それに返したのは……ゲラゲラと笑う、悪意の篭った声。
「霊圧をありったけこめた炎ですので、並の反撃では無意味です。ご注意を……」
冬獅郎が、次の部屋へのドアに手をかけた。ゴクリ、と誰かが息を飲みこんだ。

「……」
「オイ、冬獅郎、あけるなら早く開けろよ!」
手をかけたままの冬獅郎の背中に、ジン太が声をかけた。確かに。勿体ぶられるより、一気に開けてくれたほうが気が楽だ。
冬獅郎は、あたし達をチラリと振り向き、部屋の一角を指差した。
「怖いやつは、そこから出てろ」
そこにあったのは、「緊急避難路」。
「怖くなったり、体調が悪くなったら、無理しないでここから出てね♪」とピンクの丸文字で書いてある。

「このやろー、バカにすんな!」
ズカズカとジン太が扉に歩み寄る。
「あ、バカ……」
冬獅郎が止めるより早く、ジン太は扉をガッ! と押し開けた。部屋の向こうは、前の部屋とほとんど変わらない内装だ。
「ホラ !大丈夫……」
ジン太は振り返り……後ろに誰もいないのを見て、ギョッと目を見開いた。

「てめーら、人に開けさしといて逃げんな!!」
10メートルくらい一気に跳び下がったあたしたちを見て、オイ、と突っ込みを入れる。
「お前が勝手に開けたんだろ。1人で吹っ飛べ」
「てめえ、それでも死神か! 人を助けるのがてめーらの仕事だろ?」
「違う」
心外だ、とでも言いそうな顔で、冬獅郎はジン太を見返した。
「人の魂をあの世へ導くのが仕事だ。お前が死んだら、本来の仕事をしてやるから、心配するな」
「今ので、余計心配になったぜ!」
ジン太は、肩を怒らせて先へ行く。


それについていく冬獅郎の顔を、あたしは見やる。
「オイ。お前、意外と機嫌いいだろ?」
表情は、相変わらずの仏頂面だ。でも、いつもより口数が多いような気がする。
「現世の遊園地って、けっこう楽しいねー!」
あたし達の隣を、ぽーんと弾むように歩きながら、やちるちゃんが言った。
イヤ、全然、遊園地ってこんなんじゃないから。あたしは突っ込みを入れたけど、もしかしたら冬獅郎も、案外楽しんでるのかもしれない。
まぁ、楽しいけどよ。これで、命の保障があるなら、だけど。

「度胸のある、チャレンジャー達に、一つ情報を上げましょう」
イヤミな調子のナレーションが、また聞こえた。
「これは、バックドラフト・サービスバージョン。炎が噴出した後、雷も同時につけましょう」
ハンバーガーにピクルスをつけましょう、ていう位の軽い口調で、続ける。
ピクリ、と冬獅郎の眉が動く。
「氷で炎を防いだとしても、次の一撃を防ぐことはできませんので、ご注意ください」
その声は、明らかに笑いを含んでた。本当にハラが立つバケモノだ。


「オイ、どーすんだよ?」
不安げな顔を見せたジン太の隣を、冬獅郎は通り過ぎた。そして、一気に次の部屋への扉を押し開ける。
「お前らは心配すんな。さっさと終わらせる」
コツ、コツ、と、あたし達の靴音だけが、赤っぽい部屋の中にこだました。そして……その次の扉に、冬獅郎は手を置いた。

「そこだよ」
それと同時に……やちるちゃんが、呟いた。
「ああ」
冬獅郎は、その扉に手を置いたまま、中の気配を推し量るみたいに、固まっている。
やちるちゃんが、その隣までやってきて、足を止めた。見下ろした冬獅郎と、逆に見上げたやちるちゃんの視線が、空中でぶつかる。
「また『俺はひとりでやる』……とか、言うの? ひっつん」
眉間にシワを盛大に寄せて、やちるちゃんが冬獅郎の口真似をする。ため息をついた冬獅郎は、ちらりと、ほんの一瞬……あたしを見た。

「二撃目は防げねえんだってよ、草鹿」
「ラクショーだよ」
やちるちゃんは、にこーっと微笑んだ。そして懐から、小さな棒みたいなものを取り出した。
それを、薄暗い部屋の中で一振りすると……それがあっという間に大きくなり、ひと振りの刀に姿を変えた。
やちるちゃんの身長くらいある、大きな刀だ。

「お前らは下がれ」
冬獅郎はそう言うと、やや置いて……一気に、扉を押し開けた。
瞬間。
目も開けていられないほどのオレンジが、あたしの視界に飛び込んできた。


―― 炎……!
それはまさに、「目に飛び込む」という言い方がピッタリの、速度で。避けるとか、防ぐとか、そういうレベルじゃない!!
部屋が、炎にあっという間に飲まれる、と思った瞬間。冬獅郎が、バン、と地面に右の手のひらを着く姿が、オレンジの光の中で、影のように見えた。
その手のひらから、青白い光が迸る。
「まぶしっ!!」
逃げる時間なんてない。あたし達は、目をつぶることしかできなかった。

 

そして……目を開けて。あたし達は、ぽかんとすることになる。
「……え」
部屋の中は、うす赤い光に包まれていた。そう、何事もなかったかのように。
「嘘だろ?」
あたし達は、自分の体を確認して、全部ついてることを確認する。一瞬で火葬されそうだって思ったのに……

「互角、だね」
静まり返った部屋の中に、やちるちゃんの声が響いた。
「そうだな」
返した冬獅郎は、地面に手を着いたままだった。その肩が、喘ぐように大きく一度、揺れる。
「冬獅郎!」
近づこうとしたとき。

「来るな!」
冬獅郎の鋭い声が、あたしの動きを一瞬で止めた。こんな緊迫した声を、冬獅郎が出すのをあたしは初めて聞いた。
そして……冬獅郎の向こうの部屋に佇む、人型の影を、あたしははっきりと見た。


仮面みたいなものを、顔半分に被った男……それは、何だかピエロみたいにも見えた。
「一瞬であれだけの炎を押さえ込むとは、お見事。……でも残念ながら、互角ではないようですよ」
ニヤリ、と、そいつが笑った。途端。まばゆい稲妻が、ジグザグに曲がりながらあたし達に迫った。

それは、先頭にいる冬獅郎に、まっすぐに襲い掛かった。
「冬獅郎!」
あたしはとっさに走りより、冬獅郎の前に、割り込もうとした。ギョッ、とした冬獅郎の顔を、あたしは目の端に捉えた。
「伏せろバカ!」
頭に手のひらを乗せられ、そのままぐっと床に押しつけられる。


あたし達の真後ろに佇む影……あたしはそれを見上げる。やちるちゃんが床と平行に構えたのは……身長くらいある、日本刀。
稲妻の光を浴び、ギラリと光が渡った。
「やちるちゃ……」
叫んだ言葉は。やちるちゃんの刀から発せられた光に、断ち切られた。

それは、まるで光るもう一本の刃が、やちるちゃんの刀から飛び出したみたいに見えた。
雷を裂き、貫いて、まっすぐに破面の元へと向かう。
「何っ……?」
破面が叫ぶよりも、早く。それは、破面の体の真ん中を貫いた。


「くそ……」
よろめいた破面が、その場から身を翻そうとしたとき。ヒュッ、と何の前触れもなく現れた影が、破面に迫る。
「ぐっ!」
腹に冬獅郎の足が食い込み、破面の体は壁に縫いつけられる。
「随分、おちょくってくれたもんだ……」
改めてみてみると、その破面は、冬獅郎よりも一回り大きいくらいで、体格はそう変わらない。壁に縫い付けられた、滑稽なピエロ。

「助けて、見逃してくれ」
冬獅郎はそれには無言で、右足で破面を押さえつけたまま、肩の氷輪丸の柄に手をやった。
「くだらねえ空間作りやがって。後悔するのが遅ぇ」
「ち! 違う! 違うんだ。この空間は、僕たちが作ったわけじゃないよ!」
「あ?」
冬獅郎は、柄に手をやったまま、体の動きを止めた。

「既にそこにあった空間に、吸い寄せられただけなんだよ! 誰かを傷つけようなんて思ってない!」
助かる望みあり、と思ったのか、破面が早口で捲くし立てた。
「……。ツバ飛ばすんじゃねーよ」
冬獅郎が、その言葉と同時に、足を破面から外した。


「お、おい! 見逃してやるのかよ!!」
ジン太が慌てて叫んだが、冬獅郎は面白くもなさそうな顔のまま、くるりと破面に背を向けた。
柄に手をやったまま。
その背後に、破面が飛び掛る。その爪を、冬獅郎の頭に向かって振り下ろした。
「甘ぇよ、死神!」

「『誰かを傷つけようなんて思ってない』と言ったか」
肩越しに、冬獅郎が破面を振り返る。目にも留まらぬ速さで、刃が鞘走った。
白銀の光が、うす赤い部屋の中でギラリと輝き……刹那の間に、部屋は静寂を取り戻す。
コマギレになった破面の体が……ふぅ、とその場から消えた。
「終わったのか」
あたしがそう言った時だった。その場の景色が、ぐにゃり、とゆがんだ。
「うわっ!」
「きゃぁっ!」
何かつかまるものを、と手を差し伸ばしたとき、周りはまばゆい光に包まれた。

 
***


 カチ、カチ。どこかで聞いたような音が響く。
「来る! 来る来る!」
「きゃー!!」
次に聞こえてきた声は……あたしたちの声じゃない! あたしはハッと目を開けた。

そして、自分達が座席に座っていることに気づく。
―― ここ……あのジェットコースターか!!
あたしたちが、異世界に送られる直前にいた場所。

振り返ると、舟の上には満杯の人、人、人。あたしの前には、遊子とジン太の姿……
「戻ってきたんだ!」
あたしは思わず叫ぶ。濡れていたはずの服も、嘘みたいに乾いていた。


 「何だ、ここ?」
冬獅郎の声に、ハッと視線をめぐらせると、ジン太の席の前……ジェットコースターの先頭に、冬獅郎とやちるちゃんの姿が見えた。
黒装束の死神姿で、後ろの風景が透けて見える。他の客からは、この状態のふたりの姿は見えないはずだ。
「え……まさか」
ジン太の情けない叫びがあがる。
カチ、カチ……音と共に、あたしたちは上へ、上へと運ばれる。

「また、落ちんのかよぉ!」
カチ。
音が止まった。
「ん?」
冬獅郎が周りを見回したとき、舟が物凄い勢いで急降下する。怪訝な顔をした冬獅郎が舟から飛び離れようとした瞬間、
「ぎゃあああ!!」
絶叫をあげたジン太が、腕でがっし、と冬獅郎の胴を掴んだ。

「え……?」
一切の疑問も、抗議も、さしはさむ余裕もなく。
「ぅおおおお?」
冬獅郎は、頭から何十メートルも、落ちた。

 
***


「イヤ、それはさ」
ズズッ、とストローでジュースを吸い上げながら、ジン太が言った。
「酔っ払ったのは、てめーの自業自得だとしても。その後無理して霊圧使わしたのは俺達のせいだし。悪いと思ってんだぜ」
「……」
ジン太が見つめる先。眉間の、それはそれは深い皺。

「だからよ。間違っても、てめーをいきなり、ジェットコースターの頂上から、脳天逆さ落としにするようなつもりは……」
「ちょっとでも悪ぃと思ってんなら……」
テーブルに着いた拳が、プルプル震えてる。ダン!! と、その拳がテーブルを叩いた。
「ゲラゲラ笑うのをやめろ、てめーらぁ!!」
「アッハッハ!!」
あたしたちは、(もともと笑ってたが)ついにこらえられなくなり、そっくり返って大爆笑した。

だって。
天下の死神が。
その中でも、隊長様ともあろうお方が。
ジェットコースターから、逆さ落としの刑を食らったとはいえ。
一瞬とはいえ、気を失ったら、笑うだろ??


「ひっつん、そんな怒ったら、身長伸びないよ?」
「関係ねーだろ!」
ずい、とやちるちゃんが、冬獅郎の手に、並々と紅茶が注がれたティーカップを渡した。
憤懣やるかたなし、という表情で、冬獅郎が動きを止める。

午後の日差しが、ぽかぽかとあたしたちを取り囲んでいた。
死神姿だったふたりも、それぞれジーンズにシャツ、ワンピースの普通の姿になってる。
現世に戻ってきたあたしたちは、カフェの窓際の席に陣取っていた。


「ンなことより。頭打ったついでに、思い出したことがある」
「なんだよ?」
あたしは涙を拭きながら、仏頂面を取り戻した冬獅郎の顔を見やった。
「つまんねー話だよ。ある男が、上から頼まれて、異空間を作る実験をしてるって噂で聞いた」
「はっ?」
その場の視線が、冬獅郎に集中する。

「異空間っていうより、そのエリアのレプリカを作っておいて、ホンモノは別の場所に転送するって実験だ」
「オイ、それってひょっとして……」
かなり、被ってないか? あたしは絶句した。


あたし達が送り込まれた空間は、全くホンモノと同じ外見を持つ、確かにレプリカと言ってもいいような代物だった。
「その男って、誰なんだよ?? 俺がぶっ飛ばしてやる!」
ジン太が、冬獅郎に詰め寄る。対する冬獅郎は、ハァ、と気の無い返事をする。
「お前ら、誰に言われてこの遊園地に来たんだ? 金出してくれたヤツがいただろ」
「ん? ああ」
「俺もまさか、自分が原因で騒動を起こしながら、他のヤツに尻拭いをさせるような、図々しいヤツがいるとは思わなかったんだよ」

「……」
沈黙。
「オトナって、怖いね。ジン太くん……」
ウルルがポツンと呟いた。
「……復讐だ」
ジン太が、物騒な言葉を吐く。やちるちゃんが目を輝かせた。
「浦原商店をこーげきするの??」
「おぅ……て、そりゃ俺んちだ! ほかに何かねーのか、何か……」

ジン太が鞄をごそごそやりだす。
パンフレット、ティッシュ、お菓子、なぜかスーパーボール、その他訳わかんないものを取り出したジン太が……不意に、ニヤリと笑った。
「これだぜ!」
「おぉっ、それは!!」
あたしたちの声が合わさった。