チッ、チッ、チッ。
時計の針が、ゆっくりと時を刻んでいる。
「日が暮れる……」
雛森は、ステンドグラスの向こうに沈む、夕日を眺めてそう言った。
そして、その教会のような空間に、ふわりと浮かんだ台座に目をやる。
「それにしても、本当に綺麗な子ね。王族のお姫様だって、言われなくても分かるくらい」
棺の上に座り込んだまま、台座を見上げた。
―― あたしだって……!
もうちょっと顔が小さくって、色が白くて、スタイルがよければ、人生変わっただろうか。
もしかしたら、藍染隊長にも見捨てられずに済んだかもしれない。
日番谷から投げつけられた一言が、胸によみがえる。
―― おめー、あと十年も寝ねーと、アレに追いつけねーぞ。
アレ、とは乱菊のこと。
そりゃ、あんなスタイルと比べたりしたら、あたしなんか……!
ていうか、死神の中でも一・二を争う子供体型の日番谷に、なんでそんなことを言われなくてはならないのか。
「はやく来ないかなァ、シロちゃん☆」
突然、異様に上機嫌になった雛森を遠巻きにしながら、吉良が恋次を見上げた。
「来るんだろうね? 他の死神たち」
「そりゃ、こっち来いって手紙書いといたから、来るんじゃねーの?」
「お腹すいたなぁ。早く来てくれないと飢えるんだけど……」
のんきなものである。二人の会話は、瀞霊廷にいるときと全く変わらない。
ただ……二人の口の脇から、長すぎる犬歯がはみ出しているのを除けば。
その時だった。
「おい! 死神が誰か来たぞ!」
見張りに立っていた十一番隊士の声に、三人はハッと顔を上げた。
「おい!どこだ!」
「玄関からです!」
「また律儀だな……朽木かぁ?」
建物の中に、死神……だったバンパイアたちの声が響き渡る。
ダン、と足音を立て、三人が玄関前にたどり着いた時には、十一番隊の面子は既に顔を揃えていた。
「どいつだ……?」
「日番谷に千環!」
「いや、檜佐木に五十環」
「安いな……俺は朽木に二千環だ!」
本人達が聞いたら、まとめて脱力するような会話が飛び交う。
「ジーさんじゃなければ何でもいい! あのジーさんの血、まずそうだしな……」
更木の言葉に、一同が頷いた。その時。
ぎぃぃ……ときしんだ音を立てて、扉が開いた。
「お邪魔します」
まるで普通に、淡々すぎるほど淡々と、扉をひき開けて現れたのは、日番谷だった。
「……」
とっさに、その場の全員がリアクションを取れずに立ちすくむ。
「ひ……日番谷くん?」
「逃げたほうがいい……」
淡々としているのではない。どっぷりと疲れ果てているのだ。
雛森が日番谷の無表情を見て、そう察したとき。
日番谷は中に入り、外にいた人物を招き入れた。
そして。
そこにいたのは。
「皆さん、いい夜ですね」
上機嫌……とさえいえる笑みをたたえた、卯ノ花烈だった。
瀞霊廷で見かけるのと、変わらない格好をしている。
艶やかな長い黒髪を三つ編みにして前に垂らし、死覇装の上に、ふわりと隊首羽織をまとっている。
いつもとただ一つ違うのは、いつも副隊長の虎徹に持たせている斬魂刀を、手に携えていることだった。
「な……なんだ、脅かしやがって。四番隊じゃねーか」
医療専門部隊の四番隊を、普段から舐めてかかっている十一番隊士達は、ヘッと笑いを漏らす。
「年は食ってるが女だ! 俺が血ィもらった!!」
日番谷が、そっ、とさらに卯ノ花から離れた。
「隊長! 行かないなら俺達がもらっち……あれ?」
飛び下がった更木以下隊長格を見て、隊士たちがキョトン、とする。
卯ノ花がさりげない動きで、刀の柄に手をやる。
そして、音も無くスッと抜き放ち、白銀の光がこぼれた。
その刃の切っ先を、地面に垂直に向ける。
とっさにその場の全員が反応できないほど、その一連の動きは自然だった。
「……月下水鳴」
まるで詩を詠むような穏やかな声。
しかし……短い言葉を言い終わると同時に、刀が発光した。
その刀身の中ほどの位置から刀を中心として、水紋のような光が波状に広がるのが見えた。
それはほんの刹那の間に、周囲に輪のように広がった。
チッ、と音を立てて、日番谷の逆立てた髪に、その水紋の外輪部分が掠った。
―― はっ?
パラパラ、と白銀の髪が何本か、散り落ちる。
これは……霊圧でできた「刃」だ。しかも、途方も無く鋭い。
それを把握すると同時に、
「逃げろっ!!」
とっさに日番谷は叫んでいた。
しかし、その言葉もむなしく、その恐ろしく巨大な「刃」は、地面から150センチほどの高さで水平に迫った。
「うぉぉっ!」
避け切れなかった十一番隊の隊士たちが、胸ほどの高さにその一撃を喰らい、弾けとんだ。
「あぶねっ!!」
さすがに副隊長格以上と一角と弓親は、その場から飛び離れる。
スッ、と軽やかな足取りで、卯ノ花が一歩踏み出した。
意識がある十一番隊の者たちは、一気に後ろに下がる。
あの戦い好きな隊士たちを一瞬でひるませるとは……日番谷は別の意味で感動した。
穏やかな水の綾のように見えながら、触れればこの威力。
卯ノ花らしい攻撃だ、と内心で頷く。
―― だから、コイツとは組みたくないんだ……
日番谷の嘆きを知ってか知らずか、卯ノ花は艶やかに微笑んだ。
「悪霊退散」
「悪霊って、仲間だぞコイツらは!」
「もちろん、存じておりますわ」
至極当然な日番谷の突込みにも、卯ノ花は動じない。
スッ、と人差し指を屋敷の奥へと向けた。
「姫はあちらのようです。ひとまず、助け出してくださいな。この人達はその後でゆっくり」
その後でゆっくり、なんだというのだろう。
しかし、それは断じて尋ねるまいと思う日番谷なのだった。
***
そのころと、ほぼ同じくして。
バンパイア屋敷の前に、一組の男女が現れた。
バサッ、と死覇装が風に煽られてはためく。
「また、帰ってきちまったな、ここに」
一護が肩をけだるげに回し、バンパイア屋敷を眺め回した。
「あぁ……」
ルキアがそれに、生真面目に頷く。
前回は慌てていたから、バンパイア屋敷の外観などマトモに見ていなかった。
しかし、改めてみてみると、「いかにも」な幽霊屋敷である。
「よし行くか!」
一護が巨大な斬魂刀を肩に担ぎ、どすどすと屋敷の門をくぐろうとする。
「たわけが!」
その後頭部を、すかさずルキアが殴った。
「てーな! 何しやがる!」
振り返った一護の前に、ルキアがズイと身を進める。
「うかつに踏み込むな! 十一番隊や、恋次達でさえ戻ってこないのだからな」
「分かって……うぉっ!?」
ズウゥゥン、と地響きのような音が響き、地面が地震のように揺れる。
「な……なんだこの凶悪な霊圧は!」
門に掴まった一護とルキアは、思わず顔を見合わせた。
一護ですらクッキリと感じる強い霊圧が、急速に屋敷内を制圧しつつある。
「どういうことだ! 前に入ったときも、これほど性質(タチ)の悪い霊圧ではなかったぞ?」
王家の姫に力を借りたバンパイア達の攻撃は、強力ではあったものの、こんな性質ではなかったはずだ。
狼狽するルキアの隣で、一護が立ち上がった。
「とにかく、入ってみなきゃ状況は分からねーよ。行くぞ、ルキア!」
「あぁ」
確かに。ここにいて霊圧を探っていたところで始まりそうに無い。
ルキアは大股で玄関に向かう、一護の背中を追った。
そして、まさに同じ時。
「んっ……揺れが収まった! お前ら、落ちてねーか!」
バンパイア屋敷の壁にへばりついていたジン太が、背後を振り返った。
「うん! 大丈夫」
「なんとか」
返したのは、遊子、ウルル。遊子を支えているのは夏梨だった。
「どこなんだよ、眠り姫がいたのは!」
ジン太は、元は青だったと分かる程度に色がはげた屋根から、三人を見返した。
そして、慎重に足を進める。何しろ、苔がはびこっているために、気をつけないと滑るのだ。
「あっちだ! あの……ステンドグラスが見えるところ!」
窓枠に掴まって身を乗り出した夏梨が、中庭のほうを指差した。
そこにひときわ高い、塔のようなものが見える。
その塔の天辺には錆びた風見鶏が取り付けられ、吹きぬける風に嫌な音を立てていた。
「ねぇ。引き返そうよぅ……死神さんたち、本気で戦ってるよ」
ウルルが身をすくめる。
なまじ自分の霊圧が高い分、中の戦いの様子も手に取るように感じられるらしい。
しかし、同じように霊圧を感じているはずのジン太は、ハッと笑い飛ばした。
「大丈夫だって。それより、姫だぜ! 姫を助け出すのは男のロマンだろうがよ!!」
ジン太は逸っていた。
日番谷でさえ顔色を変えるほど、高貴な出自の姫。
それを、日番谷よりも先に、自分が助け出すのだ。
それを聞いたウルルが、ますます眉をへの字に曲げた。
「じゃぁ、ジン太君一人で行ってきてよぅ。あたし達、男じゃないし」
うっ、とジン太が言葉につまり、後ろの3人を見渡した。確かに、自分以外は全員女だ。
「い、いーだろうよ! 俺一人で行って……のわっ!?」
バンパイア屋敷の内側で光が明滅し、またドーン、と建物全体が揺れる。
よろめいたジン太の袖を、後ろから来た夏梨が捕まえた。
「一度やってみたかったんだよな、姫を救うって!!」
ジン太に負けず意気揚々と、夏梨が足を踏み出した。
どうやら、頭のその辺の構造はジン太と同じらしい。
「あたし、お姫様の写真を撮りたい!」
その後ろに、携帯をポケットに入れた遊子が続く。
「見つかったら、怒られちゃうよ……」
ウルルは辺りをきょろきょろと見回し、他の三人が先に行ってしまったのを見ると、ため息をついてその後を追いかけた。