「っ!?」
日番谷が、とっさの動きで雛森を突き飛ばす。
そして、二人が避けた間を、天鎖斬月が通り抜けた。

ドォン!!
その衝撃に、家中が悲鳴を上げる。
教会の中は、もうもうとした煙に包まれた。
煙の向こうに、無残にもぽっかりと崩れ落ちた壁が見えた。


「馬鹿者、一護! そんな危険な技を……!」
ルキアは一護に駆け寄り、その袖の部分を掴む。
いくら日番谷と雛森といっても、月牙天衝をまともに受ければ軽傷では済むまい。
「時間がねぇんだっ!!」
一護は、ルキアを見返して怒鳴った。その剣幕に押されたルキアが、黙って一護を見上げる。

「もうじき、王廷のヤツが来るかもしれねーんだろ? その時までに決着をつけねーと、ますます事態がややこしくなんだろ!」
「そ、それは」
ルキアがとっさに口ごもる。一護の言葉が、事実だったからだ。
死神代行に心配されるのも情けないが、確かに助けに向かった死神がバンパイア化し、王廷の刺客を襲ったりしたら洒落にならない。
「コイツらは、俺が止める」
「……しょうがないな」
ルキアは頷いた。
そしてスゥ、と一度息を吸い込む。平常心が、急速に戻ってきていた。
格上の仲間に攻撃される、という事態に、自分でも気づかぬうちに軽くパニックになっていたらしい。


「……」
日番谷は、崩れ落ちた壁面をしばし沈黙して見やった。
「下がれ、雛森」
そして、刀を手に一歩前に出る。
「そっちも、朽木は手を出すな。俺と黒崎でケリをつける。それでどうだ」
「おぅ!」
ルキアの返事を待たず、一護は力強くうなずくと、自分も前に出た。

―― どうする……
ルキアは、固唾を呑んで、向き合う一護と日番谷を見つめた。
そっ、と足に手をやり、治癒系の鬼道を唱える。しかし、戦えるまでには時間がかかりそうだ。
ルキアがこんな状態な以上、一騎打ちを申し出た日番谷の提案はありがたい。
しかし、たった一撃で日番谷にその判断を強いた、一護こそ驚異なのかもしれない。

戦いを、止めたい。
しかし、もう止められないことは明らかだった。
そして、二人の実力は霊圧を見る限り、伯仲している。
ちょっと血を見る程度では、もはや収まりそうに無かった。



日番谷と一護が、互いを睨みすえながら、一歩、また一歩、と移動する。
互いを喰らおうとする肉食獣同士が、攻撃の様子を伺っているのを思い起こさせる。
躍動するときを待っている筋肉が、固く張り詰める。

日番谷の斬魂刀「氷輪丸」が、青白い光を浴びる。ハッ、と一護とルキアの表情が硬直した。
「霜天に……」
そこまで言いかけて、ふと言葉を止めた。そして、視線を教会の窓に走らせる。正確には、窓枠から戦いの様子をのぞいているジン太やウルル、夏梨と遊子に。しかしその視線は、すぐに逸らされた。
「……アイツ」
刀を正眼に構えなおした日番谷を見て、ジン太が眉をひそめた。
「氷輪丸は、その性質上周囲のものを巻き込む。……おぬしらを気遣う心は残っておられるのだな」
ルキアが、ふっと4人の傍に瞬歩で現れた。
「しかし、このまま戦いが進めば、おぬしらとてタダでは済まぬだろう。離れておれ」
「でも……」
夏梨は、必死の表情で眼下の一護と日番谷の姿を見下ろした。

―― 氷輪丸を使わねぇなら、勝てるか……?
一護は、油断無く斬月を構えながら、日番谷を見据えた。一護は、もともと刀での斬り合いは得意だが、鬼道は全く使えない。よって、鬼道系の斬魂刀……まさに氷輪丸のような力は鬼門なのだ。
素早さは勝てないかもしれないが、純粋に力の勝負なら体格から見て自分が上。
「行くぜ!」
とにかく、相手の動きを封じる。一護は右手で斬月を振りかぶり、日番谷に向かって一直線に駆けた。


「馬鹿者! 正面から突っ込むな!」
ルキアの叱責が飛ぶ。日番谷が、その大きな瞳をスッと細めた。
「脇が甘ぇ」
全くその声に動揺は感じられない。自分の身長の三分の二はある氷輪丸を軽々と扱うと、一護の左脇から一気に斬りつけた。
「一兄!」
夏梨の叫びと、遊子の悲鳴が響き渡り、血しぶきが散った。

「てめぇ……」
眼を見開いたのは、日番谷。一護は氷輪丸の鍔元を握り締め、その動きを止めていた。当然、鍔元といえど刃物である。一護の掌から腕に、血が滴った。
「いたく……ねー!!」
怒鳴ると同時に、力任せに日番谷の手から氷輪丸を奪い取ると、背後に放り投げた。
痛くないわけがないが、痛いなんて言っていられない。
日番谷の動きを封じるのに、それくらいしか思いつかなかったのだ。


刀を失った日番谷が、鞘に手をやると同時に背後に跳び下がる。
「逃がさねぇ!」
間髪入れず一護が追い、頭上から構えていた斬月を振り下ろした。
鈍い音が響き渡り、日番谷は頭上で、斬月を鞘を使って受け止めた。

「くっ……」
一護の上から押し込む力に、日番谷の口から苦悶の声が漏れた。当然だ、圧倒的な体格差に加え、力の差はいかんともしがたい。
「日番谷くん!」
「手ェだすな、雛森!」
「おとなしくしろ、冬獅郎! 俺の勝ちだ!」
しかしそこで一護が失念していたのは、日番谷がおそろしく負けず嫌いだ、という事実だった。
雛森と一護の声が、その負けず嫌いに拍車をかけただけだということも。

ぎり、と日番谷が歯を食いしばった。見下ろした一護の眼に、日番谷の体の輪郭がブレたように見えた。
―― なんだ?
日番谷の全身から、青白い光が放たれた。一護が眼を見張った瞬間、全身に強い衝撃が奔った。
体が痺れたと思った時には、一護の体は、まるで車にでも撥ね飛ばされたかのように背後に吹っ飛ばされていた。


「一護っ!」
教壇に背中を打ちつけ、破壊された机と共に転がった一護を見て、ルキアが声を上げる。
その衝撃により起こった風が、姫の眠っている棺にも届く。
けぶるような亜麻色の髪が、生き物のように揺れた。

「この、馬鹿力が……」
毒づいた日番谷が、両腕をさすっていた。
「俺が馬鹿力なら、お前はバケモン、だろうが」
ごほっ、と咳き込んだ一護が、斬月を支えに立ち上がった。斬月が白く光る。
見てみれば、それは刀身に張り付いた氷だった。

常なら穏やかな翡翠色である日番谷の瞳は、今は青白く爛々と輝いていた。
日番谷の全身が霞んで見えるほどの霊圧が、その体を覆っている。
近づくだけで吹っ飛ばされるほどの力……これでは、まともに近づくこともできない。


「そろそろ、本気でやるか?」
前に出た日番谷が、床に転がっていた氷輪丸をひょい、と足で蹴り上げる。そして柄を手でつかみとった。
「そうするしかなさそうだな」
一護が、斬月を構えた。
「死んでも怨むなよ。黒崎一護」
「……お前もな」
一護も、ここまで来ると本気でやるしかない、と観念した。
日番谷と、一護がにらみ合う。
そして、刀を共に構えた時……

「やめろよっ! 一兄、冬獅郎!!」
窓枠から、夏梨が身をおどらせた。数メートル下の、姫の眠る棺の上に、器用に飛び降りる。床に下りようとした時、
「動くな夏梨!」
飛んできた兄のかつてないほどに鋭い声に、夏梨の肩がビクリと動いた。
「冬獅郎を殺すのかよ!」
「そんな気あるわけねぇだろ! でも」
手を抜けば、殺される。ゆっくりと歩いてくる日番谷を見て、一護は刀を構えた。

「冬……」
真下にやってきた日番谷に夏梨が声をかけ、床に飛び降りようとした時だった。
日番谷が、夏梨に刀の切っ先を突きつけた。
その刃の向こうにある翡翠色の厳しさに、夏梨は息を飲んだまま、動けなくなる。
「そこから降りるんじゃねえ。それ以上近づいたら、安全は保証しねぇ」
「冬獅郎……」
夏梨の瞳に、驚いたためとも、悔しいためとも言えない涙がたまってゆく。
日番谷の心には、仲間を思いやる気持が残っている。それでも、止められないのか。

しかしその光景は、一護の心に火をつけるには十分だった。
「夏梨に手ェ出すんじゃねえ!」
裂帛の気合に、日番谷が振り向く。その時には、眼前に斬月の刃が迫っていた。
斬られる。
日番谷の背筋に、寒気が奔った。

「やめて!!」
夏梨が叫んだ瞬間、瞳にたまった涙が頬を伝い落ちた。その涙は、天を向いていた姫の掌に、落ちる。
「霜天に座せ、氷輪丸!」
日番谷が反射的に始解する。その時、夏梨の顔のすぐ後ろで、鈴を振るような声が響いた。


「おやめなさい」