「な、んだぁ? こりゃ」
ロビーの中に一歩足を踏み入れた一護は、その光景に絶句した。
広々としたロビーのあちこちは焼け焦げており、焦げ臭い匂いが周囲に漂っている。
階段は途中から打ち壊され、馬鹿でかい刃物でも食い込んだような跡が見える。
「お! おい!!」
ルキアが一護の脇から飛び出し、その場に累々と横たわった死神たちの一人を抱き起こした。

「この者、十一番隊の……」
間違いない。数日前、浦原商店に乗り込んできたとき、更木と一緒にいた隊士だ。
その胸の辺りに一直線に、何かが食い込んだような跡が見て取れる。
よほど痛かったのか、顔はゆがみ、口からは泡を吹いていた。
全身は埃に覆われ、体のあちこちを負傷しているのが見て分かった。

「おい、しっかりしろ!」
ルキアが肩を掴み、うめき声を漏らしているその男を、何度か揺すった。
「どうしたのだ。一体誰にやられた?」
「ひ、ひでぇ……もうカンベンしてくれって言ったのに」
うっすらと目を開き、男が口を開く。
「誰だ。バンパイアにやられたのか?」
「お、お、お母さんに……うっ!!」
その言葉を最後に、がっくりと男は首を落とした。


「……お母さん?」
一護とルキアは、微妙な表情を見合わせた。
「お母さんなんていたっけか?」
「答えようがない質問をするな。それにしても」
ルキアは、ひどい有様のその男をそっと床に横たわらせると、唸った。
無理もない、と一護も思う。
戦いが三度のメシよりも好きな十一番隊をして、「カンベンしてくれ」といわせるほどの敵は一体何者なのか。
その者は、よほど極悪非道に違いない。

「! 見ろよ、ルキア!」
一護が何かに気づき、気を失った男の口元を指さした。
凝視したルキアが、怪訝そうに眉をひそめる。
「この犬歯……もしや」
「多分、そのまさかだぜ。コイツも、ここに倒れてるコイツもそうだ」
一通り目に映る何人かを見たが、全員その口元に、見覚えの無い巨大な牙が見て取れた。

「まー、そんな気はしてたけどよ。やっぱりバンパイアになってたか」
一護がため息をついて、立ち上がった。
十一番隊の誰も戻ってこなかったとき、既にその可能性は濃厚にあったのだ。
戦いは筋肉で制する十一番隊にとって、バンパイアを倒すことは難しくは無いはずだ。
しかし……噛み付かれたら最後、自分にもバンパイアが「感染する」ことを知っていたかどうか。
大体、知っていたとしても、それを考慮して距離をとって戦うなど、きっとしないのだコイツらは。


「と、すると……こいつらを倒したのは、恋次たちか?」
「だとしたら、更木隊長には勝てん!」
ルキアが、バッと立ち上がる。
「一護お前、更木隊長を押さえられるか?」
「え? そりゃまぁお前……」
カンベンしてくれよ。そういう前に、
「行くぞ! あちらで強大な霊圧を感じる!」
ルキアは一護の袖を掴むと、全力で走り出した。



そのころ。
「おおおお重い! やめてください、卯ノ花隊長っ!!」
屋敷の奥の方では、恋次が、あられもない悲鳴を上げていた。
仰向けに倒れたその背には、巨大なエイに似た生物……卯ノ花の斬魂刀の化身、肉雫接(みなづき)がのしかかっていた。
そのサイズは5メートルほど。見た目も実際も、息が出来ないほどに重い。

―― お、俺が何したってんだ!
ただ、戻らない十一番隊のために出向いただけじゃないか。
なのに何が悲しくて、本来治療班の元締めによって、こんな目に合わなくてはいけないのか。

ウフフ、と微笑んでいる卯ノ花に、恋次は全力で訴えを試みた。
肩から下は押さえ込まれているため、手をバンバン叩くくらいしかすることはないが。
「アンタ、四番隊の隊長でしょう!こんなことして、あとで治療しなきゃいけないのも……」
「誰が治すのですか?」
サラリ、と卯ノ花は言い放った。

誰がって。
恋次は凍りつく。
ひょっとして、やるだけやって治す気はまるでないとか?
恋次は心中震え上がりながら、傍に積み上げられた一角と弓親、吉良の(死)体を見やった。
「ちょっ、冗談じゃない……、て、潰されてる俺潰されてる!」
悲鳴を最後に、ぐしゃ、その体が肉雫接の下に完全に隠れた。


「おーおー……」
傍においてあったアンティークな猫足のテーブルに、更木が腰を下ろした。
ビシッ、と音を立てて、華奢な猫足にヒビが入る。
部下達の惨状を見て、更木にしては珍しい、非常に微妙な表情を浮かべていた。
「戦われますか?」
にっこり、と卯ノ花が笑顔を浮かべる。
行動と言葉がこれほどあってない人間は珍しい。

「戦ってもな。あんまり面白そうじゃねえなぁ」
更木は、さらに珍しくもぼやいた。
そして、ちらり、と視線をドアの近くに走らせる。
「てめーを人質にしてもムダか?」
無造作に刀を引き抜き、ひゅっ、と佇む少年の喉元に向けた。
腕を組んだ日番谷が、無関心そうに、自分に向けられた切っ先を流し見た。
そして、ノコギリのように欠けた刀身を無造作に指先で掴むと、スイ、と自分から避ける。
「隊長が、隊長から逃れるために隊長を人質にすんのかよ
バカバカしい、とその目が言っている。
ただ、その目つきにはわずかに、同情の色も見て取れた。

戦いを避けるなんて、なんて更木らしくない行動だろう。
それほど、目の前のこの女と戦うのが嫌だということだ。
日番谷にはその気持ちは、痛いほどわかったが。

「俺に『避けててくださいね♪』とでも言うのが関の山だと思うぜ」
そう日番谷が言い、ふたりして歩み寄ってくる卯ノ花に目を向けた。
卯ノ花はにっこり笑って、日番谷を見た。
「香典は弾んでおきますわ」
余計、悪かった。

突っ込みどころがありすぎて絶句している二人の男を、卯ノ花は涼しげに見やる。
「そういえば、日番谷隊長」
「……はぃ」
日番谷が我知らず、一歩下がる。
正直、更木に切っ先を突きつけられるよりも、卯ノ花に矛先を向けられるほうがよっぽど怖い。

―― どうするか……
姫を助けろ、とは言われている。
でもその前に、仲間である死神たちのほうがよっぽど救助の必要があると思い、動くに動けずにいたのだ。
そんな日番谷の心境を知ってか知らずか、卯ノ花は笑みを深くした。
「どうせ、そこにおられるならと思って。あなたのお友達は残しておきましたよ」
「へ?」


そーっ、と日番谷が背後を振り返る。
でも、そのときには分かっていた。
だいたい、そいつが卯ノ花の(毒)牙にかかるのがさすがに見ていられなくて、ここから離れられなかったのだから。
「シーロちゃん☆」
しかし当人は、そんな日番谷の気遣いなど気づくはずが無い。
基本的に雛森は、自分に向けられる好意に気づく能力が、恐ろしく低いのだ。
「雛森……てめー、痛い目に合いたくなかったら、大人しくしとけ」
日番谷は振り返り、ドアをくぐって現れた雛森を見返した。
あのドアをくぐれば、この広大な屋敷の中心部……姫を目撃した教会の近道だ。

「ちょっとそこに立っててね」
写真撮るから、とでも言いそうな気軽さで、雛森は日番谷に手を振った。
にっこりと笑いながらも、その口からはみ出している犬歯が非常に怖い。
廊下からドアまで、二人の距離は三メートル程度。
「って、できるかぁ!」
日番谷はとっさに身を翻すと同時に、瞬歩を使いその場から掻き消える。
「あっ!!」
雛森が横に手を伸ばすが、間に合わない。
雛森が振り向いたときには、日番谷は雛森の横をすり抜け、ドアから廊下へと飛び出していた。