不思議だ、と雛森は思う。日番谷の肩に頭を乗せると、なんで眠くなるのだろう。ふわ、と小さな欠伸を漏らし、眠らないために、日番谷の着物の襟を掴んだ。
「……一回自分の部屋に戻ってから、ここに来たんだね」
いつもの死覇装の上にまとっているのは、隊首羽織ではなかった。色白の肌に際立つ藍色の着物を、ふわりと肩に引っ掛けている。
日番谷からは、昔自分達が一緒に暮らした、流魂街の家のにおいがする。だから、こんなにも心が凪いでゆくのだろうか。頬をぴたりとくっつけると、日番谷の肩と胸の辺りが上下するのが分かった。ため息をついたんだ、と思った時には、肩をつかまれ引き離される。


「……酒の匂いがする。どれくらい飲んだんだ?」
その翡翠色の瞳が、顰められている。不機嫌なんじゃなくて心配しているのだと、雛森には分かる。だから、何だか申し訳ない気分になった。
「……いっぱい?」
「そこへ座れ」
日番谷は短く言うと、まるで自分の部屋のように、隅に積み上げてあった座布団を引き出して自分の前に置いた。雛森は大人しくそこに正座する。


「酔うほど飲むなって、あれほど言っただろ」
「ちょっと記憶なくすだけじゃない」
「大問題だろうが! お前、今覚えてるうちに、起こったことを手紙に書いとけ。で、明日の朝読んでみろよ。血の気が引くぞ」
「なにも血の気が引くようなことないわよ」
雛森は唇を尖らせる。日番谷が、どうしてこんなに不機嫌な表情をしているのか、意味が分からなかった。
「佐野さんが、親切に部屋まで送ってくれたんじゃない」
「親切に、な」
カクン、と日番谷が首を落とす。まるで気の毒な子供を見るような日番谷の視線を、雛森は理不尽だと思う。


日番谷はことあるごとに自分を子供扱いするが、年齢は自分のほうがずっと上なのだ。自分のことくらい自分で出来るのに、過保護すぎると思う。大体、雛森が酒の席に出るたびに、さりげなく雛森の部屋に上がりこんで待っているのが過保護の証拠だ。たとえ酔ったとしても、毎回誰か男の死神が部屋まで送ってきてくれるから、心配は無いのだ。それなのに、毎回送ってくれた死神を険もほろろに追い返すのはいかがなものか。
と、いうようなことを雛森は日番谷に言った。日番谷は尚更疲れたようだった。


「帰る」
果たして、日番谷はそう言うと、大儀そうに膝に掌をついて身を起こした。
「あたしが帰ってきたらサヨナラっておかしくない?」
「おかしくはない」
きっぱりはっきり返され、雛森が返そうとした言葉に詰まる。
「昔みたいに、仲良くしたいだけなのに……」
背中を向け、障子に手をかけた日番谷が、その言葉にひょい、と振り返る。
「無理」
ため息混じりに返されて、ますます口を尖らせる。
「なんで! 昔だったら普通に泊まっていったりしたでしょ!」
「……まさかと思うが、泊まっていけと言っている?」
「ダメ?」
どうして、雛森が心をこめて話そうとするわするほど、日番谷は呆れた顔をするのだろう。まるで、出来の悪い妹か、下手したら娘でも見ているかのような顔つきだ。
「人を子ども扱いしないで!」
「人を子ども扱いすんな!」
思いっきり、言った言葉がかぶる。日番谷の言っている意味が分からない。明らかに、子ども扱いしてるのはそっちのほうじゃないかと思う。何か言い募ってやろうと思った時、日番谷は雛森に向き直った。そのまま、威嚇するかのような足音を立てて、ズカズカと雛森のほうへ歩み寄ってくる。


「へっ? えっ、ちょっと……!」
そのまま行くとぶつかってしまいそうだ。雛森は慌てて後ろに下がる。それでも日番谷の足は、止まらない。焦った雛森の足がもつれ、酔いも手伝ってか、そのまま身体が後ろに投げ出されそうになった、途端。伸びてきた日番谷の手が、雛森の腕をつかんで、ぐいと引っ張り上げた。
「何で逃げんだよ」
「え?」
思いがけず日番谷の顔が目の前にあって、雛森は何となく慌てて目を逸らした。


―― 逃げた? あたしが?
でも、日番谷が大股で迫ってくるのを見て、ぎょっとしたのは確かだ。昔だったら日番谷が突進してきたら、寂しいのよしよしかいぐりかいぐり、みたいな感じで頭をわしゃわしゃなでて、盛大にキレられていたと思うのに。
「……大きくなりすぎなんだよ、日番谷くんが」
少なくとも頭を撫でられないのは身長の問題だ。
「それは本題じゃねぇ。大人になったって言いたいんだ。背が伸びるなんて当然だ」
「そうは言えない頃があったのに……」
「だから混ぜっかえすな。とにかく。昔と同じだって思われるとコッチも困るんだ」
「なんで日番谷くんが困るのよ?」
「なんで分からねーんだよ!」
「分からないわよ!」
大声を出した日番谷が、ハッと我に返る。なんとも言えない虚脱した表情を浮かべ、雛森の腕を放した。


「帰っていいか? いいだろ別に」
冷たい。冷たすぎる。ひとつ屋根の下で暮らした日々もあったのに、アカの他人でもここまで冷たい態度は取らないと思う。でも、そこまで徹底的に避けられて尚、帰るなとは言いがたいものがある。
「……分かったわよ。おやすみ」
しゅん、とした雛森の後頭部を、日番谷は見下ろす。そして、帰ると言った割りに、手持ち無沙汰に突っ立ったままでいる。
「まぁ……なんだ、また用があるならつきあってやるから」
「ホント?」
ガバッ、と雛森が顔を上げた。しおれていると思ったのに、パッと表情を輝かせている。
「じゃあね……」
笑顔満面で、雛森は日番谷へあるリクエストをしたのだった。