※そんな長くないですが、一応目次です。



「ちょっと! 会議、もう始まってるの?」
「授業はいつ終わればいいんだ!!」
「っていうか今、何時なんだ一体!!」
定規で線を引いたような大通りが幾重にも張り巡らされ、建ち並ぶ建物は黒瓦、白壁で統一されている。
おそろしく整然とした、よくできた時代劇のセットのような街。
瀞霊廷を一目見た夏梨の印象は、それだった。
ただ、その印象を一瞬で打ち砕くほど、そこにいる人々は……大混乱に陥っていた。

―― 時間が、分からないのか……?
前を行く日番谷と、後ろに続く小椿・清音に挟まれるように歩きながら、夏梨はきょろきょろと辺りを見回した。
部屋の中に見える時計。店先の時計。全てが、同じ時間…17時35分ごろで、停止しているのを見て、初めて混乱の理由を理解する。
止まったのは、清音の時計だけではない。瀞霊廷の全ての時計が、同時に止まったのだ。
もしそれが東京での出来事だったら、混乱はこれとは比べ物にならないだろうと思う。

「うっわぁ……大混乱ね……どうしちゃったの一体?」
気味悪そうに周囲をきょろきょろしている清音に、
「好都合だ」
日番谷が短く返す。
「混乱してる隙に、とっとと夏梨を戻す」
「ひ……日番谷隊長」
「あん?」
「時計が止まるタイミング、あまりに良すぎたと思いませんか? この一件と、何か関係があるのでしょうか?」
日番谷の翡翠の瞳にじろりと見上げられ、うっ、と小椿が言葉を止めた。
「時間が止まったのはあんたのせいですか」と聞いているようなものなのだ、ムリもない。

しかし日番谷は、バリバリと頭をかくと前に視線を戻した。
「しばらく、十三番隊の面倒は見てやれそうにねぇ。お前ら、しっかり浮竹をフォローしろよ」
「はい! って、何で……ぎゃああああ!」
頷いた清音が、全く唐突に大きな悲鳴を上げる。小椿と夏梨が同時に飛び上がるほどの大声だった。
「いきなりうっせえぞ清音! 何だ!」
「ああああれ……」
声が、思い切り動揺している。
「ん?」
見上げた小椿が、同様に固まった。
プルプルと震える指を、地下議事堂の上部に取り付けられた大時計に向ける。
「ソウル・ソサエティの『時』を司る時計に……なんかどっかで見たことがある、氷と水でできた龍が突き立っていらっしゃるぅ……」
「え?」
夏梨も背伸びして、小椿が指差した方向を眺めた。一見して、見ものだ、と思った。

時計盤だけで5メートルはある馬鹿でかい時計の真ん中に、直径2メートル、長さは10メートルくらいはある巨大な氷の龍がまさしく「突き立って」いた。
時計盤の正面に顔面から突っ込み、そのまま突き抜けて途中で止まったのだろう。
時針はどこかに弾け飛んだのか見当たらなかったが、分針はかろうじて残っていた。35分。
「……こりゃ、全ての時計が止まるわけだ……」
唖然として、小椿が呟く。そーっと、視線を小さな隊長に向けた。
日番谷は仏頂面のままそれを見やっている。清音が、同じく唖然として言った。
「日番谷隊長、まさか……思い切り物理的に、時間を止めちゃいました?」
「……」
「で、でも、そんなことしたら……」
清音がそこまで言いかけた時だった。がしっ! と日番谷の肩を、背後から伸びてきた手が掴んだ。


「日番谷冬獅郎!!」
日番谷の華奢な肩を握りつぶさんとばかりに、肩に掛けた手に力が篭っている。
振り返れば、そこには鬼の形相の砕蜂がいた。
「時計を破壊したのは……きー・さー・まー・か−!?」
怖い。
はいそうです、などと気軽に返そうものなら一瞬で暗殺されそうだった。

「まーまーまー」
砕蜂の背後から伸びてきた手が、ぽんとその肩を掴む。
「京楽……」
日番谷の声がほっ、としていたように聞こえたのは、気のせいじゃないと夏梨は思う。
優しそうな……悪く言えば気合の抜けた顔をした京楽は、肩をすくめて日番谷を見下ろした。

「んーあれだね。どうせなら、もうちょっと何かこう、隠すこととかできなかったの? 燃やすとかさ。叩き壊すとかさ。
あれだと思いっきり、霜天に座しちゃった感じがするじゃない?」
「……小細工してる時間がなかったんだよ」
がっくり、と日番谷が肩を落す。
「ていうか、小細工してもバレるだろ、どうせ」
「もうちょっと隠してくれれば、フォローしようもあったけどね」
「どういう風に」
「宇宙人の襲撃です、とか」
「……結構だ」
「仕方ない。死罪だな」
にべもなく二人の会話に割って入った砕蜂に、清音が食って掛かる。
「ちょっとぉ! 砕蜂隊長!? そりゃ冷たすぎですよ!」
「暗殺部隊の隊長に、優しさを求めるほうがどうかしている」
それを聞いていた夏梨は、一連の騒動が始まって初めて、血の気が引いていくのを感じた。
死んだ、と思った時も、状況がはっきり分からかったせいかそこまで動揺はしなかった。
日番谷は……もしかしたら、とんでもないことをやらかしたのではないか?
しかも、夏梨のために。
ちらり、と二人の視線がぶつかった。

「瀞霊廷を混乱に陥れた罪は大きいぞ、日番谷!」
「分かってる。罪は何でも受ける」
片手を上げて、日番谷は降参の態度だ。
「それなら良い。とにかくこの混乱を収めるのが先だ! 貴様の糾弾は後でもできる」
日番谷が認めた時点で気が済んだのか、砕蜂はくるりと背中を向けそのまま姿を消してしまった。
その隙に、日番谷はくるりと背後を振り返り、清音に耳打ちした。
「夏梨を連れて行け。京楽に事情を説明して、現世に戻してもらえ。早く」
「え、でも……」
清音が、夏梨を横目で見ながら困っている。
当然だろう、と思う。日番谷が時間を止めた原因が夏梨なら、その原因を隠しているようなものだからだ。

「んー、どうかしたのかい」
耳ざとく聞きつけた京楽が、夏梨を見下ろす。おやぁ人間じゃないか、と声が漏れた。
「夏梨を頼む。京楽」
「君が僕に頼みごとかい。初めてだね」
京楽の黒い瞳と、日番谷の翡翠の瞳が交錯した。ゆっくりと京楽が微笑む。
「任しといて」
「えっ、ちょっと……冬獅郎!」
「じゃあな。もう死ぬなよ」
身を乗り出した夏梨の前に、京楽が立ちはだかる。
「目立っちゃまずい。日番谷くんが、なりふり構わず君を護ろうとしてるんだ。無駄にしちゃだめだ」
大きな手が、夏梨の肩に置かれた。
大きな体越しに見た日番谷は、もう夏梨からは視線を外している。

「冬獅郎……」
自分には、ここにいたって何もできないんだ。悔しさが胸にこみ上げる。
いつか力になりたいと思っているのに、いつだって足を引っ張っている。
なすすべなく唇を噛んだ、そのときだった。

「一体なにごとじゃ!」
重々しい男の声が、周囲に凛と響き渡った。混乱していた死神たちは、急にしん、と静まり返る。あちゃぁ、と京楽の声が漏れた。
「総隊長殿!」
「総隊長、大時計が……全ての時間が止まっています!」
人の群れがまっぷたつに割れ、杖を突いた老人が歩いてきた。老人、と言っても弱弱しい感じは全くなく、威風堂々、といっていいほどに体格がいい。伸ばしたひげは束ねられ、腹の辺りにまで届いていた。

ふむ、と総隊長は呟くと、時計を見上げた。そして、突き立っている氷輪丸を見ると、もう一度ふむ、と唸った。
そして、手にした杖をひょい、と振る。その一振りで、突き立っていた氷輪丸は音もなく水と化し、その場に降り注いだ。
「うわぁ、水が大量に落ちてきた!」
「きゃああ!」
水浸しで騒ぐ死神たちにかまうことなく、総隊長は明朗な声で言い放った。
「今は、6時じゃ!」

何の根拠もない発言だと思う。
夏梨の感覚だと、45分か50分か、少なくともまだ6時にはなっていないはずだ。
しかし、死神たちは一斉に、ほっとしたように胸をなでおろした。
「そうか、6時かぁ」
「じゃあ、会議はもう終わりだな」
「学校ももう終わりだ」
ワラワラと散りだした死神たちを、夏梨は半ば感心して眺めた。

総隊長は正常に動き出した死神たちを見やると、そのまま大股でまっすぐに歩いてきた。……日番谷のところへ。
「さ、行こう」
京楽に肩を押され、有無を言わさず日番谷から離される。総隊長の姿は京楽に隠れて見えなくなった。
総隊長と対峙する日番谷の横顔だけが、見えていた。


「……一体どうしたのじゃ、日番谷隊長。理由を説明してくれんかの」
言葉は穏やかだが、凄みを含んだ声だった。相手を押しつぶさんばかりの圧力を感じる。
散りかけていた死神たちも、ちらちらと二人に心配そうな視線をよこしている。
「……はい」
日番谷は頷いて続けた。
「どうしても、定時までに間に合わせなければならない書類がありました。間に合いそうもなかったので、つい」
「時間を止めた、と」
「はい」
日番谷が、口から出任せを言っている!
夏梨は、驚愕してやり取りを眺めた。

「時間は5時35分で止まっておる。定時を5分すでにすぎておるぞ」
「失態でした」
「何が失態か!! この大馬鹿者がーーー!!!」
そこで総隊長の雷が落ち、その場にいた死神は全員体をすくめた。
「仕事熱心の方向を間違えておる! 京楽の血を輸血でもしてもらうか?」
「むしろ俺の血を京楽に輸血したほうがいいと思いますが」
(遠まわしに、僕がサボってるって言ってる? と京楽が呟いた)
「だまれ! 謹慎じゃ! 禁固じゃ!! 誰ぞ、日番谷隊長を一番隊の牢へ……!!」

「待ってくれ!!」

とっさに、分からなかった。それが夏梨自身の声であると。
気づけば、勝手に声が出ていたのだ。京楽の、しまった、という声が聞こえてきた。
振り向いた日番谷の表情から、自分はやってはいけないことをしたのだ、と気づく。
でももう、覚悟は決まっていた。

「何者じゃ、お主は」
底光りのする総隊長の視線が、まっすぐに夏梨に注がれた。
怖かった。
見つめられると、蛇に射すくめられた蛙みたいに、動くことすらできなくなる。
でも、このまま黙っているわけにはいかない。夏梨は自分を励ました。

「夏梨、お前は……」
「黙っててくれ!」
一歩踏み出した日番谷を、夏梨は凛、とした声で遮った。
「あたしが、不注意で現世で死んで、決められた時間以内に戻らなかったから。
このままじゃ死ぬしかなかったから、冬獅……日番谷、隊長は時間を止めたんだ。
こうしてくれなきゃ、あたしは絶対に死んでた」
とっさに冬獅郎、を日番谷隊長に言い換えたのは、個人的に面識があると知られればまずいのかもしれない、と思ったからだ。
しかし、事態は夏梨の思惑外の方向に進んだ。

「……それは真かの。日番谷隊長」
総隊長が日番谷に視線を転じて、続けた。
「そうであれば、お主には更に罪が重なるぞ。事実を隠匿しようとした罪。そして、『一魂に心を移すべからず』という死神の大原則に逆らった罪」
「いっこん……?」
「死神は、全ての魂に公平に接しなければいけない、という意味だね。……理由は、分かるだろ。これは、重罪なんだ」
京楽がかがみこみ、夏梨にささやいた。

「……っ」
夏梨は、思わず言いかけた言葉を飲み込む。
日番谷が犯した罪。今明るみに出ようとしている罪。その本質を、初めて理解したからだ。
京楽の言っていることは、分かる。
死神が特定の死者だけを「ひいき」したらどうなる。
同じ状況でもひいきされた者だけが現世に戻れて、それ以外の者は死ぬ、というパターンがあれば、どうなる。
それがあってはいけないことだということは、夏梨にも分かった。
夏梨にも分かることを、あの理性的な日番谷が理解できないはずはない。
それなのに、日番谷はそれに逆らおうとしている。
―― あたしのために。
胸が、じんと熱くなった。

「……ン? どうするつもりだい」
一歩踏み出した夏梨を、京楽は見下ろした。夏梨は、心配そうなその表情を、見上げる。
「重罪って……どうなるんだ」
「分からない。でも、しばらく牢からは出てこれない。降格の可能性もある」
「そか」
ごめんな一兄、と思う。
でも、日番谷を自分のせいでひどい目にあわせて、何事もなかったかのように現世に戻れない。

「冬獅郎が、罪に問われるなら。あたしは現世に戻らない」
「……君、自分が言っている言葉の意味を分かってるかい?」
「子供だからってバカにすんな、分かってるよ。でも、制限時間内に現世に戻れなければ、もう一生戻れない。それはルールなんだろ?
そしたら、それに従うのが一番理にかなってる」
「他人事みたいにいうねぇ。死んでもいいっていうのかい」
死ぬ。その響きが、胸に突き刺さった。
意地になってるだけかもしれない。間違っているかもしれないが、後悔だけはしない自信があった。
「あたしは。冬獅郎の力になりたいとは思っても、足を引っ張りたくなんてない」
見つめる先の横顔は、遠い。どうやって隣に立ったらいいか分からない。
でも今、夏梨を庇って罪を受けさせてしまったら、これからも絶対に対等になれない気がした。

総隊長が、声を張り上げる。
「死神とは、一魂に心を傾けてはならぬ! 全ての魂に公平でなければ、死神とは言えぬ! お主は隊長だろう!」
「それでも!」
夏梨は、日番谷がこれほど必死の表情を見せるのを、初めて見た。
「……それでも」
自分が言いかけた言葉の先を探すように、声が小さくなる。
言い聞かせるように、総隊長の声が少しだけ穏やかになった。
「撤回するのじゃ、日番谷隊長。今なら間に合う。……それとも。そこの子供が、このような特別扱いに値するほどの者だとでもいうのか」

もういいよ、と夏梨は日番谷に声をかけようとした。
自分が「特別」な人間たりえないことを、よく知っているから。
日番谷の唇が、更に言葉を紡ごうとしている。
「……黒崎、夏梨は」
ハッ、と夏梨は言葉を止めた。
その先、何を伝えようとしたのだろう。
それは、言い終わらないままに遮られた。
突如現れた、能天気な男によって。

「先生! ちょっと待ってくれませんか?」
その場に明らかにそぐわない、空気を読まない大声で現れたのは、白い髪をなびかせた浮竹だった。日番谷が目を見開く。
「浮竹、あんた……もう平気なのか?」
「あぁ、もう元気だ!」
ホントかよ、と返す日番谷を気にすることなく、浮竹は快活に続ける。
「それにしても、申し訳ないねぇ日番谷隊長。俺のわがままにつき合わせてしまって」
はぁ? という表情を日番谷が返す。それは周囲の死神も一緒だった。
対照的に京楽は、ははぁ、と唸ると指で顎に触れた。

浮竹はずんずんと近づいてくると、夏梨の肩に手をおき、ぐいと前に突き出した。
「この子、黒崎夏梨、といいます。あの一護君の妹です」
おぉ、と声があがったのはどうしてだろう、と夏梨は思う。
驚愕のようにも、感嘆のようにも聞こえた。
おぉあれが、確かによく似ている、特に目つきが悪い辺りが、と声が広まる。
余計なお世話だ。


総隊長は、日番谷から視線を逸らし、今度は浮竹に向き直った。
「浮竹。お主も、絡んでおるというのか?」
「はい」
笑顔のまま、浮竹は断言した。
「俺が頼んだんです、日番谷隊長に。黒崎一護君の妹を助けるようにと」
「日番谷隊長は、そのようなこと……」
「そりゃ言いませんよ、日番谷隊長は自分が不利になろうが、他人の不利益になるようなことを言うような男じゃありません」
「浮……」
日番谷が身を乗り出したが、途中で言葉を切った。
音もなく歩み寄ってきていた京楽が、その女物の着物をばさっと広げ、総隊長の視線から覆い隠したからだ。

「ま、それは事実だね。日番谷君。ここは引きなさいよ」
「でも……」
「でもじゃないの。あのお爺さんの扱いなら、僕たちのほうが慣れてるんだから」
「冬獅郎!」
駆け寄った夏梨が、日番谷の腕を掴む。今日はじめてまともに、日番谷と視線を交わした気がした。
「あたし……」
続ける言葉が、見つからない。
京楽は体をそらし、背後の総隊長と浮竹の会話に耳を傾けている。

「一体どういうことじゃ? 浮竹」
「知ってのとおり、黒崎一護君は、冤罪で処刑されるところだった俺の部下、朽木ルキアの命を救ってくれました。
あれだけのことがあったのに、今でも死神代行として、重霊地である空座町を護ってくれています。
その実力は隊長格レベル。どれほど、瀞霊廷に貢献してくれているか分からないほどです。
それなのに、瀞霊廷は一護君に、何も返していない。
だから、妹である夏梨君が亡くなった時に思ったのです。一護君のためにも、彼女を救いたいと。
ですから、日番谷隊長が窮地に陥る可能性を重々承知した上で、俺が彼に、無理やり頼んだのです。
日番谷隊長を罪とするのなら、この俺のほうが罪は重いはずです」
浮竹はそこで、涙をぬぐうように手の甲を目に当てた。思いの篭った言葉に、居合わせた死神たちも、言葉をなくして聞き入っている。

「……そうなの?」
京楽の着物の影で、夏梨は日番谷に耳打ちする。
「……なわけねーだろ。浮竹はいきなり氷輪丸を振り回した俺を止めようとしたんだからな。
事情も知らねぇはずだ。よくもあんなにスラスラ出任せが出てくるもんだぜ」
日番谷はそう言ったが、口から出任せなら日番谷も負けていないと思う。
浮竹は、総隊長が黙ったままなのを見て、更に一歩踏み込んだ。
「黒崎一護君は瀞霊廷にとって『特別』な人間だ。恩人と言ってもいいでしょう。
どうでしょう、ここは彼に免じて、妹を特例に」
「……しかしの」
総隊長が、言葉を濁らせる。京楽が口を挟んだ。
「そうだよ山爺、それにこの子の霊圧、僕の見立てじゃぁ半端なく高いですよ。
一護君は真血だ、同じ血を引く彼女の素質は、一護君レベルだっておかしくないんだ。
将来、一護君を助けて、死神代行になってくれるかもしれませんよ?
空座町は重霊地、それなのに僕たちには目下のところ、警備に裂く人員がない。
彼女を救うことは、人材不足の瀞霊廷にだってプラスになる可能性がある」

「……京楽」
苦々しく、小声で日番谷がつぶやいて京楽を見上げる。
「走りすぎだぞ」
「やーごめんごめん、でも山爺には感情だけで訴えてもダメだからね……おぉっと」
背後に差した総隊長の影に、京楽は身をすくめる。
京楽の背後に立った総隊長が、夏梨を見下ろしていた。

「……ふむ」
夏梨に、その骨ばった指が伸ばされる。日番谷がとっさに、その前に立ちはだかった。
その腕を、夏梨がぎゅっと掴んで身を起こす。
指の細かな震えは、日番谷に伝わってしまっただろう。
でも、隣に立っていてくれるのなら、総隊長を前にしても怖くない。そう思った。

「死神代行候補、と申すか。このような子供が」
「やれるさ」
夏梨は、総隊長の底光りのする瞳を見返した。
「もし命を助けてもらえて、あたしに素質があるというなら。死神になってやる。
一兄や、冬獅郎たち死神たちを助けるために、できることは何だってしたい。それが人間として、筋を通すってことだと思うから」
「人間、か」
総隊長が、どんな思いでつぶやいたのか、夏梨にはわからなかった。
でも、なんだかその場の風景を見ていない、遠い目をしていた。

「総隊長」
浮竹が、背後から歩み寄ってくる。
「……しかたないの」
総隊長が、立ち上がる。
「この上で更にこの子供を死なせるとなれば、お主ら三人の隊長の顔が立たん。
茶番に付きあうしかないようだの。ただし、一度だけじゃぞ」
ギラリ、と睨みつけるその視線に、三人の隊長が一斉に視線をそらす。
どうやら、全部バレていたらしい。

「ただし。浮竹、日番谷。お主らはしばらく謹慎とする。見逃しでは示しがつかん。それと――」
おそらく、更なる処分を口にしようとしたのだろう。
しかし、総隊長は続けることができなかった。胸を張った浮竹が、
「それくらい当然です! ……ぶふぉっ!?」
その体勢のまま、当然のように、吐血したからだ。

「浮竹!」
「浮竹隊長!?」
「担架だ、担架持ってこい!」
背後がばたばたと騒がしくなる。
びしっ、と決めた表情のまま気を失った浮竹が担架に載せられ、運ばれていく。
それと同時に、下ろされた大時計もまた、担架のようなものに積み込まれている。
「ええい、もういいわい! さっさと浮竹を四番隊に連れて行け! ついでに時計は十二番隊じゃ、早くせい!」
「はっ!」
こうして。
騒動は、ウヤムヤのうちに幕を閉じたのだった。