「なぁ、こっちでいいのかな、ホントに」
「心配症だなー、遊子。地図の通り来てんだ、間違いねえって」
知らない町の、普通の住宅街に足を踏み入れることなんて、めったにない。
夏梨、遊子、ウルルの3人は、興味深げにあちこちを見回しながら、野立町……空座町の隣町に、足を踏み入れていた。

「しっかし、なんだか暑すぎねえか? まだ五月なのに」
夏梨は、じりじりと照りつける太陽を見上げ、目の前に腕をかざした。
はっきりしない春の空は、どことなく白っぽい。
じっくりと下から煮られてでもいるみたいに、湿気を含んだ蒸し暑さが周囲を覆っていた。
動かなければ平気だが、歩き出せばじっとりと体に汗がにじんでいる……そんなイヤな天気だった。

「なんか、段々蒸し暑くなってくるみたい……」
ウルルが、ぱたぱたと顔を仰ぎながら言った。その顔に、うっすらと影がさす。
「もしかしたら……『バンパイア屋敷』のせいだったりして……」
「怖い! ウルルちゃん、その顔が怖いよ!!」
「何が怖いんだよ、何が! そんなもん居ねぇし。居たとしたって、元は普通の人間なんだぜ?」
夏梨は、顔を見合わせた2人を振り返ってそう言い放つと、ずかずかと歩き出した。


自慢じゃないが、幽霊を見るのなんて日常だ。幽霊を見ない日なんてないって言っていいくらいだ。
その上で言わせてもらうと、幽霊なんて言ったところで、所詮は人間の延長だってこと。
幽霊が幽霊を口説いてたり、セクハラしてたり、そうかと思ったら千鳥足で歩いてたり。
幽霊になろうが、人間のやることはタカが知れてるんだと、あたしは思う。

「ねぇウルルちゃん、ジン太くんは?」
「なんか、用事があるから来れないって」
「ふーん? 変ねえ、今日はヒマだって言ってたのに」
そりゃー、用事も出来るだろうさ。
花刈ジン太が、こと臆病者だっていうことは、このあたしがよーく知ってる。

「怖いけど、楽しみだねー♪ バンパイア屋敷探検なんて、テーマパークみたい!」
遊子。こいつが怖がりに見せかけて、どれほど図太いかってことも、あたしはよーく知ってる。


「ん?」
地図に目を落として、あたしはふと立ち止まる。
「この辺だぞ、地図じゃ……」
見上げてみて……あたしたちは同時に、声を上げていた。



それは、あまりに何かが出そうな、お化け屋敷よりもお化け屋敷のような洋館だった。
ぎぃ……ぎぃ。
切妻(きりづま)の屋根の天辺には、さび付いた風見鶏がつけられ、嫌な音を立てている。
元はキレイな青色に塗られていたのだろう屋根も、さび付いて色あせている。
その白い壁は、もう灰色に変色して、あちこちにヒビがはいっている。

窓ガラスは割れ、中で黄色く日焼けしたカーテンがゆれている。
その先は、夜みたいに真っ暗だった。

……たぶん、戦前くらいまでは、それはそれは荘厳な建物だったのかもしれない。
週末には、貴族の人々が集まって舞踏会くらいは開かれていたのかもしれない。
ただ平成の今においては、家の持ち主と連絡が取れず、取り壊せずにいる、荒れ果てた洋館にすぎなかった。


「ぅ、わ……」
思わず声を漏らしながら、夏梨はさび付いた門に手を置いた。
鍵がかかってることくらいは想像していたが、門はギシギシ音と立てながらも、あっさりと開いた。
「広いお庭……だけど」
こっそり体を滑り込ませた遊子が、庭を見て眉をひそめた。

ドライフラワーのように立ち枯れした薔薇。
春の最中だというのに、葉が一枚もついていない木々。
そこに濃厚に漂っているのは、死のにおい。
生きているものがこの広大な敷地内にいるとは、思えないほどに。

「こりゃ、噂が立つのも当たり前だな……」
窓際に女の人が座っているとか。
遊びにはいった小学生が出てこなかったとか。
家の中には、巨大な棺がいくつも置かれていたとか。
ベタ過ぎて漫画とかドラマにも出てこないような噂が、まことしやかに流れている。
たしかに、そんな想像が髣髴(ほうふつ)とするみたいに、この建物は……出来すぎてる。


「……夏梨ちゃんっ!」
その時、がしっ、と肩をつかまれ、夏梨は不本意ながら、その場から飛び上がりそうになった。
「なんだよウルル、急に……」
「あ……あれ」
「ん?」
ちょっとやそっとじゃ感情を動かさないウルルの表情が、唖然としてるのが分かった。
ウルルが指差している、二階の窓の部分に、夏梨と遊子は目をやった。

「なんだよ、ただ、カーテンがゆれてるだけ……っ!?」
カーテンがたなびき、真っ暗に見える中に、ちらり、と光が差し込む。
一瞬、カーテンの裏側に、黒髪が、たなびいた気がした。
視線が動かせない。凝視していると……強い風が一陣、吹き抜けた。

あらわになったのは……白っぽいドレスのようなものに身を包んだ、窓に背を向けた人影。
黒髪が風にあおられ、白いうなじが見えた。
そして、わずかにその口元が……微笑んだ、その唇が見えた気がした。
「きゃぁぁっ!」
遊子が後ろから夏梨とウルルにしがみついた。
「わぁぅっ!」
思わず声を上げて振り返り、もう一度窓に目をやったときには……その姿はもう、どこにもなかった。


「ど……どうする? 夏梨ちゃん、ウルルちゃん……」
遊子の声が、はっきりと分かるくらい、震えている。
気のせい、といってしまうには、あの女の人は、はっきり見えすぎた。
「ここで引き返したらジン太が笑う」
夏梨は、ぎゅっと拳を引き結んだ。
幽霊なんてカケラも怖くねえ、なんていつも言ってる以上、逃げることなんて出来ない。

「遊子、怖かったら先に帰ってろ」
そのまま、振り返らずに、洋館の入り口へと向かった。
「え……ちょっと、おいてかないで、夏梨ちゃん!」
遊子があわてて夏梨を追い、その後にウルルが続いた。