「氷輪丸!」
その龍に向かって冬獅郎が叫ぶと、龍はあたし達に向かって方向転換した。その角をつかんで、冬獅郎が頭の上に着地する。
「え?」
周りを見回した冬獅郎が、初めて、驚いたみたいな呟きを漏らした。
「なんだよ?」
ジン太も、立ち上がってあたりを見回す。水上バイクは、海の中に沈んで跡形もない。
動きを止めた氷龍の上で改めて見渡すと、周りはシンと静まり返っていた。
途端。
周りの景色が、さっきの虚みたいに、スウッと消えていく。
「なんだ……!」
あたし達が叫ぶのとほぼ同時に、辺りは真っ白な光に包まれた。
「戻ってきたみたいだね」
まぶしさに目を閉じたあたし達が、初めに聞いたのは、思いがけずやちるちゃんの声だった。
「なんだ?」
目を開けたあたしが見たのは。何だか懐かしい気さえする、遊園地の風景だった。
ジェットコースターのレールの上に、やちるちゃんが座って、あたしたちを見つめてた。
見下ろせば、同じく無人の通りや、街並み、屋台が見える。
―― 戻ってきたのか……
あたしたちの乗った氷龍は、さっきまで海上にいたのが嘘みたいに、遊園地の上空まで移動してた。
「そういうことか」
その声に振り返ると、冬獅郎は片手を龍の角にかけたまま、遊園地の風景に目をやっていた。
冬獅郎の隣に立って、同じように周りを見渡してみる。
「霧?」
300メートルほど先からは、白い霧みたいなものに囲まれて、見えなくなってた。さっきまでは、普通に青天だったはずなのに。
「霧じゃねえな」
あたしの言葉に、冬獅郎は視線をこちらに向けた。
「あの霧の向こう、何も気配を感じねえ。異空間が、随分小さくなってるみたいだな」
「え?」
「下りるぞ」
冬獅郎がそう言うと、龍はあたしたちを乗せたまま、ゆっくりと地面に降り始めた。
地面にその胴体がついたと思った瞬間、ふっ……とその姿が消える。
トン、と地面に初めに下りた冬獅郎の体が、ふら、と一瞬よろめいたのを、あたしは目の端に捉えた。
「無理したねー、ひっつん。そんな長い間、龍を具現化させるなんて」
レールに座ったまま、やちるちゃんが冬獅郎を見下ろした。
そうなのか?
あたしは、冬獅郎の白い横顔を見る。
「うるせーな。てめーが酒飲ますから、ふらついただけだ」
ガシガシと頭をかくと、その銀色の髪の先から、水が滴った。それを見て、あたしも、全身ずぶ濡れなことに気づいた。
さっきまでは必死で全然気がつかなかったけど、はっきり言って……かなり、寒い。
「おい、ウルルは?」
ジン太が慌てて辺りを見回した。同時に、
「はーい……」
どこか申し訳なさそうな、いつもどおりのウルルの声が聞こえて、あたし達は振り返る。
「ていうか、なんでポップコーンまだ食べてんだ!」
「だって……戦ったら、オナカすいたんだもの」
恐るべし。ちょっと服が埃で汚れてるけど、全く傷一つついていない。
「なんでてめーは、怪我ひとつしてねーんだよ!!」
「痛い、痛いよジン太くん……」
ズカズカと歩み寄ったジン太に、こめかみを両方からグリグリされて、ウルルは悲鳴をあげてる。
「冬獅郎、くん」
遊子が冬獅郎に、歩み寄った。文字通り地に足がついて、ようやく落ち着きを取り戻したんだろう。ちょっとこいつも、休ませてやらねーと。
……?
ズン、と遊子が冬獅郎に顔をつきつけた。
「久しぶり! ねえねえ、どこにいたの今まで? どれくらいいられるの??」
機関銃のような勢いに、冬獅郎が一歩、さがった。
―― 立ち直りはえー……
いつになったら戻れるの?とか。虚はもういないの?とか、そういう疑問はナシかよ。
「現世に戻れるまでだ」
のけぞりつつ答えた冬獅郎の言葉に、
「じゃ、ここに住んでもいいな」
目をハートマークにして続ける、遊子。
「それは困る」
冬獅郎とあたしは同時に、突っ込んだ。
「ンなことより。なんで海が急に消えちゃったんだ?」
遊子を押しのけ、あたしは冬獅郎に尋ねた。
「海にいた虚が、一匹もいなくなったから、みたいだぜ」
「え? それってどういう……」
「虚を倒してたらね、途中から、どんどん遊園地が狭くなっちゃったの」
あたしの疑問に答えたのは、レールに腰掛けたやちるちゃんだった。
「ここから出る方法は多分、単純だ。中にいる虚を、全部倒せばゲームオーバーのはずだ」
「て、ことは」
あたしは、静まり返った遊園地の中を見渡した。
「まだ、あんなバケモノがいるの?」
さすがに、それを聞いた遊子が、不安げな顔であたりを見回した。
「大丈夫だ」
特に遊子の表情を見たわけでもないのに、冬獅郎はコイツにしては優しい声を返した。
「絶対、まも……」
「ジン太スペシャルラリアーッット!!」
遊子と冬獅郎が見詰め合おうとした、その瞬間。いつの間にかけ戻ってきたのか、ジン太が冬獅郎の頭に向かって「飛び蹴り」を仕掛けた。
ラリアットは飛び蹴りじゃねえだろ!
「ラリアットはこうだよ!!」
あたしが突っ込みを入れる前に、ひゅん、とやちるちゃんが冬獅郎とジン太の間に割ってはいる。
そのまま、ゴン!! とやちるちゃんの肘が、ジン太の頭に見事に決まった。
吹っ飛ぶジン太を残して、やちるちゃんはふわり、とまたレールの上に戻る。
「……何か面白えのか?」
冬獅郎は、サッパリ分からん、という顔でジン太の、地面に突き立った脚を見つめた。
頭が地面にめり込んでるから、そこしか見るところがないんだが。
「いーんだ。気にすんな。それより虚は?」
こういうことに激しく疎いらしい冬獅郎に事情を説明しないのは、あたしの情けだ。
「あっちだよ! おっきいのがいるよ」
レールに座ったままのやちるちゃんが、北の方を指差した。
「何か、レンガの建物が見える」
「バックドラフトじゃない?」
遊子が、ポケットから地図を取り出して、言った。
「炎のアトラクションだって! えーと、バックドラフトとは、家の中が焼き尽くされた火事のとき、
戸をあけた瞬間に、炎が噴出してくる現象のことを言うって」
「でも、この状況じゃ、その情報いらなくねえか?」
あたしは、そういったが、冬獅郎は遊子の解説に、顔を曇らせた。
「炎熱系の力ってのは、当たりみたいだな。それに、虚じゃねえ」
「虚じゃねえって……」
「虚より強い。破面だな、きっと。十刃よりは下だろうが……おい、草鹿」
「残らないよ、あたし。ひっつんと行く」
冬獅郎が言い終わる前に、やちるちゃんはそう言った。
「オイ」
レールの上を見上げたときには、ふわり、と体重がないみたいに身軽に、やちるちゃんは飛び降りていた。
「うぉっ?」
そのままがっし、と冬獅郎の頭に飛び乗った。その重さで、冬獅郎がよろめく。
「重いだろ、草鹿! 下りろ」
「重いなんて、いっつもは言わないのに」
やちるちゃんが、口を尖らせて言うと、地面に降り立った。
ぐっ、と冬獅郎が詰まる。
「そんなヘロヘロじゃ、1人でいったってだめだよ、ひっつん」
無邪気な子供にしか見えないやちるちゃんが、あの冬獅郎を説得してる。
「俺たちも行くからな!」
「遠足じゃねーんだぞ!」
冬獅郎が目を剥いてジン太に言い返した。
「でも、しぶきで濡れちゃったから乾かしたい……」
ウルル……あんたが天然だってことはよく分かったよ。
でも……これから、もう一体も虚が現れないなんて保証は、どこにもないんだ。
不本意だけど、疲れ果てたあたし達だけが残されたら、虚をどこまで撃退できるか分からない。
冬獅郎も、すぐにその結論に辿り着いたんだろうと思う。ふぅ、とため息をつくのが聞こえた。
「どいつもこいつも……勝手にしろ」
そういって、あたし達に背を向けて、バックドラフトの建物に向かって歩き出した。もちろん、あたし達も後に続いた。
無人のまま、楽しげに回り続けるメリー・ゴーランドを横切って、あたしたちはバックドラフトの前に立った。
立った途端、ぎい……と嫌な音を立てて、その巨大な扉がぱっくりと口を開けた。
あたし達は、そのあまりのタイミングのよさに、顔を見合わせる。
「入るぞ」
冬獅郎は先に立ち、真っ暗に見える建物の中に足を踏み入れた。やちるちゃんが、少し遅れてそれに続く。
あたし達が全員建物の中に入りきったとき、バタン、と背後の扉が勝手に閉まった。
部屋の中は、うす赤い光に照らされてた。映画のシーンを切り取った、消防車や部屋の中のレプリカが見えた。
部屋の奥には、次の部屋への扉がぼんやりと見て取れた。全く動揺した風もなく、死神のふたりは、足を進めた。
「炎のアトラクション、バックドラフトへようこそ」
男にしてはちょっと高めの声が、その暗闇の中に響く。ナレーションを聞いてる場合じゃねえんだ。
あたし達は、いつどこから攻めてくるか分からない破面に、体をこわばらせた。
ナレーションは、楽しげに続く。
「バックドラフトとは、扉を開けると同時に、急激に送り込まれる酸素によって、爆発的に炎が燃え上がる現象です。
この建物内はいくつかの部屋がありますが、どれかの扉をあけると同時に炎が噴出す、興奮の――」
「オイ」
冬獅郎が、そのナレーションを遮って、振り返った。
「遊園地ってのは、そんな危険な遊びをやんのか?」
ぶるる、と遊子が首を振った。当たり前だ。扉を開けた瞬間炎が噴出したりしたら、死ぬだろ。
「これ、そういうアトラクションじゃないよ……」
「お前、破面だな」
冬獅郎が、次の部屋への扉へ歩み寄りながら、天井を見上げた。