「どういうことだ。確か緋鹿って言ったら、王廷に御座(おわ)す王族の一つじゃねぇか。
現世にいるなんてありえねえだろ? 大体、なんでアンタが王族の顔を知ってる」
日番谷は、夜一に向き直った。
さっきまでとは打って変わった、鋭い眼光がコトの重大さを物語っていた。
「儂のおった四楓院家は、王廷から下賜された神具を預かる役割を持っておる。
もともと、瀞霊廷の誰よりも、王廷との関連は深いのじゃ。
それに、その姫は有名でな。儂が現世で暮らすようになってから、何度か名を聞いた」
「何でだ?」
「その姫。緋鹿恵蓮(エレン)という御名なのじゃが、現世が好きという変わった姫でな。
よく周囲の目を盗んで、お忍びで現世に来られているそうじゃ。儂も会ったのは初めてじゃが」
「……勘弁しろよ」
日番谷は髪に手をやり、ガシガシと掻いた。
王廷といえば、瀞霊廷の死神にとっては絶対の存在だ。
「今回も、お忍びで降りてきてる時に、バンパイアに捕まったってことか」
「……じゃろうな」
日番谷と夜一は、揃ってため息をついた。
「ソウル・ソサエティには王様までいんのかよ! 強ぇんだろうな、そいつ!」
その場の空気に全く気がつかず、ジン太は目を輝かせる。しかし、
「ゲームのやりすぎだ……」
ため息混じりに、日番谷はそのコメントを切って捨てた。
「なんだよ、強くねぇのか?」
「強けりゃ、バンパイア如きにつかまるかよ。本来、普通の死神なら十分倒せるレベルだぜ?」
「そのバンパイアにやられて帰ってきたのはオメーだろ」
口を尖らせたジン太に、ぐっ……と珍しく日番谷が言葉に詰まった。
―― 「眠れる姫よ、我等に力を」
バンパイアたちは、確かにそう言った。その直後、あの爆発が起こったのだ。
とすると、王族だけに、何らかの超自然的な力を持っているのはありえそうなことだった。
「隊長でも、王族のことは分かんねーもんなのか?」
話の成り行きを見守っていた一護が、畳の上に胡坐をかいて、日番谷と夜一を交互に見た。
「例えるなら神話じゃな。○○という神が天地を想像したとか、王族というのは、そういうレベルじゃ」
「……ホントにかよ?」
「だから神話じゃと言っておるじゃろ。真偽のホドなんて考えるだけムダじゃ」
そんな神話に出てくるような神様が、空座町の隣町までやってくるなんて。
でもまぁ、猫の姿をした元死神としゃべっている現状を見れば、もはや何も言うことはないのかもしれない。
一護は不審半分、妙な感動半分の気持ちで頷いた。
「とにかく、総隊長に指示を仰ぐ。こんな面倒臭ぇことは御免だ」
日番谷は、珍しくやさぐれた口調で言うと、立ち上がった。
瀞霊廷に戻るつもりらしい。
超高貴な生まれという時点で、流魂街生まれの日番谷には手に負えない……というより、負いたくない。
その上、子供で女。関わるのは御免こうむりたい、と日番谷は思った。
「なるべく早く頼むぞ」
「あぁ」
日番谷は、夜一の言葉に短く頷くと、その掌を、ふっと上空に向けた。
すると、掌の上に、影のように黒い揚羽蝶が、ふわりと舞った。
死神がソウル・ソサエティとの行き来に利用している使い魔の一種、地獄蝶である。
「開錠」
氷輪丸の切っ先を向けると、目の前に和風の扉が出現する。
地獄蝶を案内役に、死神だけが開くことを許される、あの世への扉『穿界門』だ。
「冬獅郎!」
その背中に声をかけた一護に、日番谷は振り返った。
「お前たちは動くな」
それだけを言い残し、日番谷は扉に手をかけた……が、通り抜けることはできなかった。
なぜなら。
日番谷が手をかけた瞬間、穿界門が向こう側から勢いよく引き開けられたからだ。
「あっ?」
日番谷がとっさに手を離して室内に下がる。
穿界門の内側から、巨大な何かが、すさまじいスピードで突進してきたからだ。
それが、日番谷の身長くらいある「左足」だと気づいた時には、ダン! と音を立て畳に踏み入れられていた。
「ひゃっはァ!」
男の野卑な叫びと同時に、巨大な刃が、日番谷の頭上にまっすぐに振り下ろされた。
「冬獅郎!」
一護がとっさに身を乗り出すが、間に合わない。
日番谷は、男の左足をみやると、ひょい、とその膝の上に飛び乗った。
チッ、と振り下ろされた刃が、日番谷の髪を掠る。
銀色の髪が、部屋の中に舞い散った。
「隊長!」
男の背後から、別の男の声が聞こえ、一護は耳を疑った。
―― この声!
日番谷は動きを止めず、刀を鞘ごと背中から引き抜いた。
そして、その柄尻で男の顎を思い切り突いた。
「ぐっ?!」
叫びと共に、男の体が背後に弾き飛ばされる。
そのとき、チリン、と鳴った鈴の音と、ハリネズミのような独特の頭が一護の位置からも見えた。
「……」
その男が穿界門の向こうに弾き飛ばされたのを確認すると、日番谷は再びピシャリ、と穿界門をとざした。
「おい、冬獅郎」
「……」
「今の奴ら……」
「言うな」
日番谷が、ウンザリしたとしか言いようの無い顔で一護を見返したとき。
再びパシン、と音をたてて扉が開かれた。
「ひっつーん!!」
バン、と顔に飛びついてきたピンク色の「それ」を、日番谷は必死に引き剥がそうともがいた。
「バカヤロ、息、できね……草鹿!」
「あめーんだよ、ガキ!」
その背後から現れたのは、顎を紅く腫らせた更木だった。
「そんな突きで俺を殺せると思ってんのか?」
「お前を殺すほど、俺は……ヒマじゃねー!!」
一護に、やちるを剥がすのを手伝ってもらいつつ、日番谷がゼーゼー言いながら更木を見上げた。
その背後から、ゾロゾロと土足で畳の上に足を踏み入れてきたのは、現世で見ると場違いなこと甚だしい十一番隊の面々だった。
一角、弓親、そのほか頑強そうなのが十人近くいる。
日番谷の視線が、更木、やちる、一角、弓親、その他十一番隊の席官たちの間を滑った。
「へぇ……」
感嘆の入り混じった侮蔑の視線(この両方の視線を同時に集められるのは、十一番隊くらいのものだろう)を向ける。
「相変わらず、なんともムカつく態度だな、ガキ大将」
「ほぉ、腹立ったか。いい気持ちだぜ」
減らず口を叩く二人をみて、夜一がわざとらしい咳払いをはさんだ。
「それにしても、てめーエラく早いじゃねーか」
腕を組んで、日番谷は更木を見上げた。
尋常ならざる霊圧が空気中に放たれて、わずか30分あまりしか経っていない。
それなのに、いきなり隊長を含む一団が派遣されてくるなど、めったにあることではない。
「山本のジィさんが、いつになく慌ててんだ」
更木は日番谷を見返し、後頭部を掻いた。
「相手が王廷の姫だからか?」
「それもある。だが、王廷側は即効、姫を助けるために刺客をこちらに送り込んだらしい」
「結構じゃねえか。そのまま任せておけば」
「その刺客、強ぇらしいぜ。この辺一帯灰燼(かいじん)に帰すくれえにな」
ぶっ、とジン太が口にしていた茶を吹いた。
ぽん、と一護がその隣で手を打った。
「そっか、それでお前ら、刺客が来る前に助け出そうって言ってくれんだな。案外いいトコ……」
「あ?」
「いいトコあるんじゃねぇか」と一護が言い終わる前に、更木はジロリと一護を見返した。
「刺客が来たら、一騎打ちを挑むに決まってるだろうが! 王廷の関係者と戦える機会なんて、めったにねえぞ」
「待て! そしたら空座町は!!」
「焼き尽くされる町並み、逃げ惑う人々。……廃墟になるのう」
飄々(ひょうひょう)とした口調で、夜一が口を挟み、更木は頷いた。
「それでもいいんだよ。何しろ目的は、姫を救うことだからな」
「一見筋が通って……るワケあるかぁ!」
一護がダン、とその場に足を突いて立ち上がった。
「何だって総隊長、こんなヤツらよこしたんだ……」
日番谷がウンザリ、という表情も露(あらわ)に、ため息をつく。
「お? なんだ? てめぇ。俺の代わりに吸血鬼倒してくるか?」
―― 案外、ちょっとくらい血ィ吸われたほうが、血の気が減っていいかもしれねぇ。
ぐい、と顔を突きつけた更木の顔を見て、日番谷は考えを改めた。
大体、バンパイアよりよっぽどこっちのほうが悪役面だ。
日番谷は腕を組み、身長が倍はあろうかと思える更木を見上げた。
「で! 姫の顔は分かってんのかよ? 目的が分かってんなら、当然分かるよな?」
「あぁ? そんなの、俺が知らなくても一角が……」
更木が背後の一角を見やる。無い無い、と一角が手を振り、弓親を見やる。
知るわけないですよ、とオーバーに肩をすくめ、掌を天井に向ける弓親。
「やる気あんのか!?」
「あぁ、殺る気満々だぜ俺達は! 姫が死んだら、そいつの寿命だ」
なにしに行くんだ、こいつらは。
夜一と一護と日番谷は、同時に同じことを思った。
「あたし分かるよ! さっきおじいちゃんに教えてもらったの」
やちるがハイ、と手を上げた。
「髪の毛が亜麻色で、すごーいキレイな女の子でしょ? お姫様見たい!」
目的が違う上、髪の毛しか的確に特徴を掴んでいないが、それでも他の隊士よりはマシだ。
「まぁ、更木とて一応隊長の端くれだ。要はバンパイアを倒せばよいのだ。
あのバンパイア共と進んで戦ってくれそうな面子(メンツ)は、確かに十一番隊くらいのものじゃしな」
それは……確かに。日番谷は、耳打ちしてきた夜一の言葉に、嫌々頷く。
変に反対して、日番谷もついていくことになったら、正直言ってやってられない。
「よーし、野郎共! 敵をぶっ殺して、さっさと引き上げるぞ!」
「……姫は」
一抹の不安を残しつつ、十一番隊の面々は、バンパイア屋敷へと乗り込んだのだった。