※そんな長くないですが、一応目次です。
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「……ルキア。誰だ?」
表示されている電話番号を見ながら、一護はルキアを横目で見る。
知らぬ、とルキアは首を振る。どうやら、少なくとも電話の主は清音ではないらしい。
一護は緊張しながら伝令神機を耳にあて、通話ボタンを押した。
「……もしもし」
「あ、一兄?」
まるで下校途中に電話をよこしたような、きわめて日常的な声が電話から漏れる。
それが誰か分かっても、しばらく一護は反応できなかった。
「おーい。一兄? あたしだけど!」
「か、夏梨! お、おま、大丈夫か?」
しゃべりながら、隣で真っ白い顔色で横たわったままの夏梨の表情を伺う。
我ながらマヌケな返しだと思った。
「あー、なんか、ごめんな迷惑かけて。元気ってことないんだろうけど、とりあえずフツーだよ」
「ていうか、お前今どこにいるんだ!」
「あたしが聞きたいよ。三途の川っぽいのが目の前にある。三途の川から電話してるんだぜ、すごいよな」
話題はとにかく、元気はいつも通りの夏梨の声に、一護はぐっと言葉に詰まる。
今もまだ三途の川が見えるところにいる、ということは。間に合わなかった、ということだろう。
事情を知らないらしい夏梨に、一体どうやって説明すればいい?
「……一護。私が代わるか」
ためらいがちに、ルキアが一護の肩に手を置いた時だった。
電話の向こうで聞こえた落ち着き払った声に、一護の鼓動がどくんと高まった。
「代われ、夏梨。俺が話す」
「と、冬獅郎! 冬獅郎か!」
「冬獅郎じゃねぇ、日番谷隊長だ!」
「どーでもいいんだそんなこと! よかった、お前か」
どうでもいい、という言葉に、あ? と日番谷が声を低めたのが分かったが、そんなことは本当にどうでもいいと思った。
日番谷の声を聞いた瞬間、どうしてだか分からないが、「もう大丈夫だ」と思ったのだ。
「今どうなってんだ? 10分、過ぎただろ? 夏梨は助かるのか!」
「大丈夫だ。10分経ってねぇから」
「は?」
一護は、改めて腕時計に視線を落とした。……どう見ても、過ぎている。というか、もう15分近く経っている。
「……経ってるじゃねぇか。何で?」
「聞かれても困る。経ってねぇんだよとにかく」
日番谷らしくもない、強引な口調だった。はぁ、とため息が続いた。
「とにかく、そんなのはそれこそ、どうでもいいんだよ。夏梨は現世へ返す。若干手続きは面倒くせぇが、しょうがねぇ。お前は待ってろ」
「本当だな、信じていいんだな!」
「くどい。切るぞ」
勿論信用はしているが、それでももうちょっと説明してくれてもバチは当たらないと思う。
何とか引きとめようと一護が声を発しかけたとき、夏梨が明るい声を上げた。
「じゃあな、一兄! あたしちょっと行ってくるから」
「行ってくるって、どこに!」
「セーレーテー? ってとこ」
「ああ?」
どういう意味だ、と一護が聞くより先に、じゃあね、と明るい声を残して、電話はぷつりと切れた。
「どーいうことだ? ルキア……」
「……わからん。わからんが、待つしかないだろう」
取り残された一護は、しばし無言でルキアと顔を見合わせた。
***
「日番谷隊長、駆けつけていただいてありがとうございました!」
「ありがとうございました!!」
元の姿に戻った清音と小椿がちょこんと下げた頭の向こうで、日番谷の仏頂面が見えた。
「死んでしまった」らしいこと。三途の川。そんな非日常な状況と、
兄との電話。日番谷。日常が入り混じって、何が何だか分からなくなってくる。
日番谷という立派な死神を「日常」扱いしている自分はオカシイのかもしれないが。
10分ほど前。
「きゃー!! こんな時に、電波が、電波が!!」
母親の恰好をした奴(もう全く母親とは認めてない)を、夏梨はどこか醒めた目で見つめていた。
なにかヤバイことが起こっているのだろうが、周りが混乱するほど距離を置いてしまうというものだ。
「しょうがないわ、もう一回……!」
「つか、何やってんだ清音! こういう時は隊長に指示を仰ぐもんだろうが!」
後ろから現れた小椿が、無理やり伝令神機を清音の手から取り上げる。
「あー、何すんだ小椿! 汚い手で触んないでよ!」
「やかましい!」
清音が取り戻そうと手を伸ばすが、身長があまりに違うため、全く届いていない。
―― 隊長? 隊長って……
それを聞いて夏梨が思い浮かべる人物は、ひとりしかいない。
携帯の画面をなんとか覗き込もうと、小椿の後ろから見上げると、「私の♪浮竹隊長」の文字が画面上に出ていた。
「けっ、なーにが『私の♪』だ! 私物化すんな!」
「うっ、うっさいわねー!」
どうやら、日番谷ではないらしい。そんなウマイ話はないか、と夏梨はちょっと落胆する。
しかし。伝令神機を耳に当てた小椿の声に、夏梨はすぐに驚くことになる。
「あぁ! 日番谷隊長ですか! 申し訳ありません、緊急連絡です!」
今日番谷と言ったかこのオッサンは。夏梨は耳をそばだてた。実際は聞き耳を立てるまでもなく、野太い声は辺りに響き渡っていたのだが。
「はい……っ、はい、そうです! 行ったはいいんですが、本人が我々の正体を見抜いてしまい、全然もとの世界に帰ろうとせんのです! もう10分経過します!」
困りきっている声が、何だか気の毒になってくる。
というか、こんなのあたしが聞いてていいの?
ただ、さっきから、二人がやたら繰り返す「10分」が気になった。10分過ぎれば、何か起こるとでもいうんだろうか。
「は? ばれちまったならしょうがねぇ、スマキにでもして現世へ投げ返せ? そんな身も蓋もないことでいいんでしょうか、
でもあぁぁ、あと10秒切ってます! もう、間に合いません!」
「あ!」
夏梨は思わず声を上げて、辺りを見回した。どんどん、周囲の霧が濃くなってきている。
というより、よく見れば、霧の向こうには、闇が広がってきている。
圧迫感がぐんと増してきていた。世界が――収縮している。
「……くっ!」
清音が、夏梨の肩をとっさに掴む。そのまま、本当に現世に投げ返すつもりだったのだろうか。
しかし、すぐに諦めたように肩を落とした。
「……ごめんね。あたしのせいで。あんたを現世に帰してあげられそうにないわ」
「……えっ?」
現世。この先は現世なのか。夏梨は手を伸ばそうとするが、霧のせいで周りがほとんど見えなくなっていた。
絶句した小椿が手にした電話から、声が漏れ聞こえてきた。
夏梨には聞き間違えようもない、日番谷の声だ。
「……誰だか知らねぇが、運が悪い人間だな。瀞霊廷に連れてこい。イレギュラーな死として処理するしか手段がねぇ」
え?
聞きなれた声が、聞きなれない言葉を発するのを、夏梨は唖然として聞いた。
―― 死として処理。
そう、言ったのか?
手が震える。どくん、どくん、と心臓が高まる。
「冬獅郎……」
漏れたのは、自分でも思いがけないくらい、頼りない声だった。
え、と固まった清音の手をすりぬけ、夏梨はゆっくりと小椿に……いや、小椿が手にした伝令神機に歩み寄る。
「冬獅郎、あたしだよ!」
「……夏梨」
日番谷の声が、一拍ほどの空白をあけて、一気に温度を取り戻す。
「夏梨! まさか死人ってお前かよ……えぇい、時間がねぇ!」
何が起こったのか分からない。次の瞬間、電話の向こうでばたばた、がしゃん、と大きな音がした。
日番谷隊長何を! という声が小さく聞こえる。
一体何をやってるのか、音だけでは想像ができなかった。
わぁぁ、きゃぁぁ、ご乱心! ご乱心! と意味不明な声が聞こえてきた、その後。
心なしか息を切らした日番谷が、電話越しに声を掛けたのだった。
「三人とも、そこを動くな。今から行く」
そして、10分後。今のこの景色があるわけである。
***
「もういい、疲れた」
頭を下げられた日番谷は、外見とは不釣合いな発言と共に、その場に腰を下ろしてしまった。
胡坐をかいた足元の草がパキパキと凍りつく。周囲の霧がかすかな音を立てて凍り、キラキラと光りながら、地面に落ちる。
「どうしたんですか? 霊圧が……」
「気にすんな、今収める」
腕を押さえたくなるほどの冷気が、少しずつ消えていく。
収める……ということは、霊圧を高めなければいけないことがあったのだろうか?
「それにしても、10分経ったのに、何も変わりませんね」
清音が、きょろきょろと周囲を見回した。どんどん収縮していた世界は、突然その流れを止めたように動きがなくなっている。
日番谷が肩をすくめた。
「……時計、見てみろ」
「あぁ? あれ? 10分経ってない! そんなはずは……まさか、止まってる?」
「まさか」
小椿の声に、清音が彼女には珍しく、眉を潜める。
「ソウル・ソサエティの時計は止まらないのよ。瀞霊廷の大時計が全ての時間を統一しているもの」
「でも、現に」
伝令神機に表示されている時間を、二人は覗き込む。ちょうど、17時34分58秒。そのまま、時計は動きを止めていた。
「……あのさ。どういうこと?」
日番谷の隣に、夏梨がしゃがみこむ。
辺りは霧に覆われているし、今の目下の状況が全く分からない今、日番谷の隣が一番安全に思えた。
「本当に、厄介ごとに巻き込まれる奴だな、お前は」
「う……あたしだって、好きで死んだんじゃねぇ」
「死神の正体に気づくなんてどんな人間だと思ったら、お前じゃしょうがねぇな」
「……何がどうなってんだか、分からねぇんだけど」
「説明しろ」
日番谷が清音と小椿を見上げる。
そして、二人が語ったのは、かいつまんでこんなことだった。
夏梨の死後、担当の死神から連絡を受けた日番谷から、現世に戻すよう指示があったこと。
そのため、掟に基づいて、彼女の母親に姿を変えて近づいたこと。
しかし夏梨は正体に気づいてしまい、10分経つと戻れなくなるという「10分ルール」に抵触しそうになったこと。
だが、時間が止まるという超イレギュラーな事態により、とりあえずあの世行きは回避されたということ。
「……ていうか、なんで初めっから、それ説明してくれなかったの? 帰れって言われたら帰るよ、あたしだって死にたくないし!
ただ、どっちへどう行ったらいいのか分からなかっただけだよ!」
「……今後、お前みたいな奴が現れたら検討する」
日番谷はため息をつくと、立ち上がる。
「ついてこい。瀞霊廷で現世に戻す手続きをするから」
顔を見合わせた小椿と清音の表情から、ただじゃすまないだろうな、という予感はあった。
単に時計が止まった、以上の意味が、そこにはありそうだったからだ。
そしてたどり着いた瀞霊廷は、まさに「火事場」と言っても良かった。