると、怒りを背中に滲ませながら出て行ってしまった。