だだだ、とスニーカーの足が、アスファルトを撥ね返し、駆けぬける。
このジン太様にかかれば、霊圧が強い奴がどこにいるかなんて、一目瞭然だ。
「この霊圧。間違いねえんだ。アイツもこの近くにいる!」
なのに、全く動かねえ。なんでだ? そう思ったとき、目の前がフッと暗くなる。何か考えるヒマもねえ。
その場から吹っ飛ぶみてえにして離れる。次の瞬間、俺がいた地面を、巨大な足が踏みつけた。
「てめー!」
ダン、と地を蹴って、思い切り足の甲に向けて、バットを打ち下ろしてやる。ドッ、と鈍い音がして、虚は足を押さえて飛び上がった。
人間だったら、イッテッテ、くれえ言ってそうだ……けど、悔しいけど、その程度だ。

 もう、これで戦った虚は30体を越えてるだろう。ウルルの霊圧も、消耗してるのが分かる。
―― 早くしねえと、遊子と夏梨が……!
「バカヤロー! あのガキ死神、見つけたらしばく! ぜってーしばく!!」
スカした白い横顔、キザな蒼い目。陰でニヤリと笑う口(これは想像)。俺はそいつに届けとばかりに、無人のパークに向けて大声で怒鳴った。


***


「隊長って、酔うと本性でますよねー」
前にそう言われたのを、俺はボンヤリ思い出していた。
「ぐうたらで、やる気なくて、でも腹立つと大爆発する」
それはてめーのことだろ、松本。俺はいつだって、てめーの数億倍は真面目に仕事してんだろ。
今だって……ちょっと目の前を虚がウロウロしてるのを、観察してんだ。

―― 酔っ払った……
空になったビール瓶を後ろに投げ捨て、カウンターに置いてあった新しい一本を手に取る。
親指でピン、と蓋を弾き飛ばし、口をつけて一気に呷った。マズいはずのビールを、なんで何本も何本も空けてるのかは、知らない。
クラクラと揺れる頭は、それでも、その場で暴れる見知った霊圧を追う。あの霊圧は……浦原商店で会ったガキどもと、黒崎一護の双子の妹だ。
このタイミング、おそらく浦原に騙されて、ここまで来てしまったんだろう。

敵を騙すには、まず味方から……か。浦原喜助、侮れねえ男だ。黒崎の妹たちの気配が、恐ろしい勢いで遠のいていくのを、俺は頭で追った。
―― 追わなきゃ……
アタマでは分かってる。でも体が一向に追っかけない。
このスピードだ、人力で移動しているはずがない。チラリと、双子の姉のほうの、勝気な目を思い出した。
面倒くせえけど、体も重いけど、放っておくわけにもいかねぇな。


ダン、と音を立てて、ビール瓶をカウンターに置く。そして、外に目をやった。
店先を、ジェットコースターが走り抜けてゆく。それに楽しげに、虚がつかまってるのを眺める。
―― 世も末だな。
そう思う。まぁ、人様に迷惑かけてるわけじゃねえし。というか、人もいねえし。

その時、ドカン、と道の一角が崩され……異物が、弾丸のような勢いで、飛び出してきた。レジャーなひと時を乱された、虚の皆さんがお怒りだ……
「こらぁ! このクソ死神! こんなトコで何ボサッとしてんだ!!」
額に青筋立てて、一直線にこっちにむかって走ってくるのは、浦原商店にいた、赤タマネギみてえな頭のガキだ。
「なんだ、うるせえな……」
コイツのことなんて、どうだっていいんだ。俺は、スツールに腰掛けたまま、バリバリと頭をかいて、そいつを見た。
「なんでこんな事態に、そんなローテンションなんだ、てめーは!」
バン! と店の柱を叩いて、ガキがこっちへ入ろうとしたときだった。その胴を、後ろから伸びてきた虚の手が、鷲づかみにする。
黒い布みてえなのを全身に被り、顔は白い仮面。目はうつろにぽっかりと開いた、異形の虚。

―― あれは……大虚!
「なんだ、このカオナシみてえなヤツは!」
俺が思うとほぼ同時に、ガキは別の名前を叫んだ。
「カオナシってなんだ?」
俺は、空に掲げられていくガキを見上げて、純粋な興味から聞いた。スツールから滑り降り、フラフラしながら、店の入り口に辿り着いた。


「この野郎!」
ガキは、大虚に向かってバットを振り回そうとしていたが、絶対に当たるわけねえ。大虚の口から、光が漏れ出る。
―― 虚閃を打つ気か!
「避難するか」
よっこいしょ、と背を向けた俺に、ガキが声にならない悲鳴を投げつける。
「てンめえ……!」
うるせえ。俺が酔ってる時にピンチになる、お前の運が悪いんだ。

そう思った瞬間。何かが空を切る音が、耳に鋭く響いた。
「死ねばもろともだぜ!」
妙に男らしい言葉に振り返ると、俺はありえないものを見た。あのガキ、俺にバット投げやがった!
避けるのも面倒くせえ、と思った、直後。ブンブン回りながら飛んできたバットが、俺の頭を直撃した。


「……」
ガキが、大虚が、俺が。沈黙する。
「こンの……」
イラッとした、ただそれだけなんだが。コントロールできない暴力的な力が、ぞわり、と俺の中で膨れ上がる。
「クソ野郎どもが!!!」
叫んだ途端、俺の中で霊圧が暴発する。バキバキと地面に罅が入り、店の柱が、天井が、あっという間に崩れ落ちた。
今まさに虚閃を放とうとしていた大虚も予定を変更したらしく、発射しようとした口もそのままに吹っ飛ばされてゆく。
「ぅおおお!!」
聞こえた悲鳴に、俺はふと、我に返った。

 


「あ」
あちこちでドンパチやっている霊圧を感じる。遅まきながら、異空間にアッサリ飲みこまれてしまった、自分達の立場に気づく。
―― ヤバイ。
一瞬でアタマが冴えてゆく。
「あ」
周りを、見回した。やたら、見通しがよかった。爆弾が落ちて、残骸を叩き潰して、更に掃除したかのように、それはきれいな更地になっていた。
……
今度は、さぁっと血の気が引いた。
「やっちまった!」
隊長としてのノーミス記録も、同時に粉々に吹っ飛ばしたことに気づく。


「おい、ガキ!」
慌てて更地に飛び出して、いきなり前につんのめった。我に返ったからって言っても、一気に酔いが覚めるわけでもねえらしい。
かすかに霊圧を感じるほうへ歩み寄り、途中で転がっていたバットを拾うと、氷輪丸で傍の岩を押し上げた。
「生きてるか?」
岩の下敷きになってたように見えたが、うまい具合に地面の割れ目にはまり込んでいたせいで、岩の直撃は受けずにすんだようだ。
泥と埃にまみれ、気を失ってはいるが、かすり傷程度だ。俺は顔を上げ、他のヤツらの霊圧を探る。
黒崎の妹ふたりは、一体どうなったのか、随分霊圧が遠い。草鹿と、もう1人の気配は、それぞれ近い場所にいる。

―― 全員無事か。
そう思った途端、ガバッ、とガキが体を起こした。
「てんめぇ!」
いきなり、俺に向かって拳を繰り出してくる。俺は、とっさに拾ったバットを体の前に翳した。
カーン!
間の抜けた音が響き、ガキは拳を押さえて黙り込んだ。

「言い遅れたが、バット返す」
「うる……せぇ」
目に涙を浮かべながら、そいつは俺が出したバットを奪い取った。
「ンなことやってる場合じゃねえんだ、遊子と夏梨が、海の上に……!」
ガシッ、と襟元を引っつかまれる。

「海の上?どういうことだ」
「どうもこうもねえ! 言葉通りだってんだ。早くしねえと……!」
その拳が、震えそうなくらいきつく握り締められているのを、俺は間近で見た。
全身泥まみれで、よっぽどの数の虚を相手にしたんだろう、よく立ってると思うくらい、その霊圧はボロボロになっていた。
「俺じゃ、アイツらを助けてやれねえんだよ!」
ちくしょう、と呟くと、ガキは立ち上がり、口を引き結んだ。

「おい、花刈ジン太」
「……は?」
フルネームを俺が知ってたのがよっぽど意外だったのか、ジン太はぽかんとした目でこちらを見た。
「何寝ぼけたこと言ってやがる。お前も来るんだよ」
「けど俺じゃ、力が……」
「足手まといなのは、力がねえヤツじゃねえ。意思がねえヤツだ」
別に同情して言ってるわけじゃねえ。事実だ。
間抜けな顔が、一気に引き締まる。
「おう!」
―― もう少し、持ちこたえろよ。
黒崎と同じ、強気な瞳を持つ、意思の強かった、あの女。
照準は、黒崎夏梨。
俺はアイツの居場所を感じ取ると、同時に駆け出した。

 

 
「ちっくしょう!」
暴走する水上バイクのハンドルを握り締め、あたしは叫んだ。メーターは、時速80キロを指している。
車の中なら、特に何も感じない速さだが、直接顔に当たる風は、暴力的に痛い。
後ろの席に座り、あたしの胴にきつく腕を回した遊子は、言葉もなく全身を震わせてた。
まず、この暴れ馬みたいな力の水上バイクを抑え込むには、あたしには重さも力も足りない。
いつ横転してもおかしくないけど、スピードを落すわけにはいかない。もし、スピード落そうもんなら……あたしは、そこで考えを強引に断ち切った。

水上バイクの両側にあがった水しぶきの向こうで、虚たちの姿が見える。
いくらスピードを上げても、こいつらは諦めもせず、あたし達の後ろを追いかけてくるんだ。
その数は、段々増えて、今は10体以上になっている。振り返ったあたしと、先頭を追う虚のうつろな目が、一瞬、交差した。
にやり。
その口角が、笑みの形にあがる。

―― 笑ってやがる……
こいつら。わざとギリギリの速度で追いかけて、遊んでやがる。
アタシは唇を噛んで、前に視線を戻した。
―― どうすんだ……
ハンドルを支える両手は、もう限界を超えて感覚もねえ。このままじゃ、遠からずコントロールから完全に離れる。
「夏梨ちゃん、夏梨ちゃーん!!」
遊子の悲鳴に、あたしは振り返る。その視界に移ったのは、巨大な拳を振り下ろそうと迫る、虚の姿だった。拳の先は……あたし。

―― やられる!
そう思った、瞬間。
あたしの頭に、ヒラリとイメージが舞い込んできた。前にも、同じように虚に襲われて、拳の一撃を受けそうになったときのこと。
バサリ、とあたしの前で翻った、黒い着物。白い隊首羽織。拳を軽々と受け止めた、蒼く白く輝く刀身。感情を微塵も動かしてない、白い横顔。

「負けて……たまるか!」
もう一度、アイツに会うんだ。コントロールを失いそうになった心を、ぐいと引き戻す。叫んだあたしの頬を、やけに冷たい風が掠めた。
この、気配。
「……氷雨」
この、声。あたしは、間違えない。

「冬獅郎!!」
叫んだあたしの目前で、あたしを狙った拳の真ん中に、巨大な氷の柱がつき立った。