それから、二日が経過していた。
縁側で座布団の上に乗っかった夜一が、くぁ、と大きな欠伸をした。
にゃむにゃむ、と猫の寝言のような声を漏らし、座布団に再び顎(あご)をうずめる。
その横では、浦原が大柄な体を投げ出してうとうとと眠っていた。

「おーい! 新しいソウル・キャンディーはあるか?」
店先から、ルキアの声が響く。
「はい、チャッピーが入ってます」
「ホントか?」
ウルルと、弾んだルキアのやり取りが家の中まで聞こえてくる。
「あんなんのドコがいいんだよ。頼むからもっとマトモなのにしてくれよ」
ついて来たらしい一護の、ウンザリした声が続く。

「お買い上げありがとうございました」
「ではな、ウルル」
「じゃーな。……」
「ど、どうしたのだ一護?」
不穏な気配に、ピク、と夜一が反応した。
そのまま居眠りを決め込もうとしたかのように、もう一度座布団に寝なおす。

ドタドタドタ……と廊下からの足音がどんどん大きくなる。
バーン、と音を立てて、障子が引き開けられた。
「じゃーな、じゃねぇ!! なに、何もなかったことにしてんだ! 姫はどーなった、姫は!!」
一護が顔を覗かせると同時に、怒鳴った。


「まーまー、お待ち、くださいよ、黒崎、サン」
がっくんがっくん、と一護に肩を揺さぶられながら、浦原だが途切れ途切れに言葉を発した。
「ハナシは夜一サンから聞いてますよ。十一番隊が乗り込んだにも関わらず、街も滅亡していない。
思ったより、よっぽどマシな状況じゃないですか」
「本来の目的はソレじゃねえだろ! 姫は。今十一番隊はドコで何してんだ?」
「さぁ?」
サラリ、と浦原が言い放ち、一護は凍りついた。

「さぁ? じゃねーだろ! 俺が行く!!」
「まぁ待て、一護」
今すぐにバンパイア屋敷にすっ飛んで行きそうな一護を見て、夜一が身を起こした。
「考えても見ろ。なんで奴らが戻ってこないと思う?」
「何でって、そりゃ……」
一護が視線をあさっての方向に向けた。
「そりゃぁ……」
夜一が、フフン、と笑う。
「あまり、関わりたくない気持ちになるじゃろ?」
「気持ちは分かるけどよ。臭いモンにはフタしたいけどよ。だからって」

そのとき。
二人は同時に、視線を家の外に向けた。
ちょうど、バンパイア屋敷があった方向。そこに、強い霊圧が三つ、現れたからだ。

「この気配は……恋次!?」
一護の後をついて部屋に入ってきていたルキアが、目を見張った。
「それに、雛森サン、吉良サンもいますね。進展なしと見て、副隊長を揃えてきたようですね」
浦原がくるり、とその場で胡坐をかいた。
「進展が無い、くらいだったらまだいいがな」
夜一は悲観的なことを言いつつも、再び座布団の上で丸くなる。
「まぁ、今回の戦いで、誰か殺されるような事態は考えにくいですしね。リハビリにはちょうどいい、てトコでしょう」
「……リハビリどころか、トラウマにならねばよいがな」
言葉とは裏腹に、夜一がまたひとつアクビを漏らした。


***


果たして、バンパイア屋敷の三人は、文字どおり「佇んで」いた。かれこれ10分ほど。
「あたし、こういうの苦手だよ〜……」
吉良の後ろに隠れて、雛森がひょい、と顔を覗かせて、目の前の屋敷を見やる。
その黒目がちな大きな瞳は、目の前の恐怖と、やらなければいけない仕事の間で揺れている。

「だっ、大丈夫だよ、大丈夫!!」
雛森の肩が背中に触れ、ドキッ! と吉良が肩を揺らす。
のけぞったまま、後ろの存在を気にする吉良に、
「モジモジしてんじゃねー!」
恋次が蹴りを食らわせて、大きくため息をつく。


真央霊術院の六年間を通し、同じクラスだったこの二人のことは、知りすぎるくらい知っている。
この吉良が、雛森に淡い慕情とやらを抱いていることは、雛森以外の全員に知れ渡っていた。
そして、吉良の腰の引けぶりから見て、その思いがかなうことは未来永劫ないだろうことも。

「とにかく、行くぞ! 十一番隊が戻ってこねーんだ、油断すんなよ」
面倒くさそうな表情を隠しもせず、恋次が斬魂刀を肩に担いだ。
全く、高貴な姫だか知らないが、面倒なことを持ち込んでくれる。
しかも十一番隊も、一体どこに遊びに行ってしまったのか行方不明などとは、無責任にもほどがある。

「だ、大丈夫だよ雛森君! ホラ、これを見て」
吉良が、モゾモゾと懐から何かを取り出した。
「ホラ、現世で買ったんだ。魔を払う力があるっていう十字架!!」
キラーン、と光るそれを見て、雛森が目を輝かせる。逆に恋次は眉根を寄せる。
「……オイクラで?」
「えーと、今電話なら大安売り! で、5万円くらいだったかな」
「たけー! たけえよ、それは! 現世のボッタクリに騙されんじゃねえ!」
やってられない、と恋次が頭を抱える。
こいつらが現世に住んでいたら、すぐに全財産を怪しげな商法で取られてしまいそうだ。
大体、死神が十字架を持つのは、宗派違いではないだろうか。

「……俺一人で行く!!」
恋次は気が短い。
いち早く元学友に見切りをつけると、静まり返ったバンパイア屋敷に向かって、足を踏み入れた。
「えっ、ちょっと待ってよ阿散井君! おいてかないで!」
「ぼ、僕も行くよ!」
走ってくる二人を振り返らず、恋次はやたら重い扉を開いた。


「こ、こりゃ……」
戸を開けると同時に、恋次は顔をしかめた。
―― 本気でヤベェ、かも。
霊圧とは種類を異にする、禍々しい「瘴気」ともいえる気配が、ドッと三人に襲い掛かった。
「遊んでる場合じゃねえぞ。ついてくるなら本気で行け」
この状況で、一番マトモなのは自分らしい。
恋次は斬魂刀を油断無く構え、建物の中に足を踏み入れた。

広いロビーの中は吹き抜けになっており、螺旋階段が上へ、上へと続いている。
3階建てだけあって、ロビーの高さも10メートルはくだらないと思われた。
もとは白かったと思われる天井は、埃で白く汚れ、あちこちに蜘蛛の巣が張っていた。
明るい午後の光の下で見ても、陰気な感じは全くぬぐえていない。
死神が言うのも何だが、確かに何か「出そう」な雰囲気である。


「……何しにきやがった。てめえら」
「出たぁ!!」
びく! と吉良と雛森が肩を震わせた。
「誰だ!」
建物が、声がこもるような構造になっているせいで、どこから声が聞こえてくるのか分からない。
恋次は周囲を見渡して怒鳴り返した。

―― 待てよ。この声……
「返り討ちにしてやるぜ」
「……ちょっと待ってくれ、アンタ」
恋次の記憶が、ボケてしまっているのではなければ、この声は。
「アハハハ! 返り討ち〜!!」
続けざまに聞こえた少女の声に、さすがに吉良と雛森も気づく。
雛森が、おそるおそる周りを見回した。
「……今の声」
「やちる! お前、やちるか! 更木隊長、一角サンまで一体何を遊んで……!」

「くたばれやァァ!!」


ハッ、と恋次が天井を見やった。
螺旋階段の3階の部分から、一斉に影が落ちる。
「ちょ……一角さん、弓親さん、何を!!」
とっさに前に出た恋次が、斬魂刀を解放する。
刀を同時に打ち下ろして来た二人を、刀と鞘で打ち返した。

刃と刃が真っ向から打ち合い、火花が周囲に飛び散った。
一角の鬼灯丸と、恋次の蛇尾丸の刃が鍔迫り合い、互いの筋肉がきしむ。
「やるじゃねーか。押し返すなんてよ」
ニヤリ、と一角が凶悪な笑みを浮かべた。
二人の一騎打ちを見た弓親が、背後にヒラリと飛び降りた。
一対一を絶対のルールとする二人が、同時に打ち込んでくることはなさそうだが、だからといって恋次の劣勢に代わりはない。
「ちっ!」
二人の刃が離れ、恋次は、ビリビリと震える腕を押さえた。
何だ?
一体、どうなっている?
そこまで考えた時、吉良がくぐもった悲鳴を上げた。


「あぁ? 何だよ吉良?」
「首! 斑目三席と、綾瀬川五席の首に、傷が……」
傷くらいどうした、というにはあまりにも、吉良の声は怯えていた。
「その噛まれたような傷、まさか……」
噛まれたような傷。
その吉良の言葉に、恋次も二人の傷を凝視した。
確かに……何か犬のような動物に噛み付かれたような傷跡が、二人の首元にも見える。
「あの……まさか、二人とも?」
恋次は恐る恐る問いかけた。
「バンパイアに噛み付かれたら、バンパイアになる」
恋次も、そのことくらいは知っている。

「あぁ! たりめーだろ!」
がっかりするくらい堂々と、一角は胸を張った。
「僕らは確かに、バンパイアは全員倒したさ。バンパイアなんて僕たちにかかれば、相手じゃなかったね! 棺に叩き返してやったよ。
まぁ、そろって噛み付かれる、ていう想定外なことは起きたけど、たいしたことないだろ」
フッ、と微笑んだ弓親の口元から、キラーン、と人にしては長すぎる犬歯が覗いた。

「なにが『たりめーだ』ですか! 何やってんですかアンタら!」
ミイラ取りがミイラならぬ、バンパイア取りがバンパイア。笑えない、と恋次は思う。
「腹、減ったな……」
舌なめずりした一角を見て、恋次が一歩、後ろに下がった。
下がろうとして、その背中が止まる。
「さ、下がんないでよ」
怯えきった雛森が、恋次の背中を押している。

「ま! 待って……」
「血ィ飲ませろや、コラァ!」
野卑な叫びと同時に、他の十一番隊の隊士たちも、一斉に三人に覆いかぶさるように飛び掛った。
もはや「死神」というより、歯をむき出したバンパイアそのものの姿だったが。

「ヒィィィ!」
吉良が悲鳴を上げ、懐に手を突っ込む。
「えーと……悪を浄化する聖水!!」
その小さな瓶は、弓親の頭に当たってカシャンと割れた。
「く……臭い! なんだコレは!」
弓親が大げさに悲鳴をあげて、背後に飛びのいた。
しかし、その匂いに反応しているだけで、効いているとはとても思えない。

「ここに来る前、路傍の老女から千円で買った聖水です!」
「そんな胡散臭い水、この僕にかけないで欲しいね!!」
どうやら逆効果だったようだ。
弓親が、吉良に矛先を変える。
恋次はそれをフォローする気にも、もはやなれなかった。

「えーと、えーと、バンパイアには……コレだ!!」
そう言って吉良が続けざまに取り出したものを見て、弓親の顔が引きつった。
「ま、待て、そんな美しくないものを、この僕に……」
「食らえ!!」
弓親に負けず劣らず必死な表情で、吉良が懐から取り出した「ニンニク」を弓親に向かって投げつけた。

「……」
周囲の空気が固まる。
それがバンパイアと化した弓親に効くかどうか、ということはどうでもいい。
頭からニンニクをかぶった弓親が、プルプルと震えだす。
ものすごい臭気が、辺りから立ち上った。

「ふ……」
弓親が一歩歩むと、懐からニンニクが2・3個、ボトボトと落ちた。
「キ・サ・マ……」
吉良が、体裁も何もなく、後ろへ跳び下がる。
「死ねぇぇぇ!!」
「ひ、ひいいいい!」
情けない悲鳴が上がった、直後。
弓親が、吉良の首筋に食いついた。
「きゃぁぁぁ!」
雛森の悲鳴が木霊し、ガックリと吉良がその場に崩れ落ちた。


「い……いや」
ぺったり、と床に座り込んだ雛森が、座り込んだまま背後に下がった。
その雛森に、ニヤニヤと笑いながら十一番隊士たちが歩み寄る。
「とっとと仲間になっちまったほうがラクだぜ? なに、一瞬だ」
「雛森!」
恋次が、雛森と隊士の間に割って入った。
「お前は、この建物から出ろ! で、瀞霊廷に帰って報告するんだ!」

「う……」
それでも、雛森は怯えた目を、元同僚だったバンパイア達に向けたまま、動こうとしない。
「ちっ」
恋次が、斬魂刀を隊士たちに向けた時だった。
「いやぁぁぁ!!!」
何の前触れも無く……突然、雛森が暴発した。


「何だぁ??」
背後からの熱風に煽られ、恋次がとっさに横に避ける。
「う……」
まるで少女のようにしゃくりあげながら、雛森が一歩、前に踏み出した。
それを見て、ざっ、とバンパイア達が背後に下がる。
雛森が鬼道の達人だということを知らぬ者は、瀞霊廷には一人もいないからだ。
そして、稀に起こる彼女の暴発を、止められる者はいない……ということも。

スッ、と雛森がその手を前に向ける。
「しゃ……赤火砲! 赤火砲! 赤火砲――っ!!」
「うぉぉぉあっ!?」
爆発的にあがった紅蓮の炎が、建物の中に充満し、恋次を含めた全員がその場から逃げ惑った。
「お! 落ち着け! 落ち着いてくれ雛森!!」
恋次の声も、雛森は聞いちゃいない。
「ま……待った待った!」
一角と弓親まで焦っているのが、コトの深刻さを物語っていた。
―― このままぶっ壊し続けたら、建物外にも被害が出るぞ!?
空座町謎の丸焼け、という言葉が胸をよぎった、その時。
「きゃははは!」
およそ場違いな少女の笑い声が、周囲によく通った。

「や……やちるちゃん?」
その声は、混乱しまくっていた雛森にも届いたらしい。
乱発しまくっていた鬼道を雛森が収めたとき。
その肩の上に、ひょい、とピンク色の影が乗った。
「ももりん!!」
にこー、と笑うその表情に、雛森はホッと息をつく。
「よ……よかったぁ、やちるちゃん。ていうか、あたし今何してたの?」
ブスブスと煙を上げているロビーを見回し、雛森がキョトンと小首をかしげた。

「いいから。おめー、出ろ? ここから出ろ、早く」
一角がシッシッ、と雛森を追い払う仕草をした。
しかし、その腰が引けている。
怒り狂う女の鬼道には勝てない。恋次は、十一番隊の限界を思った。
しかし、そんなことは今どうでもいい。


「やちる……おめ、歯見せてみろ」
「ほぇ? 歯?」
恋次の問いに、やちるがキョトン、と小首を傾げた。
そして、大きく口を開けてみせる。
その口の中を見やった恋次の表情が、見る見る間に凍りついた。
「雛森! やちるから離れろ!」
「え……」
その時にはもう遅かった。
大口を開けたやちるが、そのまま雛森の首筋にパックリと噛み付いたのだ。
「……あっ?」
雛森の顔から、一気に血の気が引く。
「雛森っ!!」
駆け寄ろうとした恋次の目の前で、その体がぐったりとくず折れた。


「ま、まさか。俺一人になった?」
恋次が、額や頬からイヤな汗を流しながら、背後に下がった。
その恋次に、バンパイアと化した十一番隊の連中が、ニヤニヤしながら歩み寄る。
「ま、ここに来たのが運の尽きだな、恋次」
ズイ、とバンパイア達を押しのけて現れた男に、恋次の顔が泣きそうに歪んだ。
「カンベンしてくださいよ、更木隊長! それにだ、このままここに居たら、王廷の刺客とやらに成敗されてしまいますよ?」
「あぁ? それのどこかまずいんだ。元々俺らは、刺客とやらと戦うためにここに来たんだからよ」
なんでよりにもよって十一番隊が派遣されたんだ。
恋次は、後ずさりながら日番谷たちと同じことを考えた。

「一対一で俺を倒せたら、見逃してやってもいいぜ? 他の奴らには手を出させねぇ」
更木が腰の刀を抜き放つ。
―― どうする……
斬魂刀を自分も抜き放ちながら、恋次は心中考えた。
今、身を翻して逃げてしまえば、逃げ切れるかもしれない。
少なくとも、更木に勝つのに比べれば、そっちのほうがよほど可能性がある。
しかし……


「ほぉ。いい度胸じゃねえか。さすが元十一番隊だ」
更木に刀を向けた恋次を見て、一角がニヤリと笑った。
―― 試してみてぇ……
更木の元から離れ、六番隊の副隊長に抜擢されてから、まだ一年も経たない。
でも、六席に過ぎなかった頃と、卍解をも会得した今の自分は明らかに違う。
試してみたかったのだ。かつて最強と崇めていたこの男に、自分がどこまで迫れるのか。

緊張が、恋次を包み込む。
しかしそれは、さっきまでとは違い、どこか心地よいものだった。

更木がゆっくりと刀を構える。
恋次が、今にも飛び掛らんばかりに腰を落とす。
十一番隊士たちが、それを固唾を呑んで見守った、その時 ―― 

ガッ、とふたつの手が、恋次の両肩を掴んだ。
「へ」
振り返った先の人物を見て、恋次の表情が固まった。
「ヒドイよ阿散井君、一人だけ助かろうなんて……」
恨みがましい顔をした吉良が、そこにはいた。
「ゴメンね阿散井君、申し訳ないと思ってるんだけど……」
頬を赤らめた雛森が、にっこりと微笑んで顔を上げる。
「どうしても、血が飲みたいの♪」
その口元から覗いた鋭すぎる犬歯を見て、恋次が言葉にならない悲鳴を漏らす。

「……あー、悪ぃな、恋次。こいつら十一番隊じゃねえし」
「そりゃないスよ、更木隊長! あぁっ、ちょっとカッコイイことするつもりだったのに!」
ぶち壊しだ、という声は、自分自身の悲鳴にかき消された。