一部、「白変種」についての差別的な文章を含みますが、作品の表現上の理由のため、敢えて使っています。ご了承の上お読みください。 乾いた土を濡らす雨の匂い。 先週より前だったら、こんな時は足元から蒸されるような熱気を感じてうんざりしたものだ。 でも今は、ハッと驚くほどに涼しい風が吹きぬけてゆく。 もう秋になるんだなと思いながら、俺は唐傘を開いた。 手に提げていた小さな赤い紙袋は、濡れないように体に寄せる。 糸のように細い雨が、音もなく傘の表面を濡らしてゆく。 時刻は、五時前。すでに周囲は薄暗くなり、灰色の雲が垂れ込めていた。 俺は、一番隊へと向う足を急がせた。 今日は、珍しくも非番だ。破面との戦争があってから、休みを取るのは初めてだったはずだ。 でも、そんな日でさえ一日休みということはなく、五時からの隊首会には出なければならなかった。 とにかく、殺人的に事後処理が忙しいのだから、仕方がない。 前はしょっちゅう行われていた飲み会でさえ、最近は月に二、三回くらいに減ったという。 俺にしてみれば、それだけ飲んでれば十分だろうと思うが、松本に言わせればそんなのは飲酒のうちに入らないらしい。 隊首会が終わったら十番隊へ向って、残務を松本から引き取るか。 そんなことを考えながら、角を曲がろうとした時だった。 ふと、何かの鳴き声を聞いたような気がして、足を止める。 傘を上げて首をめぐらせると、柿の木の下につながれた、一匹の犬と目が合った。 木にはまだ緑の葉が茂っているが、横から吹き込んでくる雨の前では屋根代わりにはなっていない。 雨は容赦なく、犬の上に降りかかっていた。 体をぶるぶると震わせて雨を払った犬は、俺を見上げると両耳を倒してくぅん、と鼻を鳴らした。 「ここ、七番隊か……ってことは、五郎?」 考えるまでもなく、犬を飼っている死神は七番隊の狛村しかいない。 元々は雛森が拾ってきた犬だから、七番隊なのに五郎なのだと雛森から聞いたことがあるが、姿を見るのはこれが初めてだ。 うろ覚えの名前を呼びかけると、犬はぴょん、と尻尾を上げ、千切れんばかりに振り出した。 「……喜ぶなよ」 犬を飼うという習慣はソウル・ソサエティでは一般的でなく、どう扱っていいのかわからない。 俺は突っ立ったまま、五郎を見返した。でもこのまま踵を返すのも、なんだか悪い気がする。 松本や雛森あたりに見られたら、噴き出されるかもしれない。誰も見ていないのをいいことに、おっかなびっくり五郎に近寄る。 どうやら五郎のほうがよほど慣れているらしく、尻尾を振りながら舌を出し、小刻みに息を吐いている。 嬉しそう……に見えるが、怒っているんだか悲しんでいるんだか、犬の気持ちなんて分からない。 いきなり噛みつくとか、逃げ出すとか、その他もろもろ突拍子もない行動はしなさそうだと確認してから、傘を五郎の上に差しかけ、ゆっくりとしゃがみこんだ。 アーモンド形の黒々とした目が俺を見上げ、すり寄ってくる。 片手で抱き上げられるほどではないが、両手で抱えれば持ち上がるくらいの大きさだった。 明るい茶色の毛の上に細かい雨の粒がついて、白くけぶって見える。 頭のてっぺん辺りをなでてやると、嬉しそうに体をくねらせ、前足を俺の膝に乗せてきた。 「よせよ」 首のあたりをなでてやりながら、頬が緩むのを感じる。 俺は、自分の笑顔が好きじゃない。よほど気をつけないと、子供っぽくなるからだ。 ただ、相手は犬。かまわないか、と思った時。図ったように、上から影が差した。 「めずらしいねぇ、日番谷くんが犬と戯れるなんて。瀞霊廷通信に載っちゃうよ?」 また、と付け加えた男を、俺は笑みを打ち消して見上げた。 編笠の奥から、悪戯っぽい子供みたいな目が見下ろしている。 見慣れた女物の着物の柄が、薄暗がりの中で浮かび上がって見えた。 「京楽隊長。霊圧を消して近寄らないでくれって言ったはずっスよ。悪趣味です」 破面との戦いを思い出すに、こいつが強いのは疑う余地もないが、普段はただの困った親父でしかない。 それでも敢えて一段下がった物言いをするのは、「年上には敬意を払え」というばあちゃんの教えがあるからだ。 ……言い方が丁寧だろうが、中身に敬意が篭もってなけりゃ意味はないんだが。 「知らなかったの? 僕が悪趣味だって」 俺の正面切っての悪口を意に介することなく、京楽はおどけたように口角を持ち上げる。 「開き直んないでください」 「そうだよ日番谷くん、これが開き直りだ」 「……」 俺は心底呆れて、返答を放棄した。この男の、会話を煙に巻く癖は変わらない。
始めちゃいました2009年クリスマス小説。
氷原に死す、DEATHQUINCE-1と展開的に微妙に続いてます。
[2009年 11月 17日]