雪は、表面の部分が少し固くなっている。その雪の上をひょいひょいと、ヒラヒラしながら歩いて行くサンタクロースの人形を追う私たち。傍からみたら、なんて変な状況なんだろう。まるで『不思議の国のアリス』みたいだ。ただ私達は、セフィーロに出入りしているせいで、大抵の不思議なこと、妙なことには免疫ができている。

私は、そよ風にもヒラリとする人形の後ろ姿を見てはらはらした。
「頼りないわ、680円だけに……」
もうちょっと奮発して、がっしりした人形を買っておけばよかった。でもそんなことを考えても、まさに後の祭りだった。風がにっこりとほほ笑んだ。
「そんなことありませんわ。もし海さんがこのサンタクロースさんを購入されていなければ、私達どこに行ったらいいか分からなくなるところでしたし」
その隣で、光が胸を張った。
「大丈夫だ、海ちゃん! このサンタクロースについていけば何の心配もないよ!」
「そう……? かしら?」
慰めるためだとは思うけれど、二人の根拠のないポジティブっぷりに圧されて、私は頷いた。

しばらく歩くと、雪原の中に突然、大きなモミの木が現れた。いくつもいくつも、桜並木ならぬモミ並木が続いている姿は壮観だ。でもそれ以外には相変わらず私たち以外になにもなくて、真っ白な画用紙の上に描かれているみたいな不思議な違和感をおぼえた。
その時、光が声をあげた。
「あっ、雪だるまだ! 雪だるまがいっぱいあるよ」
「ほんと……ね」
どうして気がつかなかったんだろう。モミの木の間に、身長くらいはある大きな雪だるまが並んでいた。それもモミ並木ならぬ雪だるま並木のように、延々と続いているのが正直言って、怖い。赤いバケツを被り、墨で目と口、にんじんで鼻をつくった、これぞ健全な雪だるまだと言いたくなるような風貌をしていた。こんなのが一斉に、サンタクロースみたいに歩きだしたら、泣きたくなると思う。

―― ん?
サンタクロースに、モミの木に、雪だるま。少し前に、そんなものを見たような気がする、と思って首をひねったけれど思い出せない。東京にはエセサンタクロースならいっぱいいるけど、モミの木とか雪だるまなんてそうそうないし。
「……海さん。左手を、見せていただけますか?」
周りを見渡していた風が、不意に海に歩み寄った。言われるがままに左手を風の前に出してみて、思わず海は叫んでいた。
「これよ! このネイルに描かれてることが起こってるんだわ」
親指に描かれているのは、あのサンタクロースを見本にしたもの。人差し指には、モミの木。そして中指には、雪だるま。しかもモミの木の色といい、雪だるまが被っている赤いバケツといい、偶然というには似すぎている。
「何をやっていらしゃるんですか? 海さん」
両方のほっぺたをぎゅっとつねっている私を見て、風がにこやかに尋ねてきた。
「これが悪い夢かどうか確認をしてるのよ!」
「私もつねって差し上げますわ」
「結構よ!」
確かに目の前にいるのは現実の風らしい、と確信する。大人しい優しげな風貌でありながら、風は意外とドSである。自分の頬をつねるのではなく、相手の頬をつねろうとするのが風らしい。しかも、前に同じ状況でつねられた時は泣けるほど痛かった。

と、なると。次はどうなるというのだろう。その理屈で言えば薬指に次の展開が描かれているはずだが、見るのが怖すぎる。
「雪と、サンタクロースですわね」
風があっさりと言うのと、
「わぁ、雪だ!! ホワイトクリスマスだな!」
光の楽しそうな声が重なった。
「やめてよぅ〜、二人とも……」
本気で頭が痛い。頭をかかえたくなった海をよそに、風が空を見上げて、わぁ、と珍しく子供のような声を上げた。私は、というと、実はそれほど雪を見てはしゃぐ、ということはない。足元が汚れてしまうかしら、とか、ヒールが履けないと思うと、心から楽しい気持ちになれないのだ。可愛くない、と言われるんだろうけれど。今の光と風の横顔は、雪を本当に心から楽しんでいるみたいで、可愛らしく見えた。

そして私達は同時にがば、と顔を上げて、先を行っているサンタクロースの後ろ姿を見やった。すると、今までと同じようにヒラヒラヨロヨロと歩き続けているものの、足取りが重くなっている。新雪のせいで、足が止まっているようなのだ。見ているうちにも、その姿が少しずつ雪の中に隠れ始めた。
「ど、どうしよう! サンタクロースが埋まっちゃうわ!」
「小指は! どうなってるんだ?」
「小指には何も描いてないのよ」
「つまり、どこにも辿りつかないということかもしれませんわね」
「人差し指立てて、他人事みたいに何言ってるの風!」
サンタクロースについていけば何かしら事態が好転する、という保証はどこにもない。却って酷い目に遭うかもしれない。でも、こんな訳のわからない世界に、何もすることが無くぽつねんとしているよりましだった。

「じゃ、小指に何か描いてみようかしら」
そう言ったのは、単なる思いつきだった。ネイルの通りに物事が起こっているのなら、小指に次の展開を描き足せばよいのだ。よいのか? 分からないが、やってみるほかなさそうだ。
「それだ、海ちゃん!」
「ここにボールペンがありますわ」
二人は相変わらず他人事みたいに楽しそうだ。せっかく綺麗にネイルが描けているのに、その上にボールペンで傷をつけるのは心が痛んだけれど、そんなことを言っている場合じゃない。

私は、四苦八苦しながら、小さな小指の爪に、かろうじて三本の縦棒を描いた。
「……熊手か?」
「『川』ですね?」
「そんなわけないでしょ! セフィーロ城よ、セフィーロ城!」
「ごめん海ちゃん、分からなかった」
「申し訳ありません海さん、全然わかりませんでした」
「気の毒そうな目をするの止めてよ!」
と言い返しながらも、確かに自分が描いた「セフィーロ城」がへたくそだということは理解していた。変なセフィーロ城が現れたり、全くの別物だったりしたらどうしよう。

そう思った時、目の前にいきなり大きな影が差した。とっさに腕で顔を庇い、そっと顔を上げてみる。
「もう、なんでもありよね…」
10メートルほど前に、あの大きなセフィーロ城が、どんとそびえ立っていた。入口の部分が、大胆にも完全に開いている。予想が当たって、嬉しさ半分、呆れ半分という気分だった。そんな私をよそに、サンタクロースはよろめきながらも雪の中を、セフィーロ城に向かって歩いていく。そのまま、吸い込まれるように、ひょいと中に消えた。

「とにかく、入ってみましょう。誰かいらっしゃるかもしれませんし」
風が丁寧にも、ごめんください、と一言言い置いたあと、セフィーロ城の中に足を踏み入れた。その途端に、辺りが一瞬明るくなり、私たちは同時に目を閉じる。再び目を開けた時、見なれた風景が広がっているのに気づいた。
「ここ……玉座の間?」
考えるまでもない。城の中心部にある、クレフやフェリオがよくいる巨大な教会のような部屋だ。しかし、入口のドアを開けたところにいきなりあるのは位置的におかしい。まさか、と思った時、聞き慣れた声が響いた。
「割と早かったな。ヒカル、ウミ、フウ」
「クレフ!!」
名前を呼んだのは光とほとんど同時だった。クレフは、玉座の間に浮かんだ椅子に腰かけ、右手で頬杖をついていた。いかにもおもしろそうに、にやりと笑っている。その右手の上に、あのサンタクロースがちんまりと乗っていた。
「やっぱりあなたの魔法だったのね、クレフ!」
「さっかくのクリスマスだというのに、ただ来るだけではつまらんと思ってな。お前たちのために趣向を凝らして――」
「凝らさなくていいから」
ビシッと突っ込んだが、絶対に堪えていない。小憎らしい、と初対面に思った記憶を彷彿とさせる表情で、私を見返してくるから始末が悪い。大体、お前たちのためなんて言っているが、絶対に自分が楽しみたかっただけなのだ。

風が私達を見比べて笑顔をつくった。
「やっぱりお二人は仲がよろしいですわね」
「違うから!」
「外では皆、クリスマスパーティーの準備中だ」
クレフは顎で隣の部屋を差した。すると同時に、クレフが差した方の部屋から、大勢の人々の笑い声が聞こえた。プレセアもカルディナも、フェリオもいる。低く聞こえた声はラファーガだろう。となると、ランティスもいるのだろうか。

改めて辺りを見回すと、玉座の間の窓から見える景色は、もはや完全にセフィーロだった。開け放たれていた入口は消え、いつもの玉座の間のドアに代わっている。何かクレフに言い返してやりたい、でも何も気がきいたことを言い出せない。
「軽々しく魔法を使ったら、しっぺ返しが来るんじゃなかったの?」
「私をお前たちと一緒にするな。これくらいの魔法、なんでもない」
「こ、この上から目線男……!」
いよいよ楽しそうなクレフに、こっちはいよいよ腹が立ってくる。風が私に向き直った。
「じゃ、私たちはパーティーのお手伝いに言ってきますわね」
「え?」
「じゃ、海ちゃん、後でね!」
「え?」
にっこりと笑う二人をあっけにとられて見送る。気が付いたら、クレフと二人きりになっていた。
「こっちへ来たらどうだ?」
そう言われて、なぜか心臓が一度、ドキリと打った。



* last update:2013/8/26