―― とにかく、教会に行くか!
一体、どうやったらバンパイアから解放されるのか。
それがさっぱり分からない今、とにかく姫を助け出すしかない。
そう思った日番谷が、廊下の窓から見える教会に目を遣った時、
「コラ! 逃げないでよ!!」
日番谷の眼前に、瞬歩で雛森が現れた。
「ぅおっ!!」
とっさに体勢を低くし、伸ばしてきた雛森の手をすり抜けると同時に、瞬歩を使う。
ふっ、と中庭に姿を現す。
―― そうか、あいつも霊圧は高いんだったな……
厄介だな、と日番谷は舌を打つ。
霊圧を大量に消費する瞬歩を、実戦に取り込める死神は、実はそう多くない。
霊圧のキャパシティが限られている以上、瞬歩を多用しすぎると、他の鬼道などが使えなくなるからだ。
ただ、日番谷のようにキャパシティが極めて高い者にとっては、瞬歩の多用はさほど気にならない。
が……
「逃がさないわよ!」
雛森の手が、日番谷の袖を掠めた。
霊圧の高さで言えば、日番谷には及ばなくても、鬼道の達人と呼ばれた雛森も相当なものだ。
「てめーと戦いなんて、やってられるか!」
「そんなんだから、身長が伸びないのよ!」
「関係ねぇだろ!!」
くわっ、と振り返った日番谷の眼前に、雛森の手が伸びた。
過たず、その手は日番谷の額に垂らした前髪を掴む。
「い! 痛ぇ痛ぇ! 放せ!!」
「引っこ抜いちゃうわよ! 止まりなさ……きゃぁっ!?」
雛森が、素っ頓狂な悲鳴を上げて、日番谷から離れた。
「ひっどぉぉい!! 何よそれ!!」
「髪の毛を引っ張られる」というかなり珍しい攻撃が堪えたか、日番谷は若干涙目になっている。
そして、その右手に赤いスプレーのようなものを持ち、雛森に向けていた。
「これはな」
日番谷は、そのスプレーの注意書きを見やった。
「蚊用の殺虫剤。近くの薬局で、2本まとめて598円で買った」
「さすが吉良君より経済感覚があるわね」
「おまけに実用的だ」
「何が実用的よ!」
「実用的だろ」
日番谷が、彼には珍しく悪戯っぽい笑みを浮かべて、スプレーを雛森に向けた。
―― こっ、こいつ……
義理の姉ともいえる自分を蚊扱い。
護廷十三隊の隊長格の戦い方とも思えない嘆かわしさだ。
自分を棚にあげて雛森は唇をかみ締める。
日番谷は、雛森の手を振り払い、ひょい、と教会の屋根の上に飛び移った。
そのまま飛び降りると、数日前自分自身が侵入した、窓に着地した。
「てめーはそこで大人しくしてろ」
そう言って、中にふっと姿をくらませた。
「待ちなさいよ!」
慌てて日番谷の後を追った雛森が、屋根の上を見渡して、ふと足を止めた。
「あれは……?」
屋根の上から、教会の中の様子を伺っている子供が、4人ほど見えた。
現世の子供にしては、全員霊圧の水準が異様に高い。雛森が怪訝そうに眉根を寄せたとき、
「ひ……雛森副隊長っ!?」
ひどく驚いた声に、雛森はハッと振り返った。
振り返った視線の先には、真央霊術院で同期だった、朽木ルキアの姿が見えた。
そして、その後ろからこちらにやってくる、オレンジ色の髪をした少年も。
―― あれが、黒崎一護っていう旅禍?
雛森は、瀞霊廷に侵入したという旅禍を、最後まで目にしていなかった。
―― この霊圧。
黒崎一護とやらの強大な霊圧に驚いたのが、ひとつ。
しかし、同時に別のことも見抜いていた。
「今、そこの屋根の上にいる女の子、貴方の妹じゃない? 霊圧が似てるわ」
「……へ?」
一護は、心の底から意外そうな顔をした。そして、雛森が指差したほうを見やって、
「あぁ?」
今度こそ仰天した声を上げた。
トン、と軽い足音を立て、日番谷は姫が眠る台座の上に、飛び降りた。
その亜麻色の波打つ髪をそっ、と手で避けようとして、その手が止まる。
―― 柔らかい……
日番谷の硬い髪とは全く別のもののように、その髪はふわりと日番谷の指の中で形を変えた。
眠り続ける姫の頬は陶器のように白く、その桜色の口元は、わずかに笑みを浮かべているように見えた。
我知らず、息を詰めていたらしい。
ほぅ、と息を吐き出して、日番谷はガラにもなく動揺した。
―― なんだ? 俺、今何考えてた?
とにかく、この姫を連れ出してしまわなければ。
でも、この柔らかそうな生き物の、どこをどう持ち上げたらいいものか分からない。
日番谷が躊躇った時、
「あ!! おいこら、てめえ!」
聞きなれた声が響き、日番谷は泡を食った表情で振り返った。
「お前、なんでここにいる!」
「そりゃこっちの台詞だ、先越しやがって!」
見慣れたジン太の声を聞いて、なんとなくホッとしたのは初めてだったかもしれない。
だが、その後ろに遊子や夏梨、ウルルの姿まで見えたのは、一体どういうことだ。
「ここは危ねぇんだ、下がれ!」
日番谷が台座の上で立ち上がった時だった。
「あれ?」
身を乗り出して、携帯を構えていた遊子の体が、ぐらりと前に倒れた。
というよりも、足元の窓枠ごと、崩れ落ちたのだ。
「遊子!」
ジン太が手を伸ばすが、間に合わない。
「危ねぇ!」
次の瞬間、横から飛び出してきたのは、一護だった。
教会の中に落ち込もうとしたその手首を掴むと、一気に屋根の上に引き戻した。
「お! お兄ちゃん!」
「バカヤロ、何しに来た! 外に出てろ!」
外で、妹たちを叱り飛ばす一護の声が聞こえた。
台座の上に立ち上がった日番谷が、ホッと息をついた時だった。
「シーロちゃん♪」
ギクリ、と日番谷が体の動きを止めた。
その肩に、細い指が置かれ……振り返った日番谷は、くぐもった悲鳴を上げた。
「とにかく、おめーらはここにいろ。とりあえず姫をこの場所から連れ出すから」
一護はそういい残すと、窓枠に手をかけ、中を覗き込んだ。
「おーい、冬獅郎! その姫頼むぜ!」
「……あぁ」
雛森の隣に立つ日番谷の体が、ゆらり、とゆれる。
それを見た一護が眉をひそめた。
「どーした、具合でも悪いのか?」
「具合?」
雛森と日番谷が、同時に顔を上げた。
「あァ、気にすんな。ちょっとハラが減っただけだ」
その二人の姿を見た全員が、ぎょっと目を剥いた。
二人の口元からは、お揃いのように、長い牙がはみ出していた。